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週刊READING LIFE Vol,95

“逃げないための逃げ道”という、空気穴 《週刊 READING LIFE vol,95「逃げる、ということ」》


記事:竹下 優(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)
 
 
「今回はアイツの逃げ道、絶対潰してやらないと」
壁の向こうから、先生の声が聞こえる。
もしかしたら、私のことかもしれないな……
そう考えるとキリリと胃が痛む。
先生は優しいけれど、一旦叱るとなったら、とことんまで追い詰めてくる人だ。
個別に呼び出されて、延々と叱られたらどうしよう……
中学2年生の冬。
高校受験に向け、志望校を決める大切な模試だというのに
もう、目の前の答案用紙を埋めるだけの集中力はカケラも残っていなかった。
 
予感、というのは悪い時のほうが当たるものだ。
模試が終わるやいなや、私は別室に呼び出され
そこには既に、母が座っていた。
 
「小学生の頃から教えていますから、この際ハッキリ言いますね。
中学に入ってからは、小さい頃の貯金でやりくりしているようなものです。
成績は停滞、“頑張って勉強している”という姿がまるで見えないんですよ」
 
小学4年生から学習塾に通い始めた私は、
本好きが高じて、塾のテキストを熱心に読みふけった結果
特に文系教科において、成績はかなりの向上を見せた。
その時から、ずっと授業を担当してくれていたのが先生だ。
“厳しくも優しい”を体現する先生は、
宿題を忘れたり、テストで合格点を取れなかったりすると
「何で出来なかったのか、説明してみろ!」と物凄い剣幕ですごむ人だったが
少しでも“努力の跡”が見えると、くしゃくしゃの笑顔で
「頑張ったなぁ!」と頭を撫でてくれた。
 
私は先生に褒められるのが大好きで、
宿題はいつも、出された範囲より多めに解いて持っていったし
先生の担当科目は、成績上位者として名前が貼り出されるくらい、点数が良かった。
他の生徒が怒られることはあっても、私が怒られる事はほとんどない。
それが嬉しかったし、なんだか誇らしい気持ちになったものだ。
 
雲行きが怪しくなったのは、中学に入って、しばらくしてからだった。
元から“読書”の対象にならない、算数と理科は苦手だったのだが
中学に進級してから、瞬く間に分からない事が増えてしまったのだ。
“かろうじて分かる”という状態の内に、
教科書やテキストをしっかり読み込み、演習問題を繰り返し解いていれば
更なる惨事は防げたのだろうが、いかんせん楽しくない。
後回しにしていたせいで、
理系教科は“学校の授業についていくのがやっと”というレベルにまで下がってしまった。
 
既に進学したい高校は決まっていたので、
「このままじゃ、ちょっと危ないかなぁ」という自覚はあったのだが……
まさか親まで呼び出されるとは。
 
「なんとかなる、と思っているのが透けて見えるんですよ。
長い付き合いですから、優に“甘えグセ”があるのは僕も分かっています。
ここで心を入れ替えないと、希望の進学先に合格できない危険性もありますよ」
 
話の間じゅう、ずっと下を向いていた。
痛いところばかりを突かれて、悔しくて悲しくて、言葉が出てこない。
先生の顔をみたら、鋭い眼差しに気圧されてしまうだろう。
横にいる母はきっと、般若みたい顔をしているに違いない。
 
「中学受験もしなかった、部活もすぐに辞めてきた。
人生なんでも、逃げれば解決すると思うのは終わりにしないといけませんよ」
 
おっしゃる通りだ。
学習塾では“中学受験コース”を選択していたにも関わらず
「算数と理科をいっぱい勉強するのは面倒くさい」と受験勉強を拒否。
地元公立中学に入ったあとは、興味本位で部活に入ってみたけれど
人間関係も複雑だったし、「休みの日まで学校に行くのは楽しくない」と
夏休みを待たずにさっさと辞めてしまった。
 
