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天狼院通信

なぜ「出版界の至宝」と言われる彼が、出版社を辞めて天狼院書店に合流したのか?


天狼院書店店主の三浦でございます。

今現在、僕は746連勤中です。
もう、106週間以上、24ヶ月以上、つまりは2年以上、休みを取っていません。

2018年も元日から京都天狼院で店頭に立ち、大いに働いておりました。
そして、1月2日には、一旦、故郷の宮城に帰っていたのですが、実は、それは大事な要件があったからです。
そう、数日後に控えた、臨時株主総会の委任状に、判子を押してもらうために飛んでいました。

臨時株主総会の主な議題は、取締役会の設置とそれに伴う定款の変更です。

ついに天狼院書店の運営会社である株式会社東京プライズエージェンシーは、臨時株主総会での承認を得て、取締役会設置会社となったのです。

このときを、僕はどれだけ待ったことか。

もちろん、僕は会社の株の大部分を有しており、ほとんどのことを、実際は自分ひとりの意思で決めることが会社法上もできるのですが、重要なのは、僕の右腕となる取締役を迎えることができたということです。

今までの天狼院は、まるで天空の城の空賊ドーラ一家のようなもので、所帯も小さかったので、一家の大黒柱である僕がなんとかすれば、なんとかなっておりました。
しかし、今現在でも、書店4店舗、スタジオ1店舗の5店舗体制となり、これからも拡大する計画にあって、このままでは正常な成長を踏めないとわかっていました。

また、多くの大手の企業さんやディベロッパーさんからの強い訴求を受けて、僕らの内部的な要因というよりも外部的な要請から、僕らは急激な成長を期待されていました。
特に、2017年は、それが顕著でした。

僕らは、たとえ、一次関数的に着実な成長を望んでいたとしても、周りが二次関数的な曲線的で急激な成長を期待しているという状況でした。
特に2019年からの様々なプロジェクトは、これまでとは比べものにならない規模のものとなることがわかっています。

僕ら、今の天狼院は、2013年9月に東京池袋で12坪で始まった小さな小さな店が母体となっていて、そこの店主だった僕と当時学生だった子たちが社員となって運営しています。
どこか「毎日が文化祭」的な気分も抜けずに、そういったお叱りを受けることも実際にあります。

しかし、このままでは、企業としての役割をはたすことができない。

さらなる成長を実現することは、今のままでは不可能です。

僕の認識では、まだ天狼院は、サナギです。
まだ地面を這いずり回っているのが現状です。

羽化して、本来の空を羽ばたくには、どうすればいいのか?

実は、僕はかなり前から、その答えがわかっていました。

革新的なサービスの提供でも、巨大な店のオープンでもなく、一人の男の合流を持って、天狼院は大きく羽ばたくだろうと確信を持っていました。

僕は、典型的なアントレプレナー、つまりは起業家であって、攻撃的であり、猪突猛進型であり、挑戦に対して怯むことは決してありません。戦闘タイプの人間です。
一方で、企業の成長には、それだけでは不十分です。

起業家タイプの経営者の元には、必ず、影で支える参謀タイプの右腕が存在します。
古今東西、あらゆる企業や国家や組織でそうです。

天狼院には、起業家タイプの僕とは正反対の、彼の存在が不可欠であると、とても早い段階からわかっていました。
また、「幻の羊羹」で有名な吉祥寺小ざさの代表であり、『1坪の奇跡』の著者でもある稲垣篤子さんに相談した際にも、マネジメントで迷う僕に、稲垣さんはこうはっきりと言いました。

「意見は違ってもいい。気が合う人を雇いなさい」

まさに、稲垣さんがいうところの、意見が違えども、気が合う人こそが、彼だったのです。

しかも、天狼院に招聘するには、絶対に、辞めることを全力で反対されるような人材に来てもらおうと心に決めていました。
今働いている企業にとって、いつ辞めてもいい人なら、こちらも願い下げです。

幸いというか、なんというか、彼は、その企業のある部門のエース編集者として、確固たる地位と実績を築いていました。
そして、おそらく、経営幹部は、彼を将来の経営陣の一人に育て上げようと壮大な計画を持っていたのではないかと拝察されます。

