アマガエルは空を飛ぶか
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:大越香江(ライティング・ゼミ特講)
わたしが子どもの頃、家族でアパートの1階に住んでいた。
ベランダのプランターにイチゴを植えて育てていた。ベランダの1mくらい下には庭があり、家族でトマトなどを植えて家庭菜園を楽しんでいた。
日当たりが良かったのでトマトはすくすくと成長し、地面からベランダまで達するまで大きくなった。母は切った竹を何本か調達してきて、土に挿し、ベランダの柵にくくりつけてトマトの支柱にしていた。トマトは秋には枯れ始め、使わなくなった竹の支柱はまとめてベランダに寝かせて保管されていた。
ある冬の日のことである。
「ここ、見てごらん」
母に促されて、ベランダに置いてある竹の端の節をのぞきこむと、小さなアマガエルがじっとしていた。
その竹の節のすみっこに、アマガエルが冬眠していたのである。
「こんな所で冬眠するアマガエルなんて聞いたことがないね」
「土の中じゃなくて、寒くないのかな」
母は私の古い毛糸の靴下を出してきて、アマガエルのいる竹の支柱にかぶせてやった。
「これで少しは暖かいんじゃないかな」
春になって少し暖かくなってから、靴下を外してやった。
いつの間にかアマガエルはいなくなっていた。庭に降りたらしい。
「カエルは元気かなあ?」
「庭のどこかにいるんじゃないの?」
夏になると、トマトの周りでアマガエルを見かけるようになった。彼は、竹の支柱がお気に入りだったようだ。支柱として立てた竹の節に入り込んで休憩したり、竹の支柱を伝ってベランダのプランターと庭を行ったり来たりしていた。
それでも、私たちが窓を開けてベランダに出ようとすると、庭にピョーンと飛び降りて姿を隠すのだった。
次の冬には再び、ベランダに置いた竹の支柱の端っこで冬眠していた。
私たちは、再び毛糸の靴下をかぶせてやった。
春になると、カエルは庭に戻った。
夏の間、カエルは庭とベランダを行ったり来たりして過ごしていた。
そんなカエルとヒトの奇妙な繰り返しが、2、3年は続いただろうか。
私たちは、カエルが身近にいることが当たり前な感覚になっていた。カエルは相変わらず、人の姿を見るとベランダから庭に飛び降りた。それでも、遠くまで逃げてしまうことはせず、庭とベランダを行ったり来たりしていた。
ある時、私たち家族が引っ越しをすることになった。引越し先は、同じ学区内にある近くのマンションである。
慌ただしく引っ越した。
ベランダに置いてあったプランターと竹の支柱も新しいマンションに運び込んだ。庭の家庭菜園はそのままになった。
引っ越して数日後であったろうか。
母が何気なくベランダに出た。
「あっ」
母が絶句した。
「どうしたの?」
「あのアマガエルが……」
母は見てしまったのだ。
あのカエルがベランダから飛び降りたところを。
そう、あのカエルは私たち家族と一緒に引っ越し先についてきていたのである。竹の支柱の中にいたのか、プランターのイチゴの葉に隠れていたのか……
私たちは、引っ越しのことで頭がいっぱいで、カエルのことは全く頭になかった。
まさか、引っ越し先にまでついてきていたとは!
彼は、いつもと同じようにうちのベランダからピョーンと飛び降りたのだった。
……否、いつもと違うことがあった。
引っ越し先のマンションは5階で、下はアスファルトの駐車場であったことである。
私たちは、顔を見合わせた。
下をのぞき込んだが、5階の部屋からは確認できなかった。かと言って、駐車場まで降りて彼がどうなったかを確認する勇気は、なかった。
「あのカエル、どうなったと思う?」
「死んじゃったかなあ……」
「カエルは軽いから大丈夫じゃない?」
「でも、5階だし、下はアスファルトだし……」
母も私も、心が痛んだ。
誰が悪いわけでもない、間が悪かっただけなのだ。でも……
彼は、うちの庭とベランダを行ったり来たりしていたし、竹の支柱の端で過ごすのが大好きだったのだ。引っ越しの前に、私たちが気づいてやればよかった。
こうして、私たち家族と小さなカエルの共同生活は突然、終わった。
アマガエルは空を飛ぶか。
さすがに、アマガエルは空を飛べないだろう……カエルの中には、トビガエルのように空を滑空して木から木へ飛び移る種類もいる。ただ、そういうカエルは水かきがたいへん発達している。
残念ながら、アマガエルの小さな水かきでは、そんなに滑空できるとは思えない。
それでもやっぱり、あの時のアマガエルが、空を飛ばないまでも、なんとか少しでも滑空して、うまく着陸してくれていたらいいのに、と思う。
今でも思い出すと心が痛む、カエルとヒトのお話である。
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