呼吸をしたとき、私の神さまは死んでしまった
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コバヤシミズキ(ライティング・ゼミ平日コース)
画面の向こうの人が初めて目の前に現れたとき、人間ってほんとに言葉が出ない。
私が死ぬほど憧れて、焦がれた、神さまみたいな人のライブに行ったとき、そう実感した。前から数えて4列目、ど真ん中。ステージの視認できる位置にマイクが立っている。あそこで私の神さまが歌うのか。そう思うだけで鳥肌が立つ。いつのまにか両手を胸の前で組んでいた。
ふと、歓声が上がった。顔を上げたら、びっくりするくらい近くにいた。泣く人、歓声を上げる人、興奮しきって隣の人を叩く人。動けない私。
「ほんとに、実在するんだ」
そうぼそりとつぶやいた声は、隣の兄ちゃんに聞こえてないといい。多分、思ったより冷めた声になってしまったから。
だって、あの人が息の音を聞いたとき、私の中で神さまじゃなくなってしまったのだ。
私には結構、妄信的なところがある。
例えば、好きなアーティストが真面目に人生観を語ったとき。世間の人はどう思うんだろう。「へー、そうなんだ」「そんな感じするわー」で終わるのかもしれない。でも、私の場合それで終わらないのだ。
「あの人がそう言うなら、それが正しいに違いない!」
と言った風に、その人生観を丸呑みしようとしてしまう。まるで宗教。特に音楽に関しては顕著で、好きなアーティストが曲を出したとき、曲を聞いて考察までがセオリー。この曲に込めた想いとか、ストーリーとかを勝手に想像するのだ。宗教の話には明るくないが、私にとってアーティストは神さまで、曲は教典なのである。
「なんか、やめてよね。変な宗教にハマるとかそういうの」
いつだったか、こう言われたことがある。めちゃくちゃ失礼なやつだな。
「それだけは絶対にないわ」
私がこう言ったとき、あまり納得されなかったが、ちゃんと断言できる理由があるのだ。私の中で生まれた宗教は、あっけなく崩壊しやすい。これは私の信心パワーが足りないわけではない。
私の信じる神さまが、簡単にいなくなってしまうからである。
“いなくなってしまう”というと、悪い誤解を生んでしまうかもしれない。
正確に言うと”神さまが人間になってしまう”。もっというと、今まで実在していたかどうかも信じ切れなかったものが、突然目の前に現れた。
私の言う神さまの定義ってやつは結構単純で、私の目の前で呼吸をしたかどうかにある。基本、憧れているアーティストを見る時って、スマホとかテレビとかが多いと思う。もちろんライブとかイベントとかそういう特別な例もあるが、圧倒的にその機会は少ないだろう。
私なんかは特に、鹿児島に住んでいるしがない学生なので、遠征費を出せるほどのお金がない。学業に支障が無い程度で働いて、月3万。チケットが大体8000円? それプラス遠征費? これは絶対に破産する。「必要経費必要経費・・・・・・」と自分を説得するには、ちょっとばかり額がでかすぎる。こうして確実にライブ経験が減っていく。つまり、私の目で、画面を通さず本人を確認するという行為に慣れていないのだ。
こうして現実味が帯びなくなったアーティスト、その代わりに神さまが生まれてしまう。
こうやって勝手に神聖視して、崇めて、人間だと再確認する。この繰り返し。
「なんていうかさ、期待って言うか理想? 理想高すぎない?」
まあ、確かに。「こうであってほしい!」という理想を押しつけてる感は否めない。しかも、これだけ理想を押しつけておいて「あ! 目の前に居る! 息してる! もう神さまじゃねえや!」と自己完結してしまうのだ。嫌なやつだな。
「だってさ、ゾッとしない? 私みたいなやつでさえ立ったことのあるステージに神さまが立ってる。なんかもう怖いんだよね」
そう、恐ろしいのだ。あの人が、神さまが私と同じちっぽけな人間だって認めるのが、恐ろしくて恐ろしくてたまらないのだ。憧れの存在、焦がれに焦がれたライブ。それでも”神さま”でいてほしい。私のちっぽけさが浮き彫りにならないように、あなたには神さまでいてほしい。
「これって、あたしのエゴかしら」
多分、この答えは誰も知らないのだろう。だってそれが宗教だ。救いの言葉はかけてくれても、きっと具体的な解決法は教えてくれないのだ。
私には神の声は聞こえない。
「ほんとに実在するんだ」
私のつぶやきが隣の兄ちゃんに聞こえてないと良い。聞こえてないと思うけど、死ぬほど情けない声だったに違いない。胸の前で組んだ手は、いつのまにかタオルの端をきつく握り込んでいた。
歓声が止んだ。あの人がマイクに手を添える。たったそれだけのことなのに、まるで儀式の一環みたいだった。
ああ、そうか。このライブは、あの人が人間になるための儀式なんだ。
そう確信した瞬間、涙がぼろぼろこぼれた。
「今日、私の神さまは死ぬ」
息の音がした。あの人は生きている。人間として新しい人生を生きている。
それでも、呼吸をしたとき、私の神さまは死んでしまった。
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