コーチングで人生の「地図」は手に入るか?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高橋実帆子(ライティング・ゼミ日曜コース)
「地図が……」
私はつぶやいた。
「地図?」
PC画面の向こうにいるUさんが私の言葉を繰り返した。
「地図を、失くしてしまったみたいなんです。今、自分がどこにいるのか。そもそも、どこに向かっていたのか、わからなくなってしまいました」
言葉を選びながら、まるで中学生みたいだなと私は思い、苦笑いした。アラフォーの大人が口にするセリフとも思えない。でも、それは私の正直な実感だった。
この7年ほど、立ち止まって考える余裕もなく、夢中で走ってきた。育児と家事、仕事の両立は楽なことばかりではなかったが、私は仕事が好きだった。一生けんめい手を動かすことは楽しかったし、誰かに喜んでもらえると嬉しかった。結婚を機に、一度は辞めた仕事だったから、「また、世の中の役に立てる」と思うと、喜びもひとしおだった。うまくいかないことがあって落ち込んでも、「新しいことを覚えるチャンス」と思って乗り越えてきた――はずだった。
「初めは、仕事を任せてくれる人たちの『期待に応えたい』と思っていたんです。それがいつの間にか『期待に応えなきゃ』『失敗してはいけない』という気持ちが強くなって。気がついたら、走り続けることが苦しくなっていました。仕事の何が楽しかったのか、どうしても思い出せないんです」
視界は乳白色の霧に包まれている。ここはどこで、私はこれからどこへ向かうんだろう? 漠然とした不安を紛らわすために、仕事量を増やしたりもした。でも、溺れる人がもがくほど沈んでいくように、ますます焦りが強くなっただけだった。
何かを変えなければ――と試行錯誤しているとき、知人から「コーチング」の話を聞いた。専門の勉強をした「コーチ」と呼ばれる人との対話を通じて、仕事や人生の方向性を見出していくものだという。
「カウンセリングとは違うの?」
私はたずねた。少し考えて、知人は言った。
「カウンセリングは、悩みや不安をカウンセラーに『聞いてもらう』感じでしょう? コーチングでは、コーチがいろんな角度から質問を投げかけてくれる。それで、未来について一緒に考える感じ」
「未来について一緒に考える」というスタンスが、今の私に合っていると思った。調べると、仕事や家事の合間に、オンラインで話すことのできるサービスもあるらしい。コーチングを受けてみようと、私は決めた。事前に性格診断テストを受けて、少し緊張しながら初回のコーチングにのぞんだ。
「はじめまして」
私の人生最初のコーチ――Uさんは、PCの画面越しににっこりとほほ笑んだ。話しやすそうな人で良かった、と私は内心ほっとした。
「高橋さんは、コーチングを通じて、どんなことを実現したいですか?」
Uさんの問いかけに、私は考え込んでしまった。調子がいいときの自分なら、きっと簡単に答えられる質問。でも、霧の中で迷子になっている私には、とても難しい質問だった。
「……地図を、失くしてしまったみたいなんです」
言葉を探しながら、全然質問に答えられていないと思った。
「それから、背負っている荷物が重いです。仕事とか、家のこととか。このままでは長く歩き続けられないので、少し軽くしたいです」
私の話をひと通り聞き終えると、Uさんは、事前に受けた性格診断の結果を参照しながら、今、置かれている状況の分析を手伝ってくれた。コーチが一方的に「教える」のではなく、あくまでも対話の中で私自身が気づき、見出していく進め方がコーチングのポイントだ。
自分の地図を探す気力と体力を取り戻すために、まずは荷物を降ろそう、というのが、対話の中で私がたどり着いた結論だった。1時間のセッションを終えるころには、抱えている過剰なタスクをどんな優先順位で整理していくか、具体的なスケジュールまで決まっていた。
「ひとりでは、ここまで整理できなかったと思います。ありがとうございました」
セッションの最後に、私は言った。
「本当に、よくがんばってこられましたね」
Uさんが言った。適切な距離を保ちつつ、心のこもった言葉だった。気づいたら自分の目から涙がこぼれていて、驚いた。目の前の仕事と家事に追われる日々の中で、こんなふうに客観的に自分を見つめ直すことを、長い間怠っていたなと思った。
それから4ヵ月の間に、合わせて3回のセッションを受けた。
2回目にUさんと話したときには、少しずつタスクを整理して、仕事にも育児にも、余裕を持って向き合うことができるようになっていた。
「私の心の中に棲んでいる小さな女の子が、怒っているんです」と私は言った。コーチングを受けるまで、自分の中に女の子がいることなどすっかり忘れていた。ワクワクするような楽しいことが好きで、何か素敵な出来事の種がないかと、いつも目を輝かせて世界を見回している女の子。
「その子は、何か言っていますか?」
「もっと構ってほしい。私の話を聞いてほしいと言っています」
Uさんにアドバイスをもらって、毎日、お風呂の中で、その女の子と対話する時間を持つことにした。
3回目のセッションを受けたときには、大人の私が意識して耳を傾けなくても、子どもの私が勝手にしゃべり出すようになっていた。
「その後、『彼女』との対話はどうですか?」
「はい。お風呂に入ると、彼女の存在を意識しなくても、行ってみたい場所とか、仕事のアイディアとか、ワクワクすることを自然にどんどん思いつくようになりました」
「素晴らしい! 『アンカリング』が起こったんですね」
ある決まった動作をすることで、望ましい心や体の状態をつくり出すことを「アンカリング」というのだとUさんは教えてくれた。有名なところでは、イチロー選手がバッターボックスでとるあのポーズも、高いパフォーマンスを発揮するためのアンカリングの一種だという。
「セッションの前後で、何か変化はありましたか?」
対話の最後に、Uさんが毎回恒例の質問をした。心身の状態を確かめながら、私は答えた。
「4ヶ月前、私は『荷物を軽くしたい』と思っていました。そして今――あらためて気づいたのですが、背負っていた重い塊がなくなっています!」
起こった変化に、私自身が一番驚いていた。
「地図はどうですか?」
Uさんが質問を重ねた。
「地図は……」
顔を上げて、辺りを見回す。いつの間にか霧が晴れ、見晴らしのいい明るい林の中を、私は歩いていた。道のずっと先には、ひときわ明るい広場があって、楽しげな音楽が聴こえてくるようだ。
「地図は、いらないです」
私は笑った。気持ちのいい風が、さっと吹いたような気がした。
「何が起こるかわからないほうが面白いので。ワクワクするほう、楽しそうなほうを選んで歩いて行ってみます」
人生の地図なんて、たぶん、最初からどこにもなかったのだ。ありもしない「自分らしさ」を探し求めて不安にとらわれた私は、ただ形ある何かにすがりたかっただけだ。
「素敵ですね」
Uさんは頷いた。
「心のメンテナンスをしたくなったら、いつでも連絡してください」
「はい。現在地がわからなくなったら、また戻ってきます」
コーチングは、心のベースキャンプみたいなものかもしれない。疲れたり、道に迷ったりしたときにはそこに戻って、心身にエネルギーを補充する。そうして、自分の内側から元気が湧いてきたなら。
また、新たな冒険に出かけよう。
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