心のストレッチ、していますか?
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:高橋実帆子(ライティング・ゼミ特講)
3月から、急に体重が増えた。
犯人はわかっている。「外出自粛」だ。
食べるくらいしか楽しみがないので、つい張り切って料理をする。ずっと家の中にいるとストレスが溜まり、イライラを抑えるためについチョコレートをつまむ。カロリーが増え、運動量が減っているのだから、体重が増えるのは当たり前だ。
「このままではいかん!」と決意したものの、ストイックなダイエットを成功させる意思力が自分にないことはわかっている。そこで、日常生活に少しだけ運動を取り入れることにした。食材の買い物に出たついでに、人の少ない公園をぐるっと一周する。椅子から立ち上がるときに、できるだけゆっくり時間をかける。テレビドラマを見ながら、以前ヨガ教室で習ったストレッチをする。筋肉は、定期的に動かして伸ばしたりほぐしたりしないと、自分の役割を忘れて贅肉に変わってしまうのだ!
できる限り前向きにこの状況を乗り切ろうといろいろ工夫してはいるけれど、テレビやネットで明るくないニュースを毎日見聞きしていると、やはり日に何度かは不安になったり、気が滅入ったりする。「外出自粛」の呼びかけが始まった当初は、「この時間を利用して、いつか読むつもりだった“積ん読”本を片づけよう!」と張り切っていたのだが、読書は思いのほか進まない。数ページ読むと、不安な気持ちからついスマホを開いたり、テレビをつけたりしてしまって集中できないのだ。
家の中で、スマホもテレビのリモコンも持ち込めない場所と言えば、お風呂である。10代のころ、私はお風呂で読書することを日課にしていた。ある日、図書館で借りた本をお風呂で読みながらついうとうとした拍子に浴槽に本を落とし、司書さんに平謝りして弁償するという惨事を引き起こしてからは、愛する本を守るためにこの習慣を封印していた。
でも、今の私には秘密兵器がある。防水機能を備えた電子書籍端末だ。どうしても紙で購入し、手元に置いておきたい本もたくさんあるが、冊数の多いシリーズものの小説などは、保管場所をとらないので電子書籍で読むことも多い。
その秘密兵器も、外出自粛が始まってからは何となく手に取らなくなっていたのだが、久しぶりに充電してお風呂に持ち込み、お気に入りの入浴剤を入れたお風呂で開いてみた。
選んだ本は、佐藤雫『言の葉は、残りて』(集英社)。鎌倉時代を舞台にした青春小説だ。ふだん、あまり時代小説は読まないのだが、気分転換をするなら、現代とはまったく違う世界を舞台にした小説の方がいいと思った。
主人公は、三代将軍源実朝と、公家からお嫁に来た妻の信子。惹かれ合う2人の初々しいラブストーリーと美しい文章に夢中になって、「お母さんお風呂まだ?」と子どもたちに呼ばれるまでつい時間を忘れて読んでしまった。
お風呂から出たら、不思議と気持ちが軽くなっていた。現実の厳しさは変わらないし、悩みの種が減ったわけではないのだが、わずかな時間でも現実とは別の世界に憩うことで、不安を忘れ心が落ち着いていた。優れた物語には、癒しの力が宿っている。
その日から毎晩、お風呂の中で少しずつ小説を読み進めるのが日課になった。主人公の2人は、歴史の荒波に揉まれながらも、和歌を通じて少しずつ心の距離を近づけていく。小説の序盤に、こんな一行があった。
「やまとうたは、人の心を種として、万(よろず)の言の葉とぞなれりける」
この小説のタイトルにもなっている、古今和歌集の序文だ。数十年前、古文の教科書で見たことがあるはずだが、こうしてあらためて目にするまで、もちろん思い出したことなどなかった。何気なく「やまとうたは…」と声に出して読み上げてみる。なんてきれいなリズム、そして音の並びだろうと思った。誰も聞いていないのをいいことに、少し大きな声でもう一度読んで、お風呂の中に音韻を響かせてみる。言葉に命が宿り、空に向かって舞い上がるのが見えたような気がした。
和歌は「歌」なのだとあらためて思った。言葉とリズムとメロディ。
物語に出てくる和歌を声に出して読むという楽しみが、私のお風呂での日課に新しく加わった。
そうして毎日物語を読むようになって何日かが過ぎ、ある朝、いつも通り運動不足解消のための散歩に出たとき、空を見上げて「あれっ」と思った。空の青色と、新緑の色彩が、急に目に沁みるようにくっきりと美しく見えたのだ。最初は何が起こったのかわからず、ぽかんと口を開けたまま空を見ていた。木の枝にとまった鳥のさえずりが聞こえたときに、ようやく昨日までの自分が色彩と音を失って、モノクロの世界にいたことに気がついた。
自分や大切な人たちの生命と健康を守らなければならないという危機感の中、現実的な問題への対処や、明日への不安で頭がいっぱいになった私は、いつの間にか「心」を使って感じることを止めていたのだと思う。
使われなくなった筋肉が、自分が筋肉であることを忘れ衰えていくように。喜怒哀楽の感情や、何かを美しいと感じる心もまた、動かさないでいる間に鈍くなっていく。体の運動不足と同じくらい、心の運動不足も深刻な問題だ。心が運動不足になっても、栄養と睡眠をとっていれば人の体は機能を維持できる。でも、心を動かすことこそが人生の豊かさだし、人間が生きている大きな意味のひとつだと私は信じている。
私の場合、優れた物語が「心のストレッチ」のような役割を果たして感受性を蘇らせてくれたが、好みによって、映画でも、漫画でも、音楽や絵画でもいいと思う。夢中になれる別の世界に身を置いて、その世界を味わうことは、心の筋肉を伸ばしてほぐすようなもの。野球選手が素振りでイメージトレーニングをするように、現実の世界で心を動かす練習になる。
『言の葉は、残りて』の主人公源実朝は、武家の将でありながら、武芸よりも文芸を愛する繊細な心の持ちぬしだった。熾烈な運命に耐えられず、芸術に耽溺することで現実逃避をしていたのではないかと、以前の私は考えていた。でも、この小説を読み終えた今は、少し違う印象を抱いている。実朝は恐らく、彼にしかできないやり方で現実と戦ったのだ。だからこそ、その結晶が今、こうして和歌という形で後世に残り、800年経った今も読み継がれている。
自分の外側で起こる出来事に、勇敢に対処することだけが戦いではない。一人ひとりの胸の内で、人知れず行われる目に見えない戦いがあることを、こんな時代だからこそ心にとめていたいと思う。
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