その企業にとって、彼を失うことは、あるいは肉体を失うことのように大きな痛手だったかもしれません。

実に、心苦しいことではありますが、そういう人材だからこそ、天狼院には、そして書店の未来には彼が必要でした。

必要であれば、最後には、僕がその企業に頭を下げに行かねばなるまいと考えていました。

おそらく、彼について、出版界の多くの人は、名前を聞いても知らない人が多いかもしれません。
もしかして、プロ野球のように、編集者の移籍市場というものがあるとしても、彼は、最上位にランクされるということはないかもしれません。
部数的には、僕の友人の編集者たちのほうが遥かに上を行っているかもしれません。

しかし、あえて、僕は彼を「出版界の至宝」と呼びます。
それは、僕と、おそらく、その企業の経営陣だけが気づいていたことです。

あるいは、彼と組んで仕事をしたことのある、世界的な経営者の方々のみが気づいていたことでしょう。

今の移籍市場にとって、最上位にランクされなかったとしても、天狼院にとって、彼は取り替えようがない圧倒的な1位です。

僕が数年前から、天狼院への合流を請い、世の中で最も一緒に働きたいと考えていた男です。

彼こそは、PHP研究所において、ビジネス書編集のエースとして活躍していた池口祥司という男です。

ぜひ、知らないのなら、池口祥司という名を覚えておいたほうがいい。

彼が「出版界の至宝」だということを、まだ多くの人が気づいていない。

おそらく、数年を待たずに、彼は、こう言われることでしょう。

「天狼院は、三浦がいなくなっても問題はないが、池口がいなくなったら潰れるだろう」

笑い話だとしても、そう言われることが容易に想像がつきます。

彼との出会いは、もう10年以上も前のことです。

「あの店長いますか?」

当時新入社員だった彼は、僕が店長をしていた小さな書店に出版社の営業として訪れました。
レジにいたアルバイトにそう聞いたそうですが、僕は休憩時間で昼寝をしていたそうです。

僕が前の書店を辞めて、起業した際には、それまで周りにいた出版社の営業の人は、ほとんど姿を消しました。
もう、棚と番線印を持たない僕には用がなかったのでしょう。

けれども、彼ばかりは、お客さまが一人もいない当時の、僕の会社に通ってきていました。

起業当初、本当にお客さまがいなかったので、ヤケになって、僕は日夜韓国のガールズユニットのDVDをエンドレスで観ていた時期があったのですが、彼は、そのDVDも観せられてもいます。

いつかは、彼を会社に迎えよう、彼を迎えられる会社に育てようと、僕は考えていました。

起業から、9年が経った2018年1月、そして、ついに、僕は彼を取締役として迎え入れることができたのです。

三国志には、劉備玄徳が諸葛亮孔明を迎える、「三顧の礼」のエピソードが有名ですが、それ以上のことだったでしょう。
9年の歳月と幾度とない「顧」が必要でした。

けれども、去年あたりから、彼の心は大きく揺れていました。

「私が天狼院に合流した際に、どう動くか、イメージはできています」

冗談を言うことがない彼は、真摯ながらも晴れやかな表情で、こう言うようになっていました。

そう、彼なら、ちゃんとわかっている。
そして、僕以上に、天狼院の組織と、天狼院のお客さまにとって、かけがえのない存在になるだろうと、僕は揺るぎなく思っていました。

さて、彼が合流して、僕は楽をするのか?

まったく、そんなことはないでしょう。
活躍しやすくなり、さらに働くだろうと思います。

お客さまに対して、さらなる価値を提供できるようになるだろうと思います。

もっと多くのお客さまが、天狼院のファンになるだろうと思います。
そして、安心して、天狼院を利用してもらえるようになるだろうと思います。

そう、僕らは、池口祥司という人が合流することによって、ようやく、企業としてのスタートラインに立ったのです。

ここから、天狼院の本格的な成長が始まることでしょう。
羽化が始まり、ようやく、羽ばたけるようになるでしょう。

僕は、それが、楽しみで仕方がありません。

また、天狼院のお客さまも、業界の関係者の皆様も、そして、全国の天狼院のスタッフも、ぜひ、これからの天狼院書店にご期待いただければと思います。

皆様方のご期待にお応えできるものと、僕は考えております。

これからも、どうぞよろしくおねがいします。

追伸:そういえば、表題の、なぜ合流したのかの答えが明確になっていませんね。それは、近いうちに、彼自身に語ってもらいましょう笑


2018-01-17 | Posted in 天狼院通信, 天狼院通信

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