小学校4年生から中学2年生まで 「コドモ嫌いなオトナ」に育てられていた話。
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:タナカ(ライティング・ゼミ平日コース)
先生と出会ったのは、今から14年前。先生が31歳、私が10歳のときだった。
はじまりは、地域の児童劇団。
児童劇団といっても、集まった子どもたちはプロの役者ではない。
まだまだミルクの香りが抜けない、ごくごく普通の小学2年生から中学2年生。総勢80人の子どもたちだった。
私が生まれた街では、毎年夏になると小劇団の若手劇団員を講師に招き、
「オーディションで選ばれた子どもたちに舞台経験をさせる」という催しがあった。
……「次の方、どうぞ」
軋むパイプ椅子に腰をかけ、じっとこちらを見つめるうら若い劇団員は、両親と学校の先生しかオトナを知らない10歳子どもにとって、未知の世界そのものだった。
その中心にいた先生は、背が高くて、髪の毛がサラサラで、長い手足をもてあましていた。優雅で、綺麗な男の人だった。
「この人はどうやって生活をしているのだろう?」と思うような人が、ときどき演劇や芸術畑には存在するが、先生もまさにこのタイプだった。
大きな家でひとり暮らしながら、文章を書いたり、脚本を書いたり、演出をしているという。
先生が描く物語は「子ども向け」から一番遠いところにあるような作品ばかりだった。
あるときは「ブラックユーモア」で、またあるときは「救いようのない悲しいラブストーリー」だった。
子どもと一緒に作る舞台は、先生にとっても未知の世界だった。
初稽古を迎えるにあたって、先生は毎年決まってこう口にした。
「僕はコドモが嫌いです」
その年初出演の子どもたちの顔がこわばる。
何度か出演している常連の子どもたちは「今年も先生のコドモ嫌いが出た!」と声をひそめて嬉しそうに笑っていた。
先生は、落ち着いた声でたんたんと続ける。
「君たちは、今日からひとりの役者です。僕は君たちのことをコドモだと思って接しません。ひとりの役者として、また、ひとりのオトナとして扱います。だから決して、甘えないこと」
その言葉の通り、次の日から先生は子どもたちに対して、大人同様に接した。
良い演技ができるようになれば惜しみなく新しい「セリフ」をあたえ、少しでも怠けると容赦無く「出番」を奪った。
だけど、誰も泣かなかった。
年齢も経験も関係ない。そこにあるのはほんの少しの実力と努力。そして圧倒的な熱量だけだった。
めくるめく夏の稽古は子どもたちを、みるみる成長させた。
「おはようございます」「ありがとうございました」「お先に失礼いたします」稽古場に子どもたちの澄んだ声が響く。
あどけなかった2年生も、お母さんの後ろで泣いていた3年生も、夏の舞台の幕が降りる頃にはみな一様に「大人の顔」をしていた。
子どもというのは不思議な生き物だ。
あどけない顔をして、巧みに空気を読みながら、その場その場で与えられた役割を演じ分ける。
甘やかしてくれる両親の前では「〇〇家の娘」になり、学校の先生の前では、周りから浮かない程度の「児童A」へと変身する。
80人の子どもたちも同じだった。
私たちは、先生の前だけは揃って「オトナの役者」を演じた。
先生は「子どもが(自ら自覚して)コドモとして振舞うこと」を特に嫌っていた。
くるくると変わっていく子どもの本質を、どこかで見抜いていたのだと思う。
……ずっと後になって、先生は言った。
「『コドモが嫌いだ』と思ってしまうのは、自分の中にどうしようもない『コドモ』を住まわせているからだ」
2009年、中学2年生の夏休み。
いつの間にか最年長になった私は、最後の舞台に立っていた。
幕が下りた後、初めて先生に下の名前で呼ばれた。
「困ったことがあったら言いなさい」
手渡された小さな紙には、電話番号とメールアドレスが書かれていた。
……
舞台を卒業してからの3年間の私は「小劇団の世界」にどっぷりとハマっていた。
受験勉強もそこそこに、夜遅くまで街の公民館に残って、先生が関わる舞台の小道具を作り、受付をし、打ち上げの飲み会にもノンアルコールで参加した。
頼まれても頼まれなくても、手伝えることはなんでもやった。ただ、学校でも家でもない「オトナの世界」に片足をつっこんでいたかったのだ。
両親はそんな私をとても心配していたらしい。
小道具作りの合間、先生といろいろな話をした。
好きな人の話、吹奏楽部の話、学校で繰り広げられる階級社会の話。
そのうち、私はバカのひとつ覚えみたいに繰り返すようになった。
「舞台に出ていた『あの夏』がいかに特別だったか」ということを。
「中学生の世界がいかに残酷で生きづらいか」ということを。
ある寒い冬の日。公民館を出て先生は言った。
「今、いくつになったの?」
「14です」
人生を決める高校受験は、もう目の前に迫っていた。
「早くオトナになればいい。……そうしたら、今よりずっと生きやすくなる」
「……なりたいです」
「大丈夫、なれるよ」
受験の前日。
ポストに届いたのは「合格祈願」と書かれた鈴のお守りだった。
小さな鈴からは、「チャリン」と可愛い音がした。
……
次に私が先生に会ったのは、それから10年後。テレビの中だった。
「才能発掘」とうたったバラエティ番組の中に先生はいた。
先生が描いた物語がとある賞を受賞した。
画面の向こうに、紙吹雪にまみれた先生がいた。
あいかわらず背が高くて、髪の毛はサラサラで、長い手足をもてあましていた。厳しかった瞳は柔らかくなって、ほんの少しだけ年をとったように見えた。
数年前に、児童劇団は長い歴史に幕を閉じた。
市からの予算がおりなくなってしまったのだ。
私たちが熱狂した大きな舞台は、
数年前の大阪北部地震の影響で老朽化が進み、取り壊しが決まっていた。
近所の喫茶店、寒い冬。
キーボードを打つ手をパタリと止めて、コーヒーをごくりと飲み干す。
そっと席を立つ。
「チャリン」と、鞄の奥に眠った鈴がまた小さな音を立てる。
24歳になった私は、先生と出会ったこの街で気がつけば4年も「物書き」として生きていた。
ミルクの香りが消えた今。
「コドモが嫌い」と言ったあの人と、もう一度話がしたい。
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