メディアグランプリ

死体を切る男


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田中伸明(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
その男は凶器を持って立っていた。
私が部屋に入ると真っ先に目に入ってきたのは、この男だった。白装束を着たその男はこちらを見て、不気味なくらい爽やかに微笑んでいる。凶器は刃渡り30cmの刃物。私は後ずさりしそうになった。でも覚悟は決まっていた。
 
その男の背後にも2~3人、物陰の向こうで何やらごそごそとしている姿が見えた。何をしているのか、ここからはわからない。
 
すると女が近づいてきた。その女も白装束を着ている。一人か、と聞かれた。私は一人だと答えると、部屋の中央へ案内された。5mくらいだろうか?たったそんな距離なのにやけに遠く感じた。一歩、一歩が自分の足ではない感覚だった。こんなところに来るんじゃなかった、と後悔しはじめた。しかしその女の指示通り、私は椅子に腰かけた。
 
静かだ。先ほどの男は、死体を切っていた。私の目の前で。大きな肉の塊をわしづかみにして、豪快に台にのせ、そして今度は丁寧に切り刻んでいた。次から次へと。私はこれからどうなるのだろう。だが不思議と怖さは感じなかった。
 
見渡すと部屋の大きさは幅3m、奥行き15mくらい。それほど大きくはない。気が付くと私の横にはすでに別の男が座っていた。死体のものと思われる肉を貪り食っている。
とんでもないところに来た。と私は思った。これからどうなるのだろう。
 
すると、数名の男達が次から次へと入ってきた。男達は、その死体を切る男と2~3言葉を交わしている。どうやら知り合いのようだ。入口への道は塞がれて、私の逃げ場はなくなった。もうダメだ。
 
女が私のところに再び近づいてきた。ここでは何か呪文を唱えなければならない。その呪文によって、私の将来が決まるようだ。選択肢は8つあった。何を基準に選べばいいのだろう?わからない。私はほんの少しの間迷った。
そして覚悟を決めて、私は恐る恐る、呪文を唱えた。次の瞬間、女は声高らかに叫んだ。
 
「ロースカツ定食、入りました!」
 
そう、ここはとんかつ屋だ。私の住んでいるところから駅に向かう途中の、歩いて5分くらいのところにある。店構えに品があり、いかにも高級店という雰囲気を醸し出していた。だから庶民の私はなかなか入る勇気がなかったのだ。この地に引っ越してきてから1年半。このお店がずっと気になっていた私は、今日、勇気を振り絞って入ってみた。
 
入っては見たものの、はやり庶民の私にはこの上品な雰囲気が落ち着かない。最後の支払いの段階で、金額に目が飛び出るのではないか? あるいはメニューに書いていないサービス料なんかが、がっつり上乗せされるのではないだろうか? そんな不安がよぎる。こんな高級店に来る人はどんな人だろう?普通の格好をしている筈なのに、周りの人達が少し裕福に見える。
 
死体を切る男は、店の入り口に近い、カウンターの向こう側に立っている。死体(肉)を切りながら、客が来るとにっこり微笑んで迎えてくれるのだ。刃物を持っているが、怖くはない。
 
後から来た男たちも、次から次へと呪文(注文)を唱えてゆく。やはりロースカツが人気のようだ。他にもヒレカツ、串カツ、リブロースカツ、カツカレー、カツサンド、カツバーガーなど、カツの付くものが一通りある。
 
死体を切る男は、注文を受けてから死体を切り始める。死体といっても豚の死体だ。鋭利な包丁を滑らせるように、その男は肉の塊から5cm厚くらいを切り出した。長さは15cmほどある。そしてその切り出した肉の端を、丁寧に削ぎ落していた。無駄な部分を落とした後、男はその5cm厚を卵に漬けた。その後の工程はここからは見えない。
 
しばらくすると、女は私が注文したロースカツ定食をお盆に乗せてやってきた。先ほどの5cm厚の塊が、1cmごとに切り刻まれている。こんな大きなロースカツは見たことがなかった。
 
付け合わせは山盛りのキャベツの千切りと豚汁。カツを食べる際にはソースに漬けるが、ほかに、ボリビアの塩とメープルシロップ、合わせて3種類の味を楽しめる。一つ一つにこだわりを感じる。そういえば使用している豚肉も特定の産地からのようで、店の中には近郊の産地が掲載されていた。
 
カツを口に含んでみる。噛むたびに、じゅわっと肉汁が口に広がる。こんなに大きなカツを揚げるのは難しいはずだが、奥まで火が通っているし、しかも柔らかい。それでいて衣が離れずにまとまっている。何気ないこのこだわりのために、注文を受けてから肉を切っているのだろう。だから入り口から見えるカウンターで、死体を切る男は包丁を持って立っているのだ。
次の瞬間には隣の男と同様に、私はむさぼり食っていた。喉の奥から、もっと、もっと、という衝動が沸き起こっていた。
 
私が普段口にするロースカツとはまるで別物だ。私が普段よく見るものはそもそも薄い。衣のほうが厚いことすらある。肉が厚いロースカツを口にしたことがあるが、そのときでもせいぜい1cm厚だ。
 
それに対して、いま私が目の前にあるロースカツは5cm。単純に計算すると、たんぱく質の量も5倍。庶民と裕福層とはこんなところで栄養状態に差が付くのか、と思い知らされる。
 
会計を済ませた。目が飛び出るほどではなかったが、またすぐ来るには厳しい価格だった。しかし店を出た時に、身体も心もエネルギーが満ち溢れるのを感じていた。ああ、生きている。その喜びが込み上げてきた。
 
この経験は私の中でロースカツのイメージをがらりと変えてしまった。そして私の身近な目標を与えてくれた。
 
そしてツキイチでも良いから、このようなお店に通える大人になりたい。できれば友人や将来の家族を連れてきたい。
 
なりたい自分になるには、ただ願うだけではなく、想像力が必要だ。なりたい自分になっている様子を具体的にイメージする。このとんかつ屋に通っている自分というのもその具体的の一つになった。
 
それ以来、そのとんかつ屋の前を通りかかるたびに、私は死体を切る男の笑顔を思い出す。
 
 
 
 
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2020-02-07 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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