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「アリー」に見る成功とプレッシャーの源~英語と日本語の文化的な違い~


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:松原 さくら(ライティング・ゼミ特講)
 
 
「You are OK! You are OK!」(あなたは悪くないの! あなたは悪くない!)
「Thank you but……」(ありがとう、でも……)
 
映画「アリー/スター誕生」を観た。
久しぶりに劇場で観た映画は私の心を激しく締め付けた。
劇場で映画を観て、冷静でいられなくなることが多々ある。
劇中の人物に自分の気持ちがシンクロし過ぎて苦しくなるのだ。
この映画でも、やはり私の心がどうしようもなく大きく振れた。
自分を抑えるために記事を書かずにはいられなくなる程の名作だった。
 
冒頭のセリフは少々ネタバレを含む。まだ観ていない人は、以下の文章を読む時に注意して欲しい。
内容を知りたくない場合は、この記事を読まないで「閉じる」ボタンを押してもらえたらと思う。
 
私が強く感じるのは、英語圏の文化をこんなにも身近に日本で得られるという驚きだ。
言葉というのは、良かれ悪しかれ文化も紐づき全てを包括している核のようなものだと思う。
その言葉を話していると、自然とその文化圏に包まれる。英語を話している間は、英語圏の文化的感じ方、考え方に感化されていると思う。自己主張を良しとする文化。どんな境遇の人や物にも、素晴らしい部分があれば絶賛する文化。スピーチを大切にして、ユーモアや感謝を要求する文化。家族との時間をなにより大切にする文化。
最近、日本語を流暢に話す外国人が増えているが、彼ら彼女らも日本語を話す瞬間に日本文化に包括されているに違いない。日本独自の建前と本音、表の会議と本番前の根回し、恥ずかしがる文化やみんな一緒でいたい文化について、最初は奇異に感じていても、日本語を話しているとその文化の中に自然と入ってしまっている。
 
日本語の字幕を目で追いながら、耳ではアリーとジャックの声を追いかけている。
英語のニュアンスで物語がより突き刺さる。
 
華やかな音楽のステージに立つというのは、相当なプレッシャーを伴うものなのだろう。
どうしようもない、幼少期の苦しい生い立ちがステージに立つ原動力であったとしたら、そのステージに立ち続けるプレッシャーも、また苦しい道なのだ。
どのくらい苦しいと感じるかは、その人の持つ性質によるところが大きいのではないか。
優しすぎる人、人いちばい敏感な人が、大勢の人の前で披露するステージに感じるプレッシャーは、そうでない人に比べて何倍も大きくなるだろう。
そんな時に、何かに依存せずにはいられないのかもしれない。例えば薬物とかアルコールとか。それなくしては生きていられない程、繊細であるから、ステージで表現できるのかも知れない。
しかし、往々にして依存しながらの生活には支障が出る。まともな対応を厳しく求めるのは、英語圏の上流階級のマナーだ。
日本のように、全員が同じような服を着て、同じような食べ物を食べ、同じような発言をしていることは強制されない。しかし、個人の自由は守られる反面、人が集まった時のルールに反した場合、激しく非難される。日本の飲み会でベロベロになっても、まあまあ、と暖かい目で見てもらえるのとは訳が違うのだ。
 
優しく繊細な人が、依存する物を奪われて、なお、厳しい世界で生きなければならない時、自分の中で限界が来たとして、それは自然の摂理だと思う。
産まれながらの性格が、創造性を生み、また他方で生きる限界を知らせる。
この世の素晴らしい創造性とは、なんと儚いものなのだろうか。
そんな崖の淵に立って創り続けるアーティストの、行き詰った想いが私の中に注入され、どうしようもなくなる。
いっそ、普段は一滴も飲まない酒をがぶ飲みして、海に飛び込みたい気分だ。
いや、いけない。こんな日常的な1編の映画でへこたれては……。
 
今、私が住んでいる日本では、何かに依存したり、飲み会で飲みすぎたりしても、そこまで糾弾されることはない。
日々、厳しくなっている日本の世論だが、その矛先はやや個人的な感情に振り回されている感がある。
英語圏の社会の持つ厳しさが、人いちばい敏感で優しい人の弱さを切り捨てようとする。その文化的背景がある一方で、素晴らしい創作に対して、全員が拍手を惜しまない文化でもある。
 
日本的文化では、創作が素晴らしく見えてもできるだけ「みんな一緒だよね」と納めつつ、何かに依存していても「一緒に頑張ろうね」と集団に取り込もうとする。
大きく違う場所にいながらにして、映画を観ている間は、異文化の一員になれるのだ。
 
この世界には、どれ程の価値観と社会的行動規範と、素晴らしい文化的創造があるのだろうか。
私の短い一生では、全てを知り尽くすことは到底できない。
でも、今の日本に生きていることで、多くを知る機会があると実感する。
映画を観るのもその一つ。海外へ出かけられる国籍であることもその一つ。外国人が好んで日本語を学ぼうとしてくれる世界的価値があるというのもその一つ。
 
この恩恵を享受していることに、感謝の限りを尽くすことで、「アリー」の映画で感じたやるせない気持ちを昇華させよう。
世界中にある繊細さと弱さと困難に立ち向かっている人々へ、少しの安らぎと微笑みが側にあることを祈って。
 
 
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2019-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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