結婚記念日には、離婚届を
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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布施京(ライティング・ゼミ平日コース)
「もう、そういうの、やめようよ。」
夫が、地雷を踏んだ瞬間だった。
結婚記念日、三日前のこと。
新型コロナウィルス感染拡大の影響で、なんとなく言いづらかったが、やはり小洒落たレストランでお祝いをしたい、という思いから、「今年はどこで食べようか」と外食プランを切り出したときのことだ。
「そういうのはさあ。新婚の人たちがするんだよ。」
夫は、一つの地雷では物足りなかったのか、二つ目にも足を伸ばした……。
9年前の春分の日、私たちは籍を入れた。
「祝日を結婚記念日にすれば、お祝いしやすいから」
そう言ったのは、夫だった。
だが、夫が結婚後に転職した先は、祝日出勤の会社だった。
……それは、仕方がない。そこに文句はない。
だが、結婚記念日を祝ってどこが悪い? 何年経っても関係ない。結婚記念日を祝うのは、新婚だけの特権ではないはずだ。
こういう態度を取られると、どうしても疑心暗鬼になってしまう。
「やはり、私はだまされていたのだ」
そう、思わずにはいられない「過去」があったからだ。
時は20数年さかのぼる。
中学三年生の時、同じクラスで、運動会の応援団員だった夫と私。
私の家に、応援団の友人たちが遊びに来たことがあった。
家は、昭和初期に建てられたオンボロ木造住宅だったので、前年に建て直したばかりだった。近所では珍しく、玄関が広い吹き抜けになっていて、ちょっと豪華に見える家だった。
ひょうきんな中学生だった夫は、うちへ来て、開口一番こう言った。
「俺だったら、京ちゃんと結婚してこの家乗っ取るぜ!!」
みんなが笑った。私も笑った。
あれから、それぞれ違う道に進み、20数年の月日が流れ、久しぶりに夫と再会し、お互いを意識したとき、「中学の時からお前が好きだった。」と言われた。その瞬間、中学生だった夫が言ったあの場面がフラッシュバックした。
「俺だったら、京ちゃんと結婚してこの家乗っ取るぜ!!」
うれしさよりも、
「この人は本気で乗っ取る気だろうか」という疑問が頭をよぎって、不安になった。
夫に正直にそのことを話してみると、夫は笑って「まったく覚えていない」と言った。
「もし、言ったとしても、もちろん冗談で言ったんだろう。そんなこと本気で言うわけがないよ。」
確かに、そうだ。冗談で言ったことだからこそ、覚えていないのだ。そう思ったら、そんなくだらないことをいつまでも覚えている自分がおかしいと思えた。そして、その後、私たちは結婚を決めた。
実家の母に結婚の挨拶をしに行った。昔なじみで、母も気心が知れており、挨拶こそ少し堅苦しかったが、終わると談笑しながら夕食を一緒に食べた。
夫が帰った後、母とお茶を飲んでいたときのことだ。
「別にね、反対しているわけじゃないのよ。ただね・・・」
母が何を言い出すのか、見当もつかなかった。
「京は覚えていないかもしれないけれど、布施君、京と結婚してうちを乗っ取るって言っていたのよ」
なんと! 覚えていたのは、私だけではなかったのか! そして、あのセリフを本気に捉えている人がここにもいた!
あの時、母も笑っていたはずだ。でも、忘れてはいなかった! 70歳近くになっても、忘れずに覚えていたのだ。
「私だって、覚えているよ! そうだよね! やっぱり、そうだよね!!」
と、言いたい気持ちを、私は、ぐっと抑え込んでしまった。なぜなら、アラフォーの私は、もう結婚に向かって舵を切っていたからだった。
「ああ、それね。私も覚えているけど、布施は覚えていないんだって。本当に冗談だったから、全然覚えていないんだよ。」
と、軽くあしらった。
母は私の言葉に安心したようで、それ以来、その話はしなかった。
「俺だったら、京ちゃんと結婚してこの家乗っ取るぜ!!」
中学生の夫の言葉が、私の脳裏に、改めて、くっきりと刻み込まれた夜だった。
それに、もう一つ。
私を疑心暗鬼にさせる理由がある。
再会してから、私たちはお互い「名字」を呼び捨てで呼び合っていた。私は、自然体がよかったので、むしろその呼び方が好きだった。しかし、夫は「お互い下の名前で呼びたい」と言い張り、仕方なく「名前」で呼ぶようになった。
夫を名前で呼ぶことが当たり前になった結婚1年目、気が付くと、夫は私の名前をだんだん呼ばなくなり、「ねえ」と呼び掛けられることが多くなった。
「自分から名前で呼びあおうって言ったのに、どうして、私を名前で呼ばないの?」
何度も文句を言った。だが、夫は、まったく改めなかった。それどころか、結婚6年目からは、全く私の名前を呼ばなくなった。そんなくだらないことが理由で、何度も大喧嘩に発展した。
そう。くだらない。とてもくだらないことだ。
だが、私の思考は、
「名前を呼ばれない」ということは、
↓
「家庭での存在感がない」ということにつながり、
↓
「夫は妻を誰でもいいと思っている」ように感じられ、
↓
「夫は私のことを好きじゃない」のかもしれないと思うと、
↓
「夫はやっぱり家を乗っ取ろうとしているのだ!」に行きついてしまうのだ。
「俺だったら、京ちゃんと結婚してこの家乗っ取るぜ!!」
もう、この言葉の呪縛から解き放たれたい。中学生のアホな一言に翻弄される人生はもう終わりにしたかった。
地雷が踏まれたことによって作動した決意があった。
「名前を呼んでくれなければ、結婚10年目はない。」
今日は春分の日。夫は仕事で家にいなかった。
まずは、離婚届をネットから入手し、印刷した。
丁寧に、心を込めて離婚届の空欄を埋めていった。
「提出日」は1年後の「令和3年3月19日」と記載した。結婚記念日の前日だ。
「もし、その日までに名前を呼ばれなかったら、離婚届を提出するから、10年目は来ない。」
そんなメッセージが込められている「提出日」だった。
離婚届を眺めていると、なんだかすっきりした自分がいた。
同時に、「届けを出さないでいられたらいいな」と思っている自分もいた。
入籍した日、一冊の絵本を夫にプレゼントした。一緒に暮らす人を大切にしたくなる、そんな内容だった。毎年結婚記念日には、その本の表紙裏に、夫へのメッセージを綴ることにしている。
「ずっと一緒に過ごしていきたい。」
離婚届を書いて気づいた、自分の気持ちを正直に書いた。
そして、そこに「離婚届」を挟んだ。
夫婦のくだらないケンカは日々絶えない。
他人が聞いたらどうでもいいような理由でケンカをする。
夫婦は、そういう一年を繰り返して歳を重ねていくのかもしれない。
毎年、春分の日には初心に戻って、メッセージを書こう。
そして、「提出日」を翌年に変えた「離婚届」を挟む。
一年一年を大切に過ごしていくために。
明日から、10年目に向かって、また新たな一年が始まる。
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