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え? 私は毒親に育てられたの?~自分のせいにすると自分を好きになれない理由


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:ヒラタアキ(ライティング・ゼミGW特講コース)

「それは毒親だ」

心の病について研究している人から言われた。

え? そうなの? 私は毒親に育てられたの?

毒親という言葉は知っていた。
ウチの母もそうなのかな……と、うすうす思ってはいた。

しかし、認めたくはなかった。何より、「毒」という響きが強烈すぎる。

毒ってほどじゃないし……。
私が受け止められなかっただけだし……。

自分の身内を「毒」扱いすることには、やはり抵抗があるのだろう。多くの子どもが、「自分が悪かった」と感じるようになるようだ。

だが、キッパリと断言された。

「100%、あなたのせいではない。毒親のせいである」

「毒」とは、「自分にとって、健康を害するもの」という意味だ。自分の健康をおびやかすならば、それは「毒」なのである。相手に悪意があるかないかは関係がない。

子どもは、親のために必死になるものだ。親に愛されたい。親を助けたい。親をラクさせてあげたい。
人生のすべてをかけて、「親のために生きている」といっても過言ではない。

けれども、どんなに頑張ったところで、未熟な子どもである。完ぺきにやり遂げられることなんて、何一つない。

そのときに、親に叱られたり愛されなかったりすると、たちまち自信を失ってしまうのだ。そうして「自分は親を助けられなかった」という罪悪感をつのらせていく。

何をやっても満足できなかったり、完ぺきにできない自分を責めてしまったりするのは、そのせいである。

そういうことが日常的に繰り返されてきて、なおかつ、自分の生活に支障が出ているのであれば、それは「毒親」と認定して良いらしい。

それを聞いた私は、少しホッとした。

その一方で、自分の親を「毒親」だと呼ぶことには、ためらいも感じた。
きっと、「母親とは神聖なもの」というイメージを、くつがえしたくないからなのだろう。

母親は神聖である。この世でただひとり、自分のことを抱きしめてくれる、やさしくて美しいヴィーナスだ。

だからこそ、その笑顔を受けとることができないのは、自分のせいなのである。

どれだけ苦しい思いをしても、どれだけの月日が経っても、親を責めることもできなければ、親を捨てることもできないのは、ヴィーナスという幻想を捨てられないからだ。

心理学では、「事実の否定」ということが実証されている。
心は、自分にとって不都合な事実を、たいしたことがないかのように、あるいは、そもそも存在していないかのように見せることが、よくあるというのだ。

親は立派な人間だと、信じていたいのである。

では、「毒親」だと認めるメリットは何か?

それは、「母親とは神聖なもの」という妄想を打ち砕くことで、相手も人間なんだと実感できることである。

「神聖なもの」だと思い込んでいるうちは、感謝しなければならないと思い、感謝できない自分を責めるようになる。

「感謝できるような行動をしてくれ!」というフラストレーションがたまるのだ。

しかし、その思いを親にぶつけることができないため、心の中にはいつしか、「怒りのモンスター」が住みついてしまう。

問題行動を起こすようになるのは、そのモンスターのせいである。

だから、知らねばならないのだ。母はヴィーナスではないことを。

私は、人間に育てられた、人間の子どもなのである。
感謝できないことも、許せないことも、あって当然だ。

そのためには、一度スッキリと、「お前のせいだ!」と言ってしまったほうが、心の回復は早い。

「悲しみ」とは、「喪失の体験」を指すのだという。何かを失ったときに抱くのが、「悲しい」という感情である。

人は、失ったことを悲しまなければ、前には進めないのだ。

私は幼い頃、2つの願いを失った。
それは、「仲の良い両親に育てられたい」という願いと、「母に愛されたい」という願い。

母は、父を憎んでいた。毎日毎日、父がどれだけ悪い人間かを、私に言って聞かせた。私は、「母を助けよう」と純粋に思っていたものだ。

しかし、そのあとで言われるのだ。「お前は、父親そっくりだ!」と。
私が私であるかぎり、母には愛されない。

私はそのことを受け止め、ちゃんと悲しまなければならない。
そのためには、次のような言葉を声に出して言うことが、効果的だそうである。

「私は、いつの日か自分の家が幸せな家庭になってくれたらという幻想を、いまここに捨てる。
私は、もし親がああではなかったら、もしこうだったなら、などという希望や願望を、いまここに捨てる。
私は、子供の時に親を変えるために何かできたのではないかという幻想を、いまここに捨てる。
私は、愛情ある素晴らしい親を持つことは永久にないであろうということを、いまここにはっきりと自覚する。
私は、そのような親を持てなかったことを、深く悲しむ。
だが私は、この現実をそのまま受け入れる。
そして私は、すべての幻想には永遠に、そして心静かに、別れを告げる。」
(「毒になる親」スーザン・フォワード著)

これは、自己憐憫とは違うらしい。

しっかりと現実を受け止め、きちんと怒り、きちんと悲しむことでしか、希望は生まれてこないのだ。

悪いのは、私じゃない。
そして、無邪気な子ども時代を奪われたことに、怒り、悲しみ、最後は別れを告げる。
それが心の回復のプロセスというものである。

「毒親」の響きが悪いのは、「すべてを他人のせいにしている」というイメージが強いからだろう。

しかし、勘違いしちゃいけないのだ。
「自分を見つめなさい」と言うのは、すべてを他人のせいにしている人に対してである。
すべてを自分のせいにしている人には、「環境のせいだ」と言うことだ。

自分のせいにしているかぎり、自分を好きにはなれないからだ。

不思議だが、人から「あなたのせいじゃない」と言われたことで、前に進みやすくなった気がする。すっきり解決というわけではないが、糸口は見えてきたように思う。

「自業自得でしょ」と言われ続けたことで、私の心は、身動きできなくなっていたのだ。

だから、周囲に同じような人がいたら、ぜひ言ってあげてほしい。

すべては環境のせいだ! あなたは何も悪くない。
怒り、悲しもう。そして前へ進むのだ。

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2019-05-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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