メディアグランプリ

もしも街角で知らない人に突然銃口を向けられたら、母は号泣しながら私を盾にするだろう。


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:大和田絵美(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
強い吐き気に襲われて、目が覚めた。
遊園地にある「バイキング」に、連続で10回ぐらい乗せられた時のような強い吐き気。
吐く……
あらかじめ枕元に置いておいたビニール袋を口元に手繰り寄せる。
「うぇぇぇ」
ドラゴンボールの「ピッコロ大魔王」が卵を産むような擬音とともに、胃の中の物を吐き出した。
「どうしたの?」
隣で寝ていた母の声だ。
実家を離れて10年以上。
すでに私の部屋はなく、帰省した時は母と同じ部屋で寝ることが常だった。
すぐに返答出来なかった私が気になったのか、母は首をあげて私の方を見た。
私が吐いたことが分かったのだろう。
てっきり起き上がって助けてくれるかと思ったが、母は、枕元に置いていたティッシュボックスの箱を私に投げつけ、布団をガバリと頭から被り、私に背を向けた。
そして背中を向けたまま、するどい声で牽制した。
「まさか、ノロウィルスじゃないでしょうね。うつさないでよね。絶対にうつさないで。吐いた物とか汚れた物はちゃんと自分で片付けてね」
母の投げたティッシュボックスは、私のおでこにクリーンヒット。
「痛い……」
小さく呟いてみたけれど、母は無言。
吐いたことで気持ちもスッキリしたので、私はそっと布団から抜け出した。
廊下をとぼとぼ歩いて、洗面所に向かう。
ゴミ袋を取り出して、吐しゃ物の入ったビニール袋をその中に入れた。
嘔吐で汚れたパジャマも洗うのが面倒だったので、そのままゴミ袋に突っ込んだ。
ゴミ袋の中に一応消毒液を散布して、口を堅く縛って玄関に置いた。
髪の毛先や手は石鹸を使って洗い流した。
そして念のため、汚染されていそうな場所にも消毒を撒いた。
廊下が寒かったこともあり、気分はだいぶよくなっていた。
もう一度眠れるかな……そう思って布団に戻ると、母はすでに寝息をたてていた。
 
これは本当に起きた、ある夜の出来事である。
さて、視点を変えて、これを母の方から見てみようと思う。
 
カサカサと変な音がして目が覚めた。
枕元の時計は深夜2時を指していた。
久しぶりに帰省した娘が寝ている方から、その音は聞こえてきた。
次の瞬間、蛙がつぶれた時のような、「ぐぇぇぇ」という音が響いた。
音とともに異臭を感じ、娘が吐いたのだと分かった。
そう言えば眠る前に、気持ちが悪いと言っていた。
ビニール袋を枕元に置いて寝ていたから、それを使ったのだろう。
娘の方を向き、「大丈夫?」と声をかける。
「うん」と言う声は、思っていたよりも平気そうだった。
起き上がって様子を見ようと思い布団をまくったところで、最近ノロウィルスが流行していたことを不意に思い出した。
夕方のニュースでもやっていた。
確か、高齢者が感染して亡くなったのではなかったか。
娘は35歳、私は70歳。
私が感染したら、命にも危険が及ぶかもしれない。
突然の勢いのある嘔吐……本当にノロウィルスかもしれない。
あるいは、もっと別の難解なウィルスの可能性もある。
娘はまだビニール袋に顔を突っ込み、えずいていた。
とても辛そうである。
「ノロウィルスかもしれないね。大丈夫? 感染力が強いみたいだから、気を付けないとね」
優しく話しかけ、枕元のティッシュを渡そうとした。
でも、娘に触れると感染してしまうかもしれないので、触ることは出来ない。
ノロウィルスは空気感染もするというので、なるべく距離を開けて、ティッシュは娘の方に箱ごとそっと放り投げた。
「痛い……」娘のうめき声が聞こえる。
頭やお腹が痛むのだろうか。
ウィルスに感染していたとしたら、熱が出ているのかもしれない。
苦しむ娘を見ていられず、そっと背を向けた。
そのうち、娘の嘔吐は落ち着き、布団から出ていくのが分かった。
ビニールのガサガサという音や、洗面所の水音が聞こえる。
吐いて気分も少し良くなったに違いない。
優しい娘が気を使わないように、私はもう一度目を閉じた。
 
母はこういう人だ。
昔から、娘の私よりも、自分のことを優先させてきた。
私のことを愛していないわけではない。
ただ、お腹を痛めて産んだ私よりも、自分のことが好きなだけなのだ。
 
社会人になってすぐの頃、職場の上司に外見を揶揄されたことがあった。
大して気にしていたわけではなかったので、母に笑い話として、「上司に『お前は顔が可愛くないな』って言われちゃった」と伝えた。
こういう時、大抵の人が「地球は丸い」と答えるように、母親だったら「あなたは可愛い」というものではないだろうか。
世界中の人が否定したとしても、唯一親だけは「あなたは可愛い」と言ってくれる存在で、親とはそういうものだと思っていた。
しかし、うちの母はあっけらかんと、こう言ったのだった。
「私は綺麗な方だけど、あなたはお父さん似だから、普通。普通ね!」
母は確かに、由紀さおりに似た上品な顔立ちの色白美人で、娘の私から見ても綺麗だと思う。
でも、世間からブサイクと言われている芸人ですら、親は「可愛い」「イケメン」と言っているのに、実の娘に「普通」って……
この発言にはさすがに少しびっくりした。
 
でも、母は私のことを愛していないわけではない。
ただ、お腹を痛めて産んだ私より、自分のことが好きなだけだ。
 
ある時、母と海外旅行をすることになった。
渡航先は、市民にも拳銃を持つ権利が与えられている国で、数年前に観光客を巻き込んだテロが起こった場所でもあった。
現在の治安はもちろん回復しているのだが、夫はとても心配した。
「もしも街角でテロリストに遭遇して突然銃口を向けられたら、君のお母さんは、何の迷いもなく、君を盾にするんだろうな」
結婚して数年が経ち、夫も母のことをすっかり理解していた。
「そうそう。そうだと思うよ。でも、めっちゃ泣きながら、私の後ろに隠れると思う」
「きっとそうだよね。号泣する。でも、前には出ないね。むしろ、ずいずい君を犯人の方に押し出しそう」
「そうそう。それで、撃たれた私に抱きついて号泣。でも、きっとそのうち元気になってさ、『あの子の分まで私が楽しく生きなきゃ』とかって言ってそう」
「『いつまでも泣いていたら娘が悲しむ』とか言ってね」
そんな話をして、夫と笑いあった。
 
「君達の親子関係って本当に面白い」と夫は言う。
でも、この親子関係で40年やってきているので、私はもう慣れてしまっている。
決して愛されていないわけではないというのは分かっている。
普通と少し違うだけ。
母には、一般的な「母性」というやつが若干足りていないのかもしれない。
 
近頃、新型コロナウィルスが流行しているので、感染予防の一つとして、落ち着くまで親とは会わないと決めた。
実家は70代半ばの両親が2人で暮らしている。
しばらく帰省しないことを伝えると、母は寂しがる素振りもなく了承した。
「そうね。感染すると、高齢者は重症化することもあるらしいし、そうしましょう」
そして、こう付け加えた。
「でもね、お父さんとずっと2人って息がつまるのよ。お父さんだけ、そっちの家で預かってくれない?」
さすが、我が母。
母性だけではなく、「妻性」も少な目なのかもしれない。
 
 
 
 
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2020-04-16 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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