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いい顔でいこう! 家族をつなぐ金持ちの道楽


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記事:谷口季代子(ライティングゼミ・平日コース)
 
1年前に私の父が、こう訴えた。
「目が回る」
「モノが何個にも見える」
「真っすぐ歩けない」
「気持ち悪い」
父と二人暮らしの母は仰天し、救急車を呼んだ。
 
各種検査を経て、脳のスキャンを撮った。
視神経の奥に出血があった。
出血は大した量ではなかったが、視神経を邪魔する場所だった。
ややこしい場所だけに、手術ができないとのこと。
視神経を邪魔している血は、じわじわ引いていく可能性もあるが、
このまま引かない可能性もある、と聞かされた。
 
退院後、父はメガネにフタをするプラスチック板を、眼鏡屋で仕入れてきた。
なぜかわからないけれど、片目ずつ見るとラクなのだそうだ。
モノが何個にも見えて、目が回るのが軽減されるとのこと。
30分おきに、そのプラスチック板の左右を入れ替える。
本やテレビも長くは見られないので、ヒマだとぼやいていた。
 
一番ショックなのは、大好きな釣りにいけなくなったことだ。
目がおかしいので、まずは車を手放すことになった。
そうすると、通っていた釣り船屋さんに行くことができない。
そもそも目がよく見えないから、釣りの仕掛けを竿につけることも難しい、と諦め顔だ。
 
父が釣りにハマった日を覚えている。
おそらく、私が幼稚園の年長か小1くらいのときだと思う。
ちゃんと記憶にあるし、私も会話に参加していたから。
会社の同僚に誘われて、「ヒラマサ」を釣りに船に乗って海に出るそうだ。
ヒラマサは、アジ科の魚で大物らしい。
「ウチのクーラーボックスに入り切らなかったらどうしよう」と父が大真面目に言うと、
「釣れてから心配しなさいよ」と母がそっけなく返すのだった。
案の定、父は「ボウズ(何も釣れないこと)」で帰ってきた。
 
我が家では、こんな新ことわざが流行った。
取らぬ狸の皮算用ならぬ、「取らぬヒラマサのクーラーボックス算用」
これには、父も悔しかったらしい。
ハートに火がつき、まずは釣りのガイド本を買ってきた。
以降、週末は海に向かうのが父の習慣となったのである。
父の上達に従い、我が家の食卓はだんだん魚中心になった。
 
母は、釣り道具や釣り船代に出費がかさむのと、
釣れた魚を、ひたすらさばかなくてはいけないことを呪い、
父の新しい趣味を「金持ちの道楽」とぶった斬っていた。
 
肉が夕食に出るのは週1か2週1。
それ以外は毎日魚、魚、今日もさかな……
私と兄は、ひたすら肉に憧れをもつ幼少期と思春期を送ったのである。
 
ときどき父は、われわれ兄妹を釣りに連れて行ってくれた。
千葉の行徳から出る釣り船で、ハゼやキス釣りに、
東京の芝浦から出る夜釣り船で、穴子釣りに。
 
そのときに見る父の姿は、いつもと全く違っていた。
テキパキと車から道具を取り出して釣り船に積み込み、
いともかんたんに、二人の仕掛けを作ってくれた。
われわれが釣ると、自分が釣ったことのように喜び、船長さんに報告していた。
そして自分が釣っているときの表情は、真剣そのものである。
 
一番われわれを驚かせたのが、周りの釣り仲間との交流だ。
「おう、○○さん。今日は調子どう?」などと、たくさんの釣り客と交流している。
「今日はウチの息子と娘も釣れてきたんだよ」
「ええ? 小学生かい? いいねえ」
父も周りの人も、ご機嫌でいい顔をしていた。
家では決して見ない、いい表情だった。
 
われわれ兄妹は、父の「金持ちの道楽」を、だんだん肯定的に捉えるようになっていた。
だって、お父さんはこんないい表情なんだもん。
きっと、釣りは楽しくていいものに違いない。
そう思えた。
 
おかげで、兄も私も釣りはボチボチ続けている。
父ほどの熱量ではないが。
慣れ親しんだ趣味の一つになっている。
子どもが3歳くらいになって、短い竿を扱えるようになったから、
こんどは私が子どもを誘って、海釣りに出かけたりしている。
兄も、子どもたちと連れ立って、釣り堀とか沼釣りに行っているそうだ。
 
生きがいの釣りに行けずにヘコんでいるだろうと、父を釣りに誘った。
子どもがいるから、岸壁からの豆アジ釣りだったが。
ようやく、片目ずつ見る生活に慣れてきた父は、
立ち寄った釣り道具屋で仕掛けを仕入れ、嬉しそうに顔なじみの店員と談笑していた。
そしてテキパキと孫たちの道具を用意。ニコニコと見ていた。
孫たちが豆アジを釣り上げると大喜び。
「よーし、じいちゃんも負けないぞー」と、久々の釣りを大いに楽しんでいた。
いい表情だった。
なんとも、いい表情だった。
家族でなんと200匹近くの豆アジを釣り上げた。
父は、手でかんたんにさばける豆アジの処理を孫たちに伝授。
家族でワイワイと処理すると、母がカラッと揚げてくれた。
 
おかげで、孫たちはすっかり海釣りとじいちゃんのファンに。
「またじいちゃんと釣りしたい!」
これには、すっかり父もその気になった。
そしてこれを機会に、海釣りが再開できたのだ。
馴染みの釣り船屋さんが車で迎えに来てくれる、というご厚意で。
末永く楽しんでもらいたいと思う。
 
父の釣りは、たしかに「金持ちの道楽」かもしれない。
これまで一財産はつぎ込んでいるに違いない。母がよくぼやいている。
でも、いい表情で真剣に取り組んでいた。
そして、仲間がいていい雰囲気だった。
だから父の趣味は、われわれ兄妹へ、そして孫たちへ伝わった。
そしてそのパワーが父に返って、ヘコんだ気持ちが前向いたようだ。
 
本気の趣味は、たしかにカネがかかる。
やらない人から見たら「金持ちの道楽」かも知れない。
でもそれだからこそ、いい表情でやりたいものだ。
それは家族をつなぐ可能性がある。
私は、父の「金持ちの道楽」にそれを学んだ。
 
 
 
 
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2020-02-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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