プロフェッショナル・ゼミ

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記事:相澤綾子(プロフェッショナル・ゼミ)

「これから、先生が魔法の言葉を2つ教えます。一年生のみんな、ちゃんと覚えて帰ってくださいね」
次男の入学式での、校長先生の話だ。彼女はにこやかに笑いながら、ちょっと間を置いて、その言葉を教えてくれた。
「一つ目の言葉は、おはようございます、です」
6年生の生徒会長の男の子がお手本を見せてくれることになった。
「おはようございます」
体育館いっぱいに響く、気持ちのよい声だった。新入生も練習しましょうと先生が言い、声を合わせた。
「朝、おはようございます、とあいさつをすると、元気になりますね」

私も、あいさつは相手も自分も元気にしてくれると考えている。でも昔から元気にあいさつをするのが好きだったわけじゃない。朝からテンション高い人を見ると、正直引いた年頃もあった。それが今では、声を出して、しかも思い切り笑顔で、あいさつをするのが当たり前になった。年齢を重ねて、気恥ずかしさが無くなったということもある。でもそれだけじゃない。もっとその深い意味と、強い言葉の力に気付いたのだ。

私は今から6年前、フランスで2年半生活することになった。夫がフランスに赴任することになり、私はちょうど次男の育休と重なったので、家族で行くことにした。
移り住んだのは1月8日。パリ郊外のブローニュ=ビヤンクールという街だった。冬至から2週間ほどしか経っていないこともあり、朝はなかなか明るくならず、4時半過ぎには真っ暗になってしまった。雪こそあまり振らなかったけれど、外の寒さは半端なかった。
日本違い、フランスのアパートには、天井に電気を吊り下げる器具はついていなかった。部屋の隅2か所に上向きのスタンドライトを置き、間接照明で部屋を照らしたけれど、明るさが圧倒的に足りなかった。生活や言葉の不安に加え、暗さと寒さは気が滅入り、2年半の間、耐えられるのだろうかと頭を抱えた。
渡仏することは1年半前から分かっていたけれど、長男・次男の世話を言い訳にフランス語の勉強はろくにできていなくて、1から20までの数字とボンジュールしか言えなかった。近所のスーパーに買い物に行くにも、ベビーカーにおんぶで出かけなければならない。野菜はともかく、その他の食品類は、パッケージの絵をたよりに選ぶしかなく、とにかく時間がかかり、終いには飽きた子どもたちが店内で泣き出した。
ようやく買うものを決めると、今度は会計で一苦労する。ガムをくちゃくちゃ噛みながら、早口で話しかけてくる店員にどう答えれば良いか分からず、なかなか慣れなかった。幸いそのスーパーには無人レジがあり、いつもそちらを選んだ。ところが、無人レジは調子が悪く、バーコードが読み取れないことが頻繁だった。そうすると結局店員を呼ばなければいけない。私がお願いすると、店員は怒ったような表情で対応した。他の人もあまり親切ではなかったけれど、特にポニーテールの店員が怖かった。

ある時、年配の女性が無人レジエリアに入る前に「ボンジュール」と待機している店員に声をかけたのを見た。その日は、ポニーテールの女性だった。
フランスでは店に入ったら。店員にあいさつをしなければならないとガイドブックに書かれているのを読んだことがあったけれど、それは、個人商店や対面販売の場合だけなのかと思っていた。でも私も前の人に習い、「ボンジュール」と声をかけてみた。
すると、ポニーテールの彼女も初めて見るにこやかさで「ボンジュール」と返してきたのだ。その日もまたバーコードが読み取れないトラブルが起き、彼女を呼んだけれど、いつもの対応とは全く違った。機械が無事動き出すと、背中の次男を覗き込んで「かわいいわね」と声をかけた。まるで別人だった。

その日から、必ずどの店員さんが待機していても、目を合わせ「ボンジュール」と言うようにした。だんだん楽しくなって、あいさつする時も、地元の人のように、とびきりの笑顔で目を合わせ、うなずくように顔を動かして、声をかけた。
どこに行ってもそんな風にすると、受け入れてもらえる感じがした。フランス語は少しずつ覚えていったとはいえ、まだまだたどたどしかった。けれども、最初にあいさつをすると相手の表情が和らぎ、うまく伝わらなかったり、理解できなくて何度も訊き返したりしても、大抵我慢強く対応してもらえた。
だんだん日が伸びて、夏になり、明るい時間の方が長い季節になる頃には、ちょっと遠くの店まで行ってみようと探検するくらいの元気が出てきた。店を出るときの、
「ありがとう、さようなら」
も、すらすらと言えるようになった。

