出会って3分のよく知らないおじさんに説教された《川代ノート》
記事:川代紗生(天狼院スタッフ)
たまたま訪れたとある書店の店長に、猛烈な説教をされて泣かされたことがあった。
あ、ちなみに、天狼院の話ではない。もっとべつの本屋さんで、私が天狼院に出合うよりもかなり前の話だ。たぶん7年か8年くらい前じゃないかと思う。
私は大学生で、これから自分が何をしていくべきなのか、何がしたいのか、将来がまったく見えてこず、悩んだ結果、たまたま雑誌で見かけたその本屋に、行ってみることにした。
小ぢんまりとしたセレクト型の本屋で、スタッフが大好きな本をおすすめしてくれるという話だった。
勉強も恋愛もうまくいかない、親との関係もうまくいかない、自分が何をしたいのかもわからない。何か自分の「軸」みたいなものを見つけたいけれど、どうしたらそれが見つかるのかわからない。
とにかく八方塞がりだった私は、わらにもすがる思いでその本屋に行ってみることにしたのだった。電車でけっこうかかる距離で、わりとへんぴな場所にあった。その本屋以外に面白そうなスポットもとくにない。でも私は、そこに行かないわけにはいかなかった。その本屋が自分の運命を変えてくれると信じていたし、そろそろ自分の人生を変えてくれる「何か」に出合えないと、まずいとすら思っていた。
入ってみるとその本屋はがらんとしていて、ほとんどお客さんは入っていなかった。奥のスタッフルームのような場所で、店員が暇そうにしているのが見えた。
あれ、とちょっと不安になったけれど、私はそのまま店内を物色することにした。
店内は、大型書店では見かけない本ばかりだった。どれもこれも面白そうに見えたけれど、どれを手に取ればいいのか、どれが自分に合っているのかわからなかった。そもそも私は人に本をおすすめしてもらいに来たのだ。自分で選んだら意味がない。
どうにかしてスタッフに話しかけてもらいたかったけれど、結局話しかけてくれるそぶりは一ミリもなく、スタッフはカウンターに座ってじっとしていた。みずから話しかける勇気がなかなか出て来なくて、私は結局、滞在してから1時間後、思い切って声をかけてみることにした。
「おすすめの本はありますか」と私はたずねた。するといかにも「本屋のおっちゃん」という感じの気難しそうなおじさんが奥から出てきた。にこりともしなかった。私は個人的な事情をいくつか手短に話した。今大学生で、進路に悩んでいる。どんな選択をすればよいのかわからなくて困っているので、そういった悩みに効きそうな本はないだろうかとか、そういう話だ。彼はぼそぼそと小さい声で何かを呟いたあと、私に2冊の本をおすすめしてくれた。それぞれの本は、こっちはこういう内容で、そしてこっちはこういう内容です、と彼は説明した。
それを聞いて、そしてタイトルを見て、正直なところ、私はどちらもピンと来なかった。
それでつい、こう言ってしまったのだ。
「何か、ちょっと違うかな、という気がするんですけど、それ以外だとおすすめはありますか」
私がそう言うなり、おじさんの顔色がさっと曇るのがわかった。あれ、何かまずいこと言ったかな。どきりとしていると、ぼそぼそとしゃべるだけだったおじさんが急に声音を変えて、
「あなたね、悩んでるって言ってるけど、そう悩んでる原因って、人の話をちゃんと聞かないからじゃないですか」
と言った。びっくりした。まさか突然訪れた本屋の、出会ってからまだ3分も経っていないような知らないおじさんに怒られるなんて思ってもみなかったからだ。
彼は続けた。せっかく人が時間を割いてあなたに合うものを考えている。それなのにあなたは聞き入れようともせず、一度試してみることすらせず、別の答えを求める。その素直さが欠如しているから、同じことでずっと悩んでいるんでしょう。
それは痛烈な説教だった。赤の他人にそこまで言われるなんてはじめてのことで動揺したということもあって、私はその場で大泣きしてしまった。そのおじさんがあまりに怖かったので、私は
