メディアグランプリ

弱さを語るほど、強くなれる気がする〜僕と天狼院との出会い〜


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

【2月開講】人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ《平日コース》」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:鈴木亮介(スピード・ライティングゼミ)
 
 
そこだけ照らされた円形の広場。僕はひとり、そこに立っている。
丸い広場を取り囲むように複数の扉が見える。
扉の先から声が聞こえてくる。
「面白いよ、やりがいあるよ」
楽しそうな声、自分を歓迎する声。
生き生きとした明るい声だ。
どうやら扉の先には、楽しそうな世界が広がっているようだ。
その声に導かれるように、僕は扉に手をかける。
でも僕はいつからか、新しい扉を勢いよく開けることができなくなった……
 
「大学生のうちに、やりたいことは全部やろう!」
入学するときに、僕はそう心に決めた。
大学に入ると、高校の時には見えなかった世界が見えてくる。
サークルの先輩の話やSNSを通して、楽しそうな世界を知る機会はより一層増えた。
あれもやりたい、これもやりたい。
陳列棚に見栄え良く並べられた「面白そうなこと」を、僕は片っ端から買い物カゴに入れた。
 
僕は楽しそうな世界の扉を開けて、扉の先へと実際に足を踏み入れてみた。
扉を開けると、よりその世界が広く感じられて、僕はこんな世界を知れて幸運だと思った。
 
でも始めてみると、僕はすぐに悟ってしまった。
ひとかどの人間になるには、どんな世界であれ、ずっと歩み続かなければならない。
大学では集団の構成員のレベルが上がるので、人並みになるには1年じゃ全然足りない。
最低2−3年やらないと、自分の強みにまで昇華させることができない。
そして出会ってしまう。
自分と同じ歳なのに、既にその道を極めている人に。
大学に入ってから、自分には全く歯が立たない人に出会う機会が本当に多くなった。
すごい人ほど、本当に楽しそうに、やりたいことに没頭している。
 
知らない世界に飛び込んで、自分の世界が広がるにつれて、何もできない自分が際立って見えた。
はじめはその心の痛みが成長の原動力になると思い込んでいたが、ちっぽけな自分を何度も何度も感じるたびに、大きな「傷」になって残ってしまった。
自分が悩んでいる間にも、出来る人たちは着々と歩みを進めているという事実に、僕は焦りと不安を感じた。
 
あの人に追いつくにはどれだけ時間がかかるんだろう。
僕はこの道でよかったのかな。
僕には向いてないんじゃないかな。
 
そうやって迷えば迷うほど、楽しそうな顔を浮かべた周囲との差を強く感じて、自分だけがひとり取り残されたような気分になる。
そして周りの人に合わせて、作り笑いしている自分に嫌気が差してくる。
そして徐々に徐々に、その世界からフェードアウトしてしまう。
これ以上、傷つきたくないからだ。
 
かといって、逃げてしまえば、始める前と何も変わらない。
楽しそうな世界の入り口だけが見えていた、元の広場から僕は動けていない。
元の場所に戻っても、他の扉の先からは相変わらず、生き生きとした楽しそうな声が聞こえてくる。でも僕は痛いほど分かっている。どの世界でも、自分の遥かに上を行く人はいて、本当に極めるにはやり続けなければならない。でも、それが僕に合っているのか分からない。
 
そうやって頭の中で答えのない問いがぐるぐる回って、僕は行動できなくなってしまった。
新しい世界の扉に手をかけても、勢いよく開けることができなくなってしまった。
 
そんな自分探しに疲れ果てていたその頃、僕は『川代ノート』に出会った。
川代紗生さんは天狼院書店のエースで、26歳でありながら書店店長を任せられるほどのスゴイ人だ。川代さんは天狼院のHPに『川代ノート』という連載記事を定期的に更新している。
川代ノートは、道に迷って座り込んでいた僕の心に、すっと染み込んだ。
川代さんの文章には、同じ20代だからこそ分かる人生の迷いや心の弱さが赤裸々に綴られていた。
20代前半の今、目の前にはすぐに「社会人」が迫っていて、本当にこれでいいのかな、この選択でいいのかな、必死に自分の進路やアイデンティティに悩む、そのありさまが川代ノートの中で丁寧に描写されていた。綺麗な言葉で包み隠さない、ありのままの言葉だからこそ心を揺さぶった。
そしてどんなに心が沈んでいても、かすかに希望の持てるような文章の終わり方がまたいい。読み終わったときに、とてつもなく心地がよいのだ。映画に感動してボロ泣きした後の、心がほぐれたような、すがすがしい気分にさせてくれる。
『川代ノート』に僕は何度も救われた。
川代さんの文章には……弱さと、力強さがあったのだ。
 
川代ノートに感銘を受けたのをきっかけに、僕は天狼院のライティングゼミを受講することに決めた。
ライティングゼミでは、1週間に1度2000字の文章を書いて提出するという課題がある。
課題では、自分を取り繕わず、ありのままを表現しようと僕は努めた。そうすると自然と自分と向き合う習慣がついた。日常生活の中で、この瞬間の気持ちを、文章で書き残そうと自然に思うようになった。作り笑いをしていた頃の自分よりも、もっと等身大の自分の輪郭が確かめることができた。外面だけを取り繕った自分よりも、ありのままの自分の方がすんなりと受け入れられた。
 
ライティングゼミを通して、もう1つ気づけたことがある。
できれば墓場まで持っていきたいと思うほどの激しい感情ほど、人に読んでもらえる。
僕がこのライティングゼミで一番赤裸々に文章を綴ったのは、大学受験の時に死ぬほど悩んだ話であった。それは今の自分にも繋がる、僕の人生観について書き連ねた文章だった。
Facebookに文章をアップロードするときは、かなり逡巡した。もしかしたら炎上するかもしれない、批判を受けるかもしれない。それは自分の人生が笑われたり、否定されたりこととほぼ同義だった。だから正直文章を公開するのが怖かった。
 
でもいざFacebookに投稿してみると、僕の心配は杞憂に終わった。
批判されるどころか、ものすごく共感された。
寄せられる共感の絶対値が、今まで書いた文章とは全然違った。
「いいね」の数だけじゃない。同級生に個人ラインで、「文章読んだよ、本当に共感するわ!」と直接コメントをもらうこともあった。
そういう共感に出会うたびに、僕自身救われたような気分になった。
辛い気持ちを自分の中に封じ込めて、孤独を強めてしまっていたのは僕だけではなかった。
僕一人ではなかった。平然として見えた周りの人もそうだった。
そう知れた。その事実が僕もとても安心させてくれた。
辛い気持ちを述べたはずなのに、不思議と心が軽くなった。
夜の闇に黒く染められた湖が朝日を浴びてキラキラして見えるように、心の奥深くで黒く濁っていた感情が人の共感を得て、白く明るい色を帯びるようになった。
 
ライティングゼミを通して知ったのは、苦しい気持ちこそ溜め込まずに表に出した方が、自分のためになるということだ。
辛い時期こそ文章に気持ちを吐き出すことで、オセロを黒から白へ裏返すように、負の感情を正の向きに変えられる。
弱さを言葉にするのが、正直ここまで自分に力をもたらすとは思わなかった。
自分の弱さこそ吐き出して共有することが、自分の心の暗い部分を清算して、前を向く力になるとは思わなかった。
弱さを発信する……この力強さを知った今の僕なら、あのとき歩み出せなかった扉の先を進むことができるかもしれない。
 
 
 
 
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2020-01-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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