メディアグランプリ

普通の人間になる


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事: 田中 伸一(ライティング・ゼミ日曜コース)

 
 
「田中君、ちょっと」
真鍋部長のしゃがれ声が響くと、私は同僚からの同情の目線を感じながらのろのろと席を立つ。
さっき決裁箱に入れた報告書なら、今回は完璧なはず、と心を奮い立たせて部長の席へと進む。ガマガエルのような風体の部長は、充血した目を私に向ける。「蛇に睨まれた蛙」ならぬ、「カエルに睨まれたハエ」の気分で部長の前に立った。
その気合の差だけで、既に勝負はついている。やっぱりいつもと同じだ。
「これはどういうこと?」
「確認はした?」
「なぜ疑問に思わないの?」
指摘は全て正しい。「はい」「すみません」「わかりました」しか言えなくなる。
「君も、早く普通の人間になってください」
お得意の決め台詞で30分間の説教が終わる。
 
「普通に考えたら、このくらいのこと、言われなくても分るでしょう。普通に考えて、普通に行動すればいいだけのこと。だから、普通の人間になってください」
 
確かにその通りだ。指摘されたことで特別なことは、まずない。だが、なぜかその「普通」ができない。
毎日、真鍋部長をどうやりすごすか。それしか考えられない。いかにしてHPがなくならないように彼と戦い、魔の手から逃れるか。入社たった3年で、いきなりラスボスに遭遇してしまった、不運な私。このまま、ゲームオーバーになってしまうのだろうか。異動が決まったとき、社内で聞いた噂が耳によみがえる。
「真鍋さんの下で働いたら、体を壊すらしいよ。君と交換で異動する鈴木君、土曜日も夜10時まで働いて、血尿が出たんだって」
噂は本当だった。異常に細かい指摘、長い叱責。残業代が本給を上回り、毎日タクシー帰り、土曜出勤は当たり前。結婚したばかりだというのに、毎日疲労困憊で妻の話も聞けない。
 
一番つらいのは、友人との約束が果たせないこと。飲み会に誘われて、何とか仕事を片付けてさあ帰ろう、という時になると、決まってあのしゃがれ声が響く。
「田中君、あの件どうなってるの」
簡単に説明して、「実はこれから約束があるので、明日にしたいのですが」と言うと、
「わかりました。ちゃんと仕事を終わらせてから行ってください」
と、決して許してもらえない。携帯電話が普及していない時代だったから、無断欠席で友人に迷惑をかけると思うと、気が気ではなかった。
 
夜7時を過ぎて妻が届け物を会社に持ってきてくれたことがあった。真鍋部長は笑顔で、
「奥さん、いつも田中君が遅くなってごめんなさいね」
と声をかけてくれた。だから、
「ちょっと近くで待ってるね」
と妻が言ったとき、もしかしたら今日は帰してくれるかもしれないと期待した。妻を送り出した後、思い切って
「妻が待ってくれているので、早めに切り上げたいのですが」
と言ってみた。でも、真鍋部長の反応は全くいつも通りだった。妻は会社の近くで30分以上待っていたが、結局しびれを切らして帰っていった。
 
もう嫌だ。
会社にいる限り、この生活がずっと続くのかと絶望した私は、毎日定時ギリギリに出社した。そんなある日、人事異動の発表があった。
 
「〇〇部 部長 真鍋 徹三 ABC商事出向」
 
ものすごく長い間苦労させられたと思っていたけれど、彼の下に来てまだ2年しか経っていなかった。何とか2年間、生き延びられた。ずっと曇っていた空が、急に明るくなった気分だった。
新しい部長は、優しくて調子のいい人だった。急にすることが少なくなって、今まで無駄な仕事をいっぱいさせられていたんだと思った。
 
でも、しばらくしてこんな話を耳にした。
「真鍋部長、田中君が書いた業務論文を持って、あちこちに見せて回ってたらしいよ」
職階を上がるために書いた論文のテーマは、業務上のリスクの所在を抜け漏れなくチェックするためにどうするか、というものだった。部長好みのテーマを選び、指導を受けて何度も書き直したから、合作みたいなものだ。ずっと否定され続けていたと思っていたが、彼が私の仕事を自慢して歩いたと聞いて、ちょっと報われた気がした。
そうすると、新しい上司が細かいことに目が行き届いていないことが気になる。部の成績も、なんとなく下降線をたどり始めた。
 
当時の真鍋部長の年齢に近づいても、まだあの頃の苦しさは忘れられない。と同時に、若かった自分の至らなさが、今ではわかる。
「早く普通の人間になってください」と言われて、心のどこかで「私は普通の人間。あなたが異常です」と思っていた。本当は、給料泥棒みたいな水準の仕事しかできなかったのに。長時間こき使われているんだから、たくさんもらって当たり前だと思っていた。でも、たくさんもらえるだけの価値を生み出していたとは到底言えない。長時間かけて、高い給料をもらいながら、仕事を教えてもらっていたのだ。
きちんと仕事して、給料をもらえる価値を生み出して、はじめて「普通の人間」なのだということを、腹の底から理解していたか? そう思うと、恥ずかしく、情けない。
 
たった2年の上司部下の関係が、今も忘れられず、大きな経験として身についている。ラスボスだと思っていたけれど、彼は「はぐれメタル」だったのかもしれない。攻略するのはとても難しいけれど、何度も失敗して、たまに会心の一撃でうまく行くと、経験値をいっぱいもらえる。本当のラスボスは、社内にいるわけがない。外にいるラスボスを攻略する力をつけるために経験値を貯める。彼との2年間は、そのために必要な期間だったのだろう。
 
もし、もう一度真鍋部長に会えるなら、何と言おうか。
「本当にお世話になりました。おかげさまで何とか『普通の人間』に近づいたと思います。
でも、指導方法は、もう少し工夫していただきたかったです……」

 
 
***

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2018-04-20 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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