人類で最初に9秒台で走った男
記事:山田将治(ライティング・ラボ)
先日、東洋大学の桐生祥秀選手が、陸上100mで追い風参考ながら日本人で初の10秒の壁を破ったと、ニュースで報じられた。
今回は、ある陸上競技選手の事を書く。
映画狂の私には、「映画の姉」と呼ばせて頂いている方が居る。アニメーション研究の第一人者、おかだえみこ(岡田英美子)さんだ。
その、おかださんの御尊父が、岡田英夫さんである。岡田さんは学生時代、1926年(昭和元年)の日本陸上選手権800mで、当時の日本記録で優勝された。
その後、いくたびか日本記録を更新され、1932年のオリンピック・ロサンゼルス大会の日本代表に選ばれた。しかし、好事魔多し、大会直前にアキレス腱を断裂してしまい、オリンピックには参加出来なかった。
岡田さんの凄いところはこれからで、40歳を目前にした戦後直ぐに、もう一度日本記録を更新した。後日、こう仰っていた。
「なぁに、俺が歳で戦争に取られなかっただけの事よ。脚の早い若い奴らは皆、戦地で死んじまったから、たまたま五体満足で出られた俺が勝っただけのことよ」と。
戦後は請われて、国士舘大学の陸上部の監督を務められた。東京・箱根駅伝の伴走車にも乗った。気が短かった岡田さんは、苦闘する選手にこう怒鳴ったらしい。
「勉強ばっかしてる奴等に勝て無ぇんなら、サッサと止めちまえー!!」と。
厳しい方である。
1964年には、東京オリンピックの陸上競技審判長を務められた。その後は、老人スポーツ普及に尽力され、日本タートルマラソン協会を設立された。
当時は未だ珍しかった、ヨーロッパ遠征などもされていたらしい。
私がお目にかかった岡田さんは、既に病床に伏されていた。
初めて御宅に御邪魔した際、枕元で挨拶させて頂いた。
普段から細身の陸上選手しか知らない岡田さんは、図体の大きい私を見てこう仰った。
「オイ、随分デカイ奴だな。砲丸かハンマーでも投げてんのか?」
私は「いえ、陸上競技はやっておりません。柔道とラグビーをしていました」と答えた。
すると岡田さんは、
「ラグビーってぇのは、あれか? 昭夫(上田昭夫氏、日本ラグビーFB協会の重鎮。岡田氏の義甥)がやってるあの野蛮なやつか?」と仰った。続けて、
「するってぇと、頭ぶつけてるから山田君もあまり頭良くないな?
もっとも俺だって、800mなんて頭に酸素が回らなくなる競技してたから、他人の事は言え無ぇけどな」と、大きな声で笑っていらした。
岡田さんには、随分と可愛がって頂き、東京オリンピック時の思い出の品(審判団のネクタイピン、レプリカのメダル等)や、ヨーロッパで購入された喫煙具等を頂戴した。
走る事を本分とされていた岡田さんが、何故喫煙具を買っていらしたかは、今もって謎であるが。
東京オリンピックは1964年(昭和39年)10月10日に開幕した。陸上競技は、前半に開催された。
男子100mの金メダリストは、アメリカ合衆国のボブ・ヘイズ選手。フロリダ農工大学に通う、当時21歳の若者だ。オリンピック後、アメリカン・フットボールに転向し、ダラス・カウボーイズで大活躍したことでも有名な選手だ。
幼心に憶えているのだが、大柄の格好良い黒人のお兄さんだった。
それまで、100mで多くの金メダルを獲得してたアメリカは、当然ヘイズ選手に期待した。
また、ヘイズ選手が、人類初の10秒の壁を破り、世界記録で優勝するのではないかと思われていたらしい。
実際に、準決勝では追い風参考ながら当時出始めの電気時計計測で、9秒87(奇しくも桐生選手と同タイム)をだしたらしい。
1964年当時は、電気時計計測にまだまだ故障が多く、手動時計も併用された。ゴールラインで5人の審判が、スターターのピストルを合図にアナログのストップウォッチを押すあれである。
記録によると、順位は電気時計計測と写真判定で決め、公式記録は手動時計を用いていたらしい。
5人の審判が計測し、その平均を公式記録としていた。だから、10分の一秒までしか計測出来なかったし、記録として残ってはいないのだ。
決勝レース。
ボブ・ヘイズ選手は、記録が出づらいとされている1レーン。
一方、審判長の岡田英夫さんは、ゴールラインの審判席の最前列に居た。
へイズ選手は結局、金メダルは獲得したものの、世界タイ記録だった。
後年、岡田さんはこう仰っていた。
「あの時、俺の時計は9秒9を指していた。どっかのノロマ三人が、10秒0でストップウォッチを押しやがったんだ。粋な奴なら、少々早くても歴史を作った(早く押す)ろうに。
でもな、俺はもっとも間近で人間が初めて、100mを10秒以下で駆け抜けたのを見たんだ。
誰が何と言おうと、俺はそう信じてるし、そう言いふらすぞ!」と。
一昨年、銀座の服部時計ギャラリーで、「時計と記録」と題された写真展が開催された。
中央部に、東京オリンピック100mゴールシーンの、大きなパネルがあった。
乗り出して見詰める岡田さん。その目前を、疾走するボブ・ヘイズ選手。二人とも鮮明に映し出されていた。
私は、近くに居合わせた係員に、
「これが、ボブ・ヘイズ選手。これが、岡田さんという審判長」と、指し示した。
そして、こう付け加えた。
「この、SEIKOのストップウォッチは、9秒9を指していたそうだよ」
係員は、目を丸くして、「素晴しい話を聞かせて頂きました。会社に伝えます」と言ってくれた。
長い年月を経て、恩返しが出来た気がした。
《参考》
***
この記事は、ライティングラボにご参加いただいたお客様に書いていただいております。
ライティング・ラボのメンバーになると、記事を寄稿していただき、店主三浦のOKが出ればWEB天狼院の記事として掲載することができます。
次回の詳細・ご参加はこちらから↓
【お申込はFacebookページか問い合わせフォーム、もしくはお電話でもお受けします】
TEL:03-6914-3618
【天狼院のメルマガのご登録はこちらから】
【有料メルマガのご登録はこちらから】