プロフェッショナル・ゼミ

事故《プロフェッショナル・ゼミ》


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記事:山田あゆみ(プロフェッショナル・ゼミ)
 
私が運転する車は、緩やかにスピードを増しながら、坂道を走っていた。
ブレーキをいくら踏んでも車に伝わる気配が無い。
これ、車、壊れてる。
いつも通り、ブレーキでスピードを緩めようと軽くブレーキを踏んでも反応がない。
思い切ってがっつり踏んでみたが、全くきかない。
ハンドルは操作できる。でも、この坂を終えると、国道だ。
国道に入る前に、一旦停止ができないとどうなる?
たぶん、他の車にぶつかる。
 
人を事故に巻き込むよりは、自分で事故した方がマシだ。
その一瞬で、私はそう判断した。目の前に柵があった。そこに車を当てようと思った。
それで車を止めよう。
 
私は、柵に車ごと思い切りぶつかった。
がんと鈍い音がした。
身体が固まった。
 
その柵は、地上から3メートルほどのところにあった。
 
柵にぶつけてもなお、車は止まっていなかった。
え? え? え? え?
 
太陽の光が、全身に降り注いだ。眩しい。
浮いている。車が宙に浮いている。
 
それでやっとわかった。
あ、私これ柵を突き抜けたんだ。突き抜けてしまったんだ。
 
全てがスローモーションになった。
 
スパイ映画か。思わず、自分に突っ込む。
というか、そんなこと思っている場合か。
 
あぁ。こうやって、人はある日突然死んでしまうんだな。
静かにそう、思った。
実に、呆気ないもんだ。
 
もっと行きたい場所、いっぱいあったのに、なんで行かなかったんだろう。もっと、好きに生きれば良かった。あの人にも、この人にも、もう会えないなんて辛い。そう思いながら、あー、なんか死ぬっていうのに考えることって、情けないほど、小さなことなんだな、と思った。
 
車は、ゆっくり落ちていく。
たったの一瞬で、こんな小さな判断ミスで、死ねるんだな、人って。
 
バンっとものすごい音がした。
車が地面に落ちた音だろうか。
 
何かが焼けたような、すごく嫌な匂いが、車内に立ち込めた。
エアバックが開いたせいのようだった。
全てが、真っ白になった。
私、死んだんだな、と思った。
 
車の窓をコツンコツンと叩く音が聞こえた。
ぼーっと車のドアを開けた。
 
「早く、出なさい。爆発するかもしれないから。急いで!」
 
そのまま、外へ出た。
 
どうやら近くのお店の方が、事態に気がついて助けに出て来てくれたらしかった。
 
「大丈夫? 怪我は?」
 
その方は、私の頭の先から、足のつま先までを心配そうに目で追った。
 
そこで、気がつく。
あー、私死んでないんだ。まだ生きてたんだ。
足が震えていた。
手のひらに爪が食い込んでいた。
それにも気が付かないくらいに強く手を握りしめていたのだった。
 
車は、大破してしまって、もう修理もできない状態になっていた。
廃車にせざるを得なかった。
 
ただ、幸いにも私が起こしてしまった事故に巻き込まれた方は、一人もいなかった。本当に良かった。
そして、私もありがたいことに、怪我ひとつなかった。
 
奇跡的だ、と駆けつけた警察の方に言われた。
普通、あんなところから落ちて、無傷なんてことは、ないですよ。
無事で良かった、と。
 
よく、免許更新に行くと見せられるドラマを思い出した。
たった一度の事故で、人生が変わってしまうドラマだ。
 
人を死なせ、自分も大怪我を負い、多額の借金を負う……
そうなってもおかしくない状況だった。
 
震えはなかなか収まらなかった。
それでも何とか、私は警察の方と実況見分を行い、車両保険に電話し、会社に電話し、車をとりあえずは車屋さんに持っていく手はずをつけた。
 