決して褒められた話ではないのは、自分でも分かっている。
両親は何も言わなかったけれど、
堪え性のない娘に、内心では呆れているだろうなとも推察していた。
 
それを、母も同席している場所で、先生から指摘されるなんて。
心がぐちゃぐちゃになり、泣き出しそうになるのを我慢するのが精一杯だった。
 
「あんた、塾どうするの?」
こっぴどく叱られてから2ヶ月あまり。
先生と顔を合わせるのが気まずくて、冬休みは別の有名な学習塾の体験講座に通っていた。
冬休みも間もなく終わり、元いた場所に戻るか、辞めて別の塾に入るのか。
いい加減、選択しなければならない時期に来ていた。
 
本来ならば、「良い気分転換になったな」と思い
休みが終わったら先生のところに戻るべきだろう。
 
冬期講習に通った進学塾では、意外や意外
学区ナンバーワンの進学校を目指すクラスに入ることが出来たおかげで
再び大手を振って“ぬるま湯生活”を送ることができていたのだから。
 
先生は、私の“楽な方に流される”という悪い癖を見抜いたうえで
激励の気持ちも込めて、叱ってくれたんだ。
それに気づいた今、先生に感謝こそすれ、先生を嫌う気持ちなんて全くない。
 
「ここで一生懸命頑張ったら、きっと私も変われるはずだよね」
 
そう思うのに、どうしても決心がつかない。
先生の顔を見る勇気もなければ
あの塾で一生懸命勉強している自分の姿も想像できない。
 
「きっとまた、頑張れなくて失望させて、怒られてしまう……」
 
結局私は、お説教の日を最後に、二度と先生のもとに戻ることはなかった。
「お世話になりました」くらい、直接言えば良かったのだけれど
また叱られるかもしれないという恐怖心と
またも“逃げ出した”という自分への罪悪感から
学習塾を辞めるという電話も、母にかけてもらったのだった。
 
また、逃げちゃったな。
 
「逃げてばかりじゃいけない」ということくらい、痛いほど分かっていた。
最後にもう一度、先生に褒めてもらいたかった。
どうして私は、“やり抜く”ということが出来ないんだろう。
 
当時、周りには“ひたむきに頑張る人”は山のようにいた。
志望校への合格を目指して勉強する人はもちろん
部活のレギュラー獲得を目指して、日夜トレーニングに励む人。
趣味を仕事にしたいと言って、四六時中、画を描いている人もいた。
 
かれらの集中している横顔の、なんと美しいことか。
心の底から憧れたし、私も彼らの仲間入りをしたいと願ったものだ。
 
どうして、逃げてしまうんだろう。
 
その答えを見つけるのは、少し先。
希望していた高校に通い始めた夏のことである。
 
「クラスを代表して、あなたに暗唱大会に出てもらいますよ。
代表なんですから、必ず入賞しなければ。
夏休みは毎日、学校で練習しますから、そのつもりで」
 
進学先は英語教育に力を入れており、
入学早々、英検やTOEICの勉強が始まったのはもちろん
英文の暗唱やスピーチ、ディベートといったコンテストに
片っ端からエントリーするような高校だった。
 
生徒は英語の勉強が好きで
将来は何らか英語を使った仕事に就きたいと思っている子達がほとんど。
当然、“クラスの代表”として大会に出場することを
希望している生徒もそれなりにいた。
私もぼんやり「出てみたいなぁ」と思ってはいたけれど……
 
「何回言ったら分かるんです!
“p”の発音はもっと、空気が破裂するような音を出しなさい!」
 
小柄で凛とした先生から、矢継ぎ早に手厳しい指摘が飛んでくる。
ハイジに出てくる、お屋敷のおばさんみたいだな……
名前なんだったっけ……ロッテンマイヤーさん、だったかな?
ボーっと、そんな事を考えていると、ぺちっと頭をはたかれた。
 
文字通り、夏休みの練習は“毎日”行われていた。
5分に満たないような原稿を、上手く読めるように
何度も何度も、一音一音、細かく発音練習を繰り返す。
審査員が聞き取りやすいよう、大きな声を出すべく、腹式呼吸の発声練習も欠かせない。
教室のベランダに立ち、先生にお腹を押されながら下に目をやると
補習授業が終わり、楽しそうに連れ立って学校を去る友人たちの姿が見えた。
いいなぁ、私もみんなと一緒に、駅前のベンチでジュース飲んでダラダラしたい。
 
