メディアグランプリ

家族という景色


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:田口純美(ライティング・ゼミ通信限定コース)
 
 
今夜も私が全部やるのか……
散らかった部屋。ベランダで冷たくなった洗濯物。保育園から持ち帰った汚れた服を洗濯機に放り込んで、冷蔵庫に頭をつっこむ。おなかがすいて機嫌の悪い娘に「ちょっと待っててね」を何度も言いながら夕飯を作り、娘に食べさせ、お風呂、明日の保育園の準備、寝かしつけ、いや、気絶するように就寝。怒涛のように家事育児タスクが押し寄せるこの時間が毎日怖い。
夫の帰りはいつも遅い。日付が変わる前後だという。私と娘は寝ているから、夫がいつ帰ってきているのか知らない。考えてみれば夫と過ごす時間は、夫が起きてくる朝六時半から出発する七時半までの一時間だ。一緒に暮らしていながら、一日たった一時間。
仕事だから仕方ない、と思う。でも苦しい。夕飯まで子供の相手をしてくれたら。子供に夕飯を食べさせて一緒にお風呂に入ってくれたら。期待できないことを想像したって無駄だけれども、考えずにはいられない。余裕のない毎日が私をむしばんでいく。気が狂いそうだった。昨日も、今日も、そしてきっと明日も続く。いつまで続くのだろう、この日々。
 
数日後、私は会社の最寄駅のホームで倒れた。過労だった。自分の体力の限界を迎えていたことに気が付いていなかったけれど、体は正直だ。
 
今まで、私が頑張ればなんとかなると思っていたし、実際そうだった。
でも、これからもそれでいいのかな。頑張ったらまた倒れるかな。死んじゃうかな、私。
 
夫が好きだから結婚したのに。家族になったのに。同じ屋根の下に住みながら、一日一時間しか会えない、話をする時間もない。仕事と家事と育児に追われている私の頭の中には、夫に対する文句ばかり渦巻いている。こんな生活がしたくて結婚したわけじゃない、こんな生活がしたくて子供産んだわけじゃない。
 
とうとう私は夫に対して爆発した。抑えることはできなかった。
私、もう無理。もう少し家事をやってほしい。なんで私ひとりが全てやらなければならないの。家族なんだから私のことをもっと考えてよ。
 
やっちまった、と思った。最悪な言い方だった。夫は黙って寝た。
 
次の日も変わらなかった。変わらない日常に失望した。
でも、諦めたら終わりだ。
 
私ね、朝、洗濯物を干す時間がどうしても作れない。洗濯物を干して欲しいの。
夫に家事をお願いすることは、正直、気が引けることだった。夜遅く帰ってきているのに、朝早く起きてくれということだから。夫に嫌だと言われるかもしれない。できないと言われるかもしれない。怖い。
しかし夫は、少し面倒な顔をしたものの、翌日から洗濯物を毎日干した。時々、片方の袖が出ていないこともあったし、五本指ソックスの指が隠れていることもあった。干し忘れられた私のストッキングが洗濯カゴに残っていることもあった。出来には目をつぶった。
洗濯物干してくれて、ありがとう。私は、夫が洗濯物を干してくれた後には必ず感謝を伝えるようにした。夫は、ごはん作ってくれてありがとう、と言うようになった。
 
何かが変わり始めた。私は夫に他の家事も手伝って欲しいとお願いし、そのうちのいくつかは夫が担当するようになっていった。ふたりで話をする時間を作り出して、お互いの状況も少しずつわかってきた。夫も、私たちの今の状況をなんとかしたいと思っていたこともわかった。
 
ひとりよがりだったことに私は気が付いた。私がやらなければと思い込んで、ひとりで悩んで憤っていた。頼る努力をしてこなかったのは私だ。夫にわかるように伝えてこなかったのは私だ。疲れて機嫌が悪い私に、夫は近寄りたくなかったのだろう。お願いして、やってもらった事に感謝を伝える。人間関係の構築において当たり前のシンプルなことができていなかったのは私だったのだ。
誰の言葉だっけ。「他人を変えるのではなく、まずは自分が変わること」
そのとおりだ。自分の思い込みを捨てて、方法を探してやってみれば、変わらないと思っていたことも変わる。その先に別の景色が見える。諦めたら見られない景色が、見える。
 
今では、夫が休日の料理担当で、インターネットでレシピを探しては、私よりも上手においしい料理を作ってくれる。娘は、保育園卒業式のサプライズ一言で「おとうさん、おやすみのひに、おりょうりつくってくれてありがとう」と、夫に伝えた。少しくすぐったい気持ちでその言葉を聞いた私は、私が家事をさぼってると思われないかな、とも思ったが、料理を作ってくれるパートナーって最高、と思い直した。思い込みは捨てるにかぎる。
 
 
 
 
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2020-04-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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