消えない後悔
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記事:芝田エル(ライティングゼミ平日コース)
私は看護師をしていて、ホスピスという終末期医療の場にいる。
「緩和ケア」と呼ばれるこの分野では、亡くなることを「旅立ち」と称している。
この世からあの世へ。
旅立った先に祝福が待っているようにという願いも込めて、そう呼んでいる。
旅立ちをたくさん見ているからと言って、家族の旅立ちに際しても冷静に対処できるかというと決してそうではない。
東日本大震災の起こる前、2011年1月30日の夜9時過ぎに父は自宅で倒れた。
隣に住んでいる私は、呼ばれてすぐに駆け付けた。
苦悶の表情をしてうつ伏せに倒れた父を見て「きっとまた心臓だ」と思った。
数年前に一度心筋梗塞で倒れたことがあり、それからは毎年検査をしながら用心して暮らしていたからだ。
救急車を呼ぶ間、平らなところになんとか横向きに寝かせ、自宅の血圧計で血圧を測ろうとしたが、何度スタートボタンを押しても数値が出なかった。
まずい。ショック状態かも知れない。
救急隊が到着して私は心臓の持病があること、かかりつけ医のことを伝え、そこに運んでほしいと頼んだ。
几帳面な父だったから、不測の事態があったときのために、これまでの検査結果の資料や保険証などをまとめてあった。私はそれを抱えて救急車に一緒に乗り込んだ。
救急隊員がかかりつけ医に電話して、これから搬送したいと言っている間、私はストレッチャー(寝台)に横になって苦しむ父の手を握っていた。
父の手も私の手にすがるような、そんな握り方を返してきた。
いつも気丈で貫禄のある父にしては、弱々しい握り方だった。
手を握り返して「大丈夫だよ」と声をかけようと思ったその時、電話をかけていた救急隊員から「かかりつけ医の方は現在満床で受け入れられないそうです。どうしますか? 今日の救急当番医でもいいですか?」と聞かれた。
かかりつけ医はいつも「何かあったらすぐ救急車で来てくださいね」と言っていたのに。
私は「電話を代わってください」と言ってもう一度かかりつけ医に連絡したのだが、出たのは事務職員で、救急車は受けられないと繰り返すだけだった。
頭にカーっと血が上るような感じがしたが、致し方ない。
「今日の当番医に行ってください」とお願いした。
冬の札幌は雪のために道路がふさがっていることが多い。
片道2車線が1車線に減っていることもしばしばで、前に右折車が停車していると延々と渋滞することも珍しくなかった。
ちょうど2日前に排雪作業があって、基幹道路が広くなっていたおかげで、救急車はスムーズに運転できた。
だが私のこころはかかりつけ医に断られたことで散り散りになっており、父の手を握るのもおざなりになってしまった。かかりつけ医に向かうのだったら、行った先に信頼する医師が待ち受けていて、父のことをわかってくれている人がいると思える。
「大丈夫よ、お父さん。きっとまたサイトウ先生が助けてくれる。また元気に家に帰れるからね」と素直に言えたはずだった。
けれどもその時の私は、これから行く先が一体どんな技術を持った病院なのか、不安の方が先に立ってしまったのだ。
それにかかりつけじゃないということは、これまでの病状を一から説明しなければならない。私は父の経過をきちんと説明できるだろうか。
医療者であるがゆえに余計な邪心が入ってくる。
きっと救急隊員と私のやり取りは父にも聞こえていただろう。
そして私の沈黙と心の逡巡も手を通して伝わってしまっただろう。
結局私は一言も励ます言葉をかけないまま、当番医に到着したのだった。
父は心筋梗塞でショックを起こしており、重篤な状態だった。
たくさんの器械につながれて集中治療室に入った父とは、すぐに面会もできなかった。
なんとか一命はとりとめた、だが次にまた発作を起こせば難しいかも知れない。
新しく主治医になったその医師は、面会に行くたびに病状を説明してくれた。
仕事帰りに面会に行くと、手足の筋肉が日に日に落ちてくるのが目に入った。
耳だけは聞こえるはずだと思って、父の好きなモーツァルトを聞かせたり、手足のマッサージをしたりした。
3週間後の夜中に私は病院から呼び出された。
到着したとき、当直医が汗みどろで心臓マッサージを施していた。
心電図モニターは、胸を押したときだけやんわりとした波形を作るが、押さなければ心臓が動いてない証拠に、ただの一本線となる。
電話が来た時からマッサージしていたのなら、もう1時間は経過していることになる。
「もう(心臓マッサージは)いいです。父は望まないと思うから」と言うと医師はほっとしたように蘇生を止めた。
父は眉間にしわを寄せて苦悶の表情をしていた。
私、救急車の中で「大丈夫だよ」って励ますべきだった。
これが父ではなく、仕事だったら患者さんにそう言ったと思うんだ。
何も言わなかったから、うまくいかないと思ってきっとあきらめたんだね。
心に引っ掛かっていたことがあふれ出した。
ごめんね、お父さん。
看護師なのに、そばにいるのに、発作を起こす前に気づいてあげられなくて。
大丈夫だよって言えなくて。
父のことだから「安易な励ましはいらない」って言ったかも知れないけど。
きっと私はこれからも何度となく思い出すことだろう。
消えない後悔。
それでもこの体験が、この先誰かに役立てられたらいいなと思っている。
やっぱり励ますべきだったよって。
「そばにいるからね」って言えばよかったんだよって。
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