とりあえず、すぐに終わらせなくてはならない処理が、一通り終わって、やっと一人になった時には、日は暮れて、夜になっていた。
街のライトが、いつもより鮮やかに目に映った。
その光を見ながら、歩く。
震えはやっと収まったけれど、体はまだ強張ったまだだった。
気を張っていたから、気がつかなかっただけで、本当はどこか、骨が折れているんじゃないか、と、ふと思い、手と足を思い切りぶらぶらと動かしてみた。
ちゃんと動く。
そうしながら、猛烈に、あぁ、私はまだ生きている、ちゃんと生きているんだ、と思った。
思わず涙が溢れた。
生きている、自分で確かに歩いている。
それって、どれほどすごいことか。生きているって、なんて奇跡の連続なんだろう。
日常には、いつだって死の可能性が潜んでいた、これまで意識していなかったけれど。
いつ自分が事故を起こすかわからないし、いつ誰かが起こした事故に巻き込まれるかわからない。
私は、幸運にも大丈夫だったわけだけど、死んでいたっておかしくなかった。
打ち所が悪かったら、車がどちらかに傾いていたら、死んでいただろう。
 
これまで、特に命の危険を感じることなく生きて来られたというただそれだけでも、ものすごくラッキーなことなのだ。
それに、私はまだ、生きていいんだ。生きていけるのだ。
なんて、ありがたい事か。
 
それから、死ぬんだ、と、半ば悟った時の感覚が、もう一度しっかり蘇ってきた。
 
もっと色々な場所に出かけたら良かった。大好きな人たちと、もっと時間を共にすれば良かった。
 
もう死ぬかもしれないという劇的な瞬間に浮かんだのは、そんな後悔だった。
 
最近、どうやって生きていこうか、とか、毎日これでいいのかとか思っていた。
生きた証として、この世の中の役にちょっとでも立たなきゃいけないんじゃないか、と考え込んでしまうこともあった。
もっと、世界のために、人のために、家族のために、この町のために、何かしなくちゃいけないことがあるんじゃないか?
 
そんな事を思っていた。
 
でも、死ぬかもしれないと覚悟したその瞬間に、頭に浮かんだのは、もっと立派に生きれば良かったなんて後悔ではなかった。
所詮、私は自分が一番大事な自己中心的な人間でしかないのだった。
自分が一番可愛い。
 
世の中の役に立てなかった事なんて、全然微塵も後悔しなかった。
壮大な、例えば本をいつか出版したいとか、そんな夢を成し遂げられなかった事を悔いるのでもなかった。
 
もっと色々な場所に行けば良かった、あそこにも行ってみたかったという、満たされなかった小さな欲求が浮かんだだけだ。
それから、家族や友人のことが浮かんだけれど、それもただ、会えなくなると寂しいな、という自分の気持ちだけだった。
彼らの幸せのためにもっと役に立てていたら良かったのになんて立派で真面目なことも、残念ながら、微塵も頭をよぎらなかった。結局自分のことしか考えていなかった。
全く、ちっぽけな人間だな、と思う。
一大事だというのに、後悔の中身がしょぼすぎる。
 
行きたい国に行く事なんて、簡単な事だ。特別な能力なんて必要ない。
大事な人たちと時を過ごすのだって、そんなに難しい事じゃない。
いつだって出来る事だ。
そんな事を後悔するなんて、残念だ。
 
でも、私が心から望んでいる事って、そんなに大したことじゃなかったんだな、と思った。
そうであれば、自分で自分を幸せにするのって、案外簡単な事なのだ。
 
本当に今、心からやりたいことを、思いのままにやったらいいんだ。
行きたい場所には、どんどん行ったらいい。
会いたい人には、どんどん会ったらいい。
多分、それでいいし、それがいいのだ。
 
無理に立派な人になろうとしなくてもいいし、人から尊敬されるような壮大で深遠な夢を描かなくてもいいのだ。
 
自分に嘘を付くことなく、今、本気で本当にやりたいことに忠実であろう。
しょぼくても、ダサくても、そうしよう。
 
そう決意した私を、夜の風が、やさしく包んだ。
 
***

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