日本では店員さんが「いらっしゃいませ」と声をかけることはあっても、客の方から「こんにちは」などというのは、個人商店くらいしかないような気がする。スーパーのレジでも店員さんから「いらっしゃいませ」と声をかけられ、こちらは会釈程度、無言か「お願いします」とかごを差し出す。最後におつりやレシートを受け取るときに「ありがとうございます」とこちらから声をかけることはあっても、あいさつはしていなかった。

もちろんフランスと日本の文化の違いはある。日本では、あいさつをしなくても、客として受け入れてもらえるだろう。でもあいさつをするのは、とても気持ちのいいことだ。短い時間のやりとりであっても、お金を支払う側と受け取る側であっても、そこには間違いなく一つの人間関係があるわけで、その始まりのタイミングにあいさつをすることは、ごく当たり前のことだ。むしろ無言なんて、失礼な気もしてくる。相手は無人レジやロボットじゃない。
帰国してからも、店員さんにあいさつをしてみようかなと思った。気恥ずかしくてできないかな、とか、まあそこまで気張ることでもないかなとも思ったりもしたけれど、せっかく身につけた気持ちのよい習慣を持ち帰りたいと考え直した。

そして今、私は、スーパーでもコンビニでも、必ず、朝なら「おはようございます」、昼なら「こんにちは」、夜なら「こんばんは」、とあいさつをしながら、カウンターにかごを置く。さすがにフランスにいた時のように、目を合わせて、というところまではやっていないけれど、よろしくお願いします、という気持ちを込めて、笑顔であいさつをしている。
慣れてしまうと、気恥ずかしさなんて感じない。当たり前のことになってきている。
たまにどうしても気が滅入っていて、声が出ないこともあるけれど、そういうときは申し訳なく感じてしまうくらいだ。

そのおかげなのかどうか分からないけれど、イヤな思いをしたりすることはなくて、いつも気持ちよく応対してもらえている気がする。何かちょっと問題があって言っておきたいなという気持ちになった時も、苦情というニュアンスではなく、お願いという感じで言えるようになった。
レストランでごはんを食べておいしいなあと思った時は、ごちそうさまでした、だけでなく、おいしかったですと伝えるようにした。店員さんがあとで調理した人に伝えてくれると嬉しい。
先日は、地元の洋品店で次男の体操服を購入しようとしたら、最初からぜっけんが縫い付けられていた。久しぶりにミシンを出すか、手縫いしなきゃいけないと覚悟していたから、その思いやりあるサービスに感動してしまった。
「最初からぜっけんが縫い付けられているんですね、すごく助かります」
と声をかけると、店員さんも少し誇らしげに笑った。
「いろいろ準備があって、大変ですからね」
と返してくれた。気持ちが伝えられて良かった。

こちらはお金を出しているのだから、あいさつなんてしなくていいじゃないか、という考え方もあるかもしれない。本当にそれでいいのだろうか。
ちょっとお金を払うだけで、私たちは色んなものを入手できる。目の前にいる店員さんは、ただレジ打ちをしてお金を受け取り、レシートとおつりを渡してくれるだけかもしれない。けれど、そこにやってくるまでに、たくさんの人の仕事が積み重なって、私の目の前にその商品がある。ちょっと大げさかもしれないけれど、目の前にいる店員さんは、その最後の仕上げとして、私にそれを手渡してくれるのだ。その店員さんとのやりとりを大切にすることは、その前の色んな人の仕事のことを思い起こさせてくれる。私たちは、誰も一人で生きられるわけじゃない。色んな人が複雑に関わり合い、はっきりとは見えなくてもお互いに支え合っている。だからこうして便利に暮らすことができるのだ、ということを意識できる。
そして最後には、「ありがとうございます」と言って、お店を後にする。袋の中の商品は、単なるモノではなくて、たくさんの人の手によってつくられた大切なものになる。そして少し幸せな気持ちになって、また明るい気持ちで、その日に会う色んな人とあいさつを交わすことができる。もしかしたら、店員さんも同じ気持ちになれていたとしたら嬉しい。
お金を払っているのだから、あいさつなんてしなくていいじゃないか、お礼を言わなくてもいいんじゃないか、という気持ちは、自分の権利を振りかざしているように見えるけれど、結果として、目の前の商品を手に入れられる幸せに気付けない。だから、そんな風に考えるのは寂しいことだと思う。

校長先生の2つ目の魔法の言葉は「ありがとうございます」だった。今度のお手本は、副会長の女の子だった。
「ありがとうございます」
少し高い声が、体育館いっぱいに広がった。新入生たちも、校長先生に促されて、「ありがとうございます」の練習をする。
私自身もこの2つの言葉を大事にしていきたいし、子どもたちも習慣にしてもらいたい。そしていつか、その深い意味と、強い言葉の力に気付いて欲しい。私は、みんなが笑顔のあいさつを大事にすれば、明るい気持ちが伝染して、やがては世界中に広がっていくのではないかと、ちょっと本気で信じている。

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