「先生、これ毎年、みんな最後まで頑張れるんですか?」
恐る恐る聞いてみると、先生はいたずらっぽくこちらを一瞥した。
 
「あなた、まぁだ本気で頑張っていないでしょう?
あなたは多分、一直線になるのが怖いタイプなんだと思いますよ。
なぜ怖いのか、それが分かったら頑張れるはずだから、考えてみると良いでしょうね」
 
一直線に頑張るのが、怖い。
 
それまで考えたことも無かったけれど
確かに、過去に逃げ出した事はいずれも
“本気で頑張る”よりちょっと前の段階で諦めていた。
 
なぜ、頑張ることを怖いと感じてしまうのだろう…
誰も居なくなった教室で、プリントの裏側に鉛筆を走らせた。
 
【怖いと思うもの】
怒られる・嫌われる・失敗する
ひとりになる・何も持っていない
 
そうか。
私は、頑張ったら褒められたい、成果が欲しい。
だけど、もし失敗したら?怒られたら?
頑張ったことは全て無駄になってしまうのではないか。
そう思うと怖くなってしまって、チャレンジするのを躊躇ってしまっていたのか!
でも、失敗のリスクはいつだってつきもの。
リスクを軽減するなんて、出来るのだろうか?
 
「先生、私、失敗するのが怖くて、頑張れなかったみたいです」
翌日、先生にそう告げると、思わぬ答えが返ってきた。
 
「そういう人はね、1つのことに集中するのではなくて
2つ以上のことを同じだけ頑張ると良いと思いますよ。
その分大変だけれど」
 
「1つじゃなくても、良いんですか……?
高3まで部活を頑張って、引退したら勉強を頑張る、みたいに
1つのことをやり抜くことが大切って言うじゃないですか」
 
「たった1つ、を見つけられたら幸せなことですが
あなたの年齢では、難しいことだと思いますよ。
いくつか同時に走って、その中で残ったものが
あなたにとっての“たった1つ”と思えば良いのではないですか?
だから、暗唱の練習のほかに、なにか頑張りたいことを見つけなさい」
 
この“同時並行から、取捨選択すれば良い”という考え方。
今思えば至極まっとうなご意見なのだけれど
幼い頃から、学校や家庭で
“やり抜く”美徳を折に触れて教え込まれてきた私にとっては
目からウロコの、とても斬新な考え方だったのである。
 
いくつか同時に頑張っておいて、その都度、取捨選択をする。
これは言い換えれば“逃げ道を用意しておく”ということだ。
褒められた話ではないように感じられるけれど、
いざ実践しはじめてみると
“逃げないための逃げ道”は必要だと、つくづく思う。
 
ひとつの事柄を必死に頑張っていると、
ふっと不安に駆られることはないだろうか。
「このまま頑張っていて、ちゃんと成果は出るのか」
「あ、いま追い詰まって身動きが取れなくなっているな」
一度、そんな気持ちが頭をもたげてくると
あっという間に息苦しくなり、飲み込まれてしまいそうになる。
 
しかし、“逃げないための逃げ道”という空気穴さえあれば
「大丈夫、限界までやってダメだったとしても、まだあっちがある」と
息を吹き返すことも出来れば
「気分転換に、もう片方を頑張ってみようかな」と
外の世界へ繋がりに行くこともできるのだ。
 
あの日下を向いていた私に、教えてあげたい。
逃げ道のおかげで、逃げずにいられる。
そんな頑張り方もあるんだよ、と
 
 
 
 

□ライターズプロフィール
竹下 優(READING LIFE編集部ライターズ倶楽部)

生まれてこのかた福岡県から出たことのない、生粋の福岡人。
趣味は晩酌、特技は二度寝と千鳥足。

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2020-09-07 | Posted in 週刊READING LIFE Vol,95

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