【 成長の法則 】「やればやるほど上達する」なんて幻想だ《小松の研究》
「おねえさん、今日会える?」
唐突にそう電話をかけてきたのは年下の友人だった。一昨年、知り合いの編集プロダクションで出会った若い編集者で、会うといつも「あの部長、超はらたつんですけどっ」「あれ、おねえさん全然飲んでませんね、すいませんビールビール」なんて騒がしいのに、その夜は完全にお通夜だった。
ビールを頼むも無言の我々。ビール2杯を飲み終えたところでようやく「おねえさん……私、編集の仕事、向いてないかも」。そう言うそばから、彼女の目からはポロポロと大粒の涙が。ポロポロ。ポロポロ。
「もう一緒に仕事したくありません!」
という留守電を残して、ライターが仕事を降りたのだという。あわてて社の先輩が彼をひきとめ、彼女を担当からはずすことでことなきを得た。
「その人を怒らせた理由は聞けたの?」
「メールしたけどかえってこない」
「ばかっ!!」
ばかばかっ。そこは聞けよ! 電話しろよ! 食いさがれよ!!!
親の葬式すっぽかしてでも聞きにいけよーーっ!!
「たぶんだけど、原稿の戻し方が悪かったんだと思います。前々から苦情が来て、改めてたつもりでした。私、全然成長してない。入る業界まちがえたのかな。最初は褒められたのに。最近はいつも誰かに怒られてる」
と、泣きながらグビグビ。飲む。飲む。飲みまくる。
「もう3年目なのに! そんな人いるっ!? いないでしょっ!」いいながらジョッキをダンッ。
「いくらでもいるわ、このばかたれがっ!」と思わず私もダンッ。
いるっていうか。あんたの前に座ってる女は同じくらい、いやそれ以上にいろいろとアレだった女ですよ!!! っていう。はぁ。
会社員時代に30人のライターとチームを組んで、取材原稿を365日配信することになった。編集者として、記事に関する全権を任されて最初は震えた。でもすぐ慣れた。というか、気にしてられなくなった。
1ヶ月にあがってくる原稿の数はおよそ100本。帰れない。眠れない。1年がなんとか過ぎる頃にはライターからも、クライアントからも、指摘や希望やクレームが押し寄せていた。毎日が嵐。もちろん私の実力不足ゆえに。
原稿でもデザインでも、あがってきたものを最初に見るのは編集者で、全体を見渡す者として、または最初の読者として、よりよい誌面にするために修正すべき点を朱字で指摘する。どういう意図でそうしたいのかも含めて、相手に戻す。人の原稿に手をいれるのはむずかしい。なぜ書き手がその言葉を選んだのかを汲み取りながら、直すべき点を的確に指摘する。それができない編集者は、なんというか、ただの人だ。
そんな中、ただの人だった私に来るべくして地獄のxデーが来た。仕事をお願いしていたベテランライターが爆発した。彼女は電話口で「降ります」と叫んだ。優秀な人だった。私の配慮のないずさんな朱字が、彼女のプロとしてのプライドをずっと傷つけ続けてきたことを知った。頭がまっしろになった。
彼女がいなくなったことによる記事の穴を、至急ふさがなければならなかった。原稿の戻し方もさすがに慎重になった。でも、どれだけ丁寧に朱を入れても、どれだけ原稿を書いても、上達してる実感はなかった。自信もない。もはやただの人どころか、迷惑千万な人だった。符合するように媒体のアクセス数に不吉な影がさす。さらなる迷走。
これだけやって、結果出せないってどういう状況?
いったいこの仕事に何千時間ついやしてんの?
ゴールデンウィークの誰もいないオフィスで晴れすぎた空を見ながら、あ。死ねるかも。と思った。いえ、思っただけで行動にはうつせなかった。どこまでも怖がりだった。
その長い休み明けにひとつ、信じられないことが起きたーーー。
さんざん唐揚げを食べて10杯近くビールをあけ、「私、向いてない」としか言わなくなってしまった彼女をだっこしてタクシーに乗りこんだ。ぐでんぐでん。たぶん、聞いてない。聞こえてない。でも聞いてほしい。
一悶着あったというライターは、彼女が新米であることを差し引いても許せないことがあったんだろう。彼女は、相手へのリスペクトを忘れていたんだろう。だから、怒らせたんだろう。私がそうだったように。そこは、肥やしにして改めていくしかない。そうだよね。
成長を焦る気持ちも、痛いほどわかる。
向いてないかもしれないと思う不安も恐怖も。
でも、経験上、ひとつだけ確信していることがある。
ーーあの日、ひとつの変化が起きた。
もはや落ちる底もなかった私の目に、原稿の一部分がパッと光って見えた。
比喩じゃなくて、本当に!
そこさえ直せば万事うまくハマるというポイントが、浮き上がって見えた。
ルパンの五右衛門がいうところの「見切ったァッ!!!」って感じだった。
五右衛門はそんなこと言わない気がしてきたけど、今思えばあれが転機だった。
以来、戻しを巡るトラブルは減って、イラつかれることがなくなったのか、書き手との間に信頼関係ができてきた。仕事がスムーズに回り始めた。
記事のアクセス数もちゃんと期待通りに上がっていた。
「仕事って楽しい!!!」と、はじめて思った。
その後も暗黒の時期のあとに、目の前がパッとひらける経験を何度もした。これからもあるだろうから、私は信じている。
やればやるほど技術が上達するなんて、嘘だ。
新たな力を身につけようとする人を苦しめる幻想だ。
ほかの分野はわからないけど、文章を書いたり、直したりする技術にかぎっては時間に比例して右肩上がりになだらかに伸びていくわけじゃない。
やっても、やっても、やっても伸びないんだ、本当は。
技術力のグラフがあるなら、量をこなしてもこなしても平坦なまま、時間だけが進む。だから、焦る。その実、こなしただけのエネルギーはしっかり蓄えられている。自分では意識できないところで。だから、伸びるときは右肩あがりの比例の形ではなく、まるで上りの階段みたいな形になる。
壊れかけのエレベーターに、ある日突然バチッと電源がはいって。そのままギャーンと上がっていくみたいに。
上達の瞬間は劇的だ。
力を貯めて、貯めて、貯めこんだすえの上昇。
上がったことが自分で実感できるくらいの高さまで、リアルに上がる。
視界がひらける。
これまで見えなかったものが、見渡せる。
それはまぶしく、ありありと。
そこからはまたしても、やってもやってもやっても伸びない平坦な日々が続く。周りから求められるレベルも上がり、生半可なことでは認めてもらえない。これまで褒められていたのは自分のレベルを低く見積もられていたからにすぎないことに気づく。相手の期待を上回ることのむずかしさに気づく。
でも、確実にエネルギーは溜まっていく。自らが実感できようと、できまいと。
そしてまた、急激に、ギャーンと上がる瞬間が来る。その繰り返し。
自分は向いていないんじゃないか。
向いてないから芽がでないんじゃないか。
この努力はなんの意味もないんじゃないかーーー。
いろんな迷いで心がゆれるけれど、無駄ではなかったことを理解できるのは、上昇した瞬間、ただそのときだけなのだ。
だから、私のお金で10杯もビールを飲んで、唐揚げをたらふく食べて、あげくタクシーの中で全部吐いたあの酔っ払いにいってやりたい。
なにも心配せずに進めよっ、ばかーーーっ!!!
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