「すみませんでした、やっぱりその本買います」
と言ったのだけれど、これまた驚くべきことに、彼は
「いや、あなたには売りたくないです。もし買いたいなら他の本屋で買ってください」
とまで言い放った。
悔しかったし、なんでお客さんの立場なのに怒られなきゃいけないの、信頼関係ができているわけでもないのに、と思ったけれど、よくよく冷静に考えてみると、彼の言うことは至極真っ当だった。
結局、彼と私は1時間くらい話し込んで、私は本を何も買わずにその店を出た。そんな経験ははじめてだった。簡単には言い表せないいろいろな感情が、ぐちゃぐちゃに絡み合っていた。彼の言う通りだな、とも思ったし、客に対して理不尽だとも思った。ただ、そのときの経験が、私に強烈なインパクトを与えたことは事実だった。
後日談をしてしまうと、そこでおすすめされた本を、私は2冊とも別の本屋さんで購入して読んだ。たしかに面白かったけれど、正直なところ、最後まで読んでもそこまでぴんとこなかった。ただ、そのあともう一度その本屋を訪れ、直接おじさんにお礼を言った。
彼はちょっと照れ臭そうにして、ぼそりと聞こえるか聞こえないかの音量で言った。
「ときには怒ることが、褒めることにつながることもあるんですよね」
なんだそれは、と意味がわからなかったけれど、どうしてか以来ずっと、私の胸の奥深く、まるで小骨のようにその言葉がひっかかっていた。
あれから結構な時間が流れ、私はいま27歳である。
社会人になり、自分の進みたい道を見つけ、いろいろな仕事をするようになった。結局、自分にとって一番「しっくりくる」と感じた天狼院書店で働くようになり、店長もやった。書店で働く側の気持ちもわかるようになった。
それで、当時は全然わからなかったけれど、きっとあのおじさんは、自分のイライラをぶつけたかったわけでも失礼なことを言ってきた客を追い返したかったわけでもなくて(もしかするとそれもあるかもしれないが)、たぶん、店を訪れた私という客に、最大限できるサービスは「怒る」ことだと判断したんじゃないかと思っている。
大人を舐め腐り、人の時間と労力を奪うことに対してまったく疑問を抱かない小娘は、一度痛い目に合わないともっとひどい目に遭うと思ったのかもしれない。
自分が怒る側の立場になってみると、いかに「正しく怒る」ということが難しいか、よくわかる。
その相手にきちんと伝わるように丁寧に、されど傷つけすぎないよう。人格否定になってしまわぬよう。甘やかすだけではなくて、ときには「厳しくする」という選択肢を取らないと、相手を堕落させてしまうことになる。
そう、「正しく怒る」というのはひどく繊細で愛情が必要な行動であって、「褒める」ことよりもずっと難しいと思うのだ。
おそらくあの本屋さんに立ち寄ることはもうないと思うけど(今まだ営業しているかもわからないし、もう怒られたくないし笑)、あれは私の人生に必要な分岐点だった。わざわざエネルギーを使って見知らぬ若造を叱ってくれるなんて、優しい人だったのだなと思う。7年越しで伝わる優しさなんて、ずいぶんと不器用なんだなあと、ちょっと笑ってしまうけど。
いろいろな優しさのかたちがあり、いろいろな愛のかたちがある。
そう考えると、今世間が大変になっている世の中で、誰がどんな立場でとか、誰が客でとか、そんなことを気にするのはもはやナンセンスなのかもしれない。
相手がどんな立場であろうと、家族だろうと恋人だろうとコンビニの店員だろうと医療従事者だろうと、互いが互いに最大限できるサービスをするべきであって、その「サービス」というのは結局思いやりであり、愛情なんじゃないかと思う。
昨日、たまたま区役所に野暮用を済ませに行ったとき、どうしてか8年前のこの出来事をふと思い出した。なんだか全世界の人々に愛を伝えたくなり、区役所の人に「ありがとう」と伝えて、深々とお辞儀をして、帰ってきた。
いろいろあるけど、がんばろう。
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