福岡の地で、愛はどこで叫べばいいのか
記事: Ryosuke Koike (ライティング・ラボ)
「博多に来たよ」
関東圏の知人が福岡に遊びに来た時に発する言葉である。
間違いではない。
JRの駅は「博多駅」だし、福岡の祭といえば「博多祇園山笠」や「博多どんたく」が出てくるだろうし、豚骨ベースの「博多ラーメン」や「博多明太子」といった全国的にも有名なご当地グルメにも「博多」の冠が着いている。
仕方がないのかもしれない。
しかし、10年という短い期間であるにせよ、福岡に住んでいる私の耳にはどうしても違和感が残ってしまう。
博多は、福岡市の一部である。
次によく耳にする言葉は、「福岡の一番の中心地はどこ?」である。
これはかなり難しい質問だ。
ざっくり分けてみると、博多=オフィス街、福岡(天神)=繁華街のイメージである。日中行き交う人はどちらも多い。
新聞や雑誌の記事でもよく比べられる。両者とも中心と言えば中心である。
「博多」か「福岡」か。
この博多・福岡のアイデンティティの問題は成り立ちからして歴史が古い。
明治の始まりの頃には、市の名称を「福岡市」にするか「博多市」にするか、市議会で揉めに揉めた。結局、議会では1票差で「福岡市」になり、今日まで「博多」市は誕生していない。
こんな状態なので、今後福岡に訪れる機会がある方は、福岡で会う人に上の質問をしてみたらいい。人によって違う答えが返ってくるはずである。なんとなくだが、質問された人が住んでいる場所に近い方や、よく訪れる方がその人の「中心」になることが多い気がする。
「博多」派と「福岡」派が一緒にいれば、論争になること間違いなし。傍からみるのは楽しいが、しかし、言い争いはよくない。
そこでだ。
ラーメンのスープのことを考えればよい。
博多ラーメンは豚骨なのだが、世の中にはしょうゆラーメンもあれば、みそラーメンもあるし、塩ラーメンもある。
比較したってしょうがない。それぞれにそれぞれの味の良さがある。みんな違ってみんないいじゃないか。
それに、全てが一か所にあるということは効率的ではあるが、そこがダメになったときの影響が大きい。分散している方が長期的には存続性が高い。
また、日本を離れ海外からの視点でみれば、福岡も博多もどんぐりの背比べで知名度はたいして変わらない。そもそも知られてないかもしれない。内部で競い合っている暇などない。
博多駅が数年前に改装されて以降、観光・ショッピング客が博多駅に集中する傾向もあったが、「天神ビッグバン」というビルの建替えプロジェクトが始動し、今後10年間で天神の街並みや人の流れが一気に変わる可能性もある。「博多」「福岡」両者を含め、街全体で成長が加速しているのが今の福岡市なのだ。
関東圏の方にはぜひ福岡に来て、食べ物のおいしさ、交通アクセスのよさ、暮らしやすさ、街の雰囲気の良さを体感してほしい。
ここまで書いたところで、思い出したことがある。
私が就職して福岡に来たばかりの頃の話である。
職場の飲み会の後、先輩に連れられ初めてスナックというものに行った。
確か金曜日の夜だった。
重厚な扉を開けて中に入ると、店内のボックス席は満席でカラオケも流れ大いに賑わっていた。
雰囲気に圧倒され挙動不審だった私の横には、元気な声のママがついてくれた。
しばらく会話をした後、私はママに「福岡の中心ってどこですか?」と聞いた。
ママは
「ここたい! アハハ!」
と言った後は、立ち上がりカラオケに合わせてマラカスを振っていた。
私は単に冗談を言ったのかと思っていたのだが、ママの言った「ここ」は位置的に「博多」と「天神」の間、中心と中心の間の「中洲」だった。
そうだ。
中心は「中洲」だったのだ。
店を出て道端を歩くと、鮮やかな服を着た綺麗なお姉さんたちに見送られて帰路につくサラリーマンの姿を多く目にした。名残惜しいのか、何度も握手している者や、タクシーが目の前に止まってもしゃべり続ける者もいた。ハグしている者もいた。腕を組んで二人で消えていく者たちもいた。
それが愛なのかなんなのかは、当時もそして今もわからない。
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