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メディアグランプリ

「悲しみのものさし」 私が望む死に方


 
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:江戸しおり(ライティング・ゼミGW特講コース)
 
 
私は人よりも「死」に触れる機会が多いと思っている。ご近所が高齢者ばかりだったせいか、小さな頃からお葬式ばかりで、幼稚園に入る前には一人でお焼香ができていたくらいだ。
 
「人は死ぬ」
 
それはひどく悲しいことであり、それでいて誰にでも平等に訪れる避けようのない事柄のようだ。物心がつくと同時にそのことを理解していた気がする。いやむしろ、死によって、自分を取り巻く世界がどのようなものなのかを理解したのかもしれない。
 
私が初めて強烈な死のにおいに触れたのは、2歳の時のことだった。
 
殺風景な病室。
消毒液のにおい。
ベッドに横たわる男性。
繋がれたチューブ。
 
「ああ、この人は死ぬんだ」
 
そう思ったことをはっきりと覚えている。
 
けれど恐怖や悲しみはなかったと思う。それよりも私は、あまり気に入っていないオーバーオールを着ていて、そのことが時折気がかりだった。
 
しばらくして彼は奇跡的に生還する。彼は私の大叔父さんなのだが、大叔母さんの旦那さんなので、生物学的な血の繋がりはない。
 
私には親戚が少ない。母は幼い頃に父親を亡くし、父方の祖父母は私が産まれる直前に相次いで亡くなった。一人っ子や結婚していない人も多く、いとこもいない。一方父方の曽祖母は元気すぎるくらい元気で、92歳まで生きていた。だから私は10年以上、父と母と曽祖母と4人で暮らし、それ以外の親戚との付き合いは縁遠かった。
 
けれども、祖母にすら数年に一度会う程度の私が、大叔父さんの家には年に1度必ず顔を出した。誰よりも遠くに住んでいるのに、だ。
 
同居の曽祖母にはあまりなつかず、普段から親戚付き合いに慣れていない私は、普段関わることのない年齢層の人間が多くいるその家で、どう振る舞うべきかいつも迷っていた。迷って迷って結局何も話せず、聞かれたことにだけ「はい」「いいえ」と答えた。お茶を飲んだりみかんを食べたり、その家にいる犬や猫とたわむれたりすることで、時間をやり過ごすようにしていた。
 
けれども大叔父さんは私が訪ねると毎回、嬉しそうに私の名前を呼ぶのだった。私は毎回考えていた。この人は私のことをどう思っているのだろう、と。血の繋がりもない、年に1度しか会うことのない女の子に、愛情を感じるものだろうか。大叔父さんの嬉しそうな笑顔が、私にはいつも疑問だった。
 
大人になると、以前ほどはその家に顔を出すこともなくなってしまった。しかし、「忙しいだろうから来なくてもいいよ」という父の連絡に、都合がつく限り「行く」と答えていた。
 
あの家への訪問は、私にとってなんだったのだろう。
その答えはいまだに出ていないのだけれど、義務でもなんでもなく、私が行きたい、会いたいと思うからこその訪問であったことは間違いない。
 
あの奇跡の生還から約25年。大叔父さんは、幾度も危機を乗り越えた。入院した、病気になったという連絡をもらうたびに、「ついに……」という思いが何度も浮かんでは、次の訪問ではいつもの笑顔の大叔父さんが待っている。
 
「この人は不死身なんじゃないか」そう思っても不思議ではないくらい、私と会うときは大抵元気なのだ。
 
今年の夏、私は結婚式を挙げる。もちろん大叔父さんにも来てもらう気でいた。
 
しかし昨年、大叔父さんはまた具合が悪くなったらしい。けれども、いつものことだ。結婚式の頃にはまた元気になっているだろう。私はそう思っていた。一応お見舞いに行く予定も入れていたのだが、ちょっとしたことでタイミングがずれてしまい、行かず仕舞いになってしまった。
 
それっきりだった。次に会った大叔父さんは、もういつものように笑顔で名前を呼んではくれなかった。お葬式の会場には、大叔父さんが生前に書いた絵がたくさん飾られていた。絵を描くのが好きだなんて、少しも知らなかった。
 
私は人生で初めて、お葬式で泣いた。血の繋がった曽祖母のお葬式でさえ、冷めた目で見ていた私が。
 
血も繋がっていないのに、二十数回しか会ったことがないのに、こんなにも死を悲しむことができるんだ。私の心の中には、大きな悲しみと戸惑いが生まれていた。
 
薄々気づいてはいたのだが、彼は私にとっておじいちゃんだったのだ。おじいちゃんという存在を知らない私が、「おじいちゃんがいたらこんな感じなのかな」と想像できる、唯一の人だったのだ。
 
死の悲しみは、血の繋がりでも一緒にいた時間の長さでもなく、過ごした時間の密度で変わる。そう感じた。
 
高校時代、父の親友が突然亡くなって、その時初めて人の死で泣いた。彼も年に数回しか会わない人だったし、もちろん血の繋がりもない。けれども私にとってはもう一人のお父さんのような存在で、突然会えなくなってしまったことにひどく動揺した。大叔父さんの死は、彼の死を思い起こさせた。
 
私が誰かの「死」に涙したのは、その2回だけだ。
 
もうじき私の結婚式がある。2人の席は用意してある。来てくれるといいのだが。
 
結婚したばかりの夫やまだ長生きしそうな両親の手前、私はしばらく死ぬことはできないだろう。しかし、遅かれ早かれ私にも死の瞬間がやってくる。その時、誰が私の死を悲しんでくれるのか、今はまだ想像しきれない。
 
願わくば私のように、血の繋がりも濃い付き合いもないにも関わらず、どうしてか涙が止まらないような悲しみを感じてくれる誰かが1人でもいてくれればいいと思う。
 
それが私の望む死に方だ。
 
そして、私の望む生き方だ。

 
 
 
 
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2019-05-06 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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