新しい机が来る
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記事:笠原紀子(ライティング・ゼミ特講)
新しい机が来る
私は初めてランドセルを背負った新入生のように心が躍っている。
ここはサービス付き高齢者向け住宅。
15年来のがん患者である私は、4年前に全身にがんが広がっているのがわかった。がん細胞は背骨にも転移していた。
骨転移による激痛は想像を絶するほどで、虫歯の痛みの数100倍と言いたいほどだ。
虫歯も骨をやられる。ただ骨転移による浸食範囲は虫歯に比べると桁違いに広い。
だから痛さも桁違いによる痛い、と言えば、その痛みのほどを納得していただけるのではないだろうか。
一日三回しか飲めないロキソニン錠。
時間配分して服用するが、飲んだからと言って即効性があるわけでもなく、痛みに耐えながら、じわりじわりと効いてくるのを待つしかなかった。
さらに、着替えの時に転倒したことが原因で背骨を圧迫粉砕骨折してしまった。
その影響で歩くことも、立つこともできない、足に全く力が入らない下半身不随になってしまった。
悪いことに粉砕骨折した箇所にはがん細胞が巣くっていた。
ボロボロ・スカスカになっていた骨が衝撃で砕け、がん細胞の一部が飛び出して、中枢神経に接触してしまったのだ。
長期に抗がん剤を入れていたので骨粗しょう症となり、骨全体がもろくなっていたのは仕方のない事だった。
救急車で運ばれ、即手術。
肩甲骨と肩甲骨の間を切開し胸骨の一部を除去する。神経とがん細胞が離れるようにゆとりを作るためだ。
さらに放射線でがん細胞を小さくし、中枢神経と接触しないようにした。
10回に及ぶ放射線の照射を受け、がん細胞は確認できないほど小さくなった。
おかげで両足の神経は徐々に改善され、一ヶ月半ほどの入院で介護施設へ転院した。
入院中は身の回りのことは何もできず要介護4と認定されたので、当初介護施設もそのレベル対応の施設だったが、順調に足の機能は回復してきたので、機能を向上させるためにリハビリ訓練設備のある施設へ転院した。
さらに1年後にはほとんど自立して生活できるようになり、近くにあった高齢者向け住宅に移ったのだった。
現在居住している「サービス付き高齢者向け住宅(サ・高・住)」は、基本的には日常生活を自分でできる、自立した60歳以上の人が入居対象となる。
もしもまた病状が悪化し、介護が必要となってくると、ここにはいられなくなる。
そうならないという保証はないので、持ち物は最小限に留めた。
しかし幸か不幸か、その後4年を経過し、体調は正常人とほぼ変わらないほどに回復した。
おかげで、常に「万が一なこと」を意識しながらも生きることに前向きになり、
「今のうちに、やりたかったことをやっておこう」と考え
「死ぬまでにやりたいこと100」を書き連ねた。
その中でも大学時代からの夢だった「小説を書くこと」「本を出すこと」は1番にリストアップされ、今それに向かって走り始めたのだ。
サービス付き高齢者向け住宅と言ってもここの部屋数は2LDKある。
この種の住宅では珍しい広さだ。
設備もすべてがバリアフリー仕様と、部屋の全個所に緊急コールボタンが設置してある以外は普通のマンションと変わりない。
24時間管理体制なので、緊急時にはすぐに誰かが駆けつけてくれるので安心だ。
一人暮らしとしては十分な広さだが、元の住まいを引き払ってここに来たので、家財のほとんどを処分したとはいえ、まだまだ処分しきれないものが一つの部屋を占領している。
だから実質1LDKで生活しているようなものだ。
仮の住まいと決め、最低限の家具で過ごしてきたが、これから「書くこと」をするには不便が多すぎた。
まず机がない。
普段食卓として使っている一人用こたつ(テーブル式)では手元に資料を置けず、いちいち積んである資料を探しに席を立たなければならない。
エッセー講座や小説の書き方講座などにも参加し始めたのだが、それぞれの資料を並べておく場所もない。
講座には毎月提出物があるため、「書く」のによりよい環境を作るには机はマストアイテムだ。
そう思って通販でこの部屋に収まりのよい机を探したのだった。
丸一日かけて様々な机を物色した。
とにかく圧迫感がなく、且つなるべく多くの本や資料、ノートパソコンなどを広げられるスペースがある物が欲しい。
奥行きもなるべく薄型がいい。メジャー片手にネットでチェックした机と照らし合わせてみる。皆一長一短がある。
そうこうしているうちに、壁面収納タイプの机に巡り会った。
普段は扉を閉めておくので、奥行きは33cm。テーブルになる扉を開けば机ができるという代物だ。
体の向きもTVを背にするよう設置するので、番組を見ることもなく集中して創作できる。
早速注文した。
あれはどこに置こうか、これはどこに置こうかと、今から胸は膨らむ。
今日机が届く。
机が来たらすぐに資料やら文具類やらを整理したい。
ああ、早く来ないかなぁ。
心は万年小学生。
無邪気な心で机を待っている。
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