あだ名にまつわるエトセトラ
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
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記事:山下 梓(ライティング・ゼミ通信限定コース)
キャッチーなあだ名が欲しかった。
せめて、下の名前か、ちゃん付けで呼ばれてみたかった。
幼い頃、私は周りの大人から「あーちゃん」と呼ばれていた。ところが、小学校に上がると、突然、苗字に「さん付け」で呼ばれるようになった。はじめは、ちょっとだけ大人になったようなこそばゆい気持ちで、悪い気はしなかった。
三年生ぐらいになると、クラスメイトをあだ名で呼び合うのが主流になっていた。
田中ヒロユキくんなら「タナヒロ」、ユキちゃんなら「ユッキー」、金山くんなら「カネヤン」というように、それらのあだ名は呼びやすくて親しみやすい。
しかし、私にはあだ名がなかった。
どうやらキャッチーなあだ名の持ち主は、クラスで目立つ、人気物に多いことに気がついた。引っ込み思案で、目立たない私にはどうりであだ名が付かないはずだ。
それに気がつくと、途端に「さん付け」文化に嫌気がさした。
先生もクラスメイトも、私の事を山下さんと呼び、あーちゃんとは呼ばない。弟が生まれると、両親は「お姉ちゃん」と呼ぶようになった。あーちゃんと呼んでくれるのは、もはや祖父母ぐらいだった。
私はあだ名が、手に入らないと思えば思うほど、欲しくなり、コンプレックスを抱くようになっていた。あだ名が欲しいということは、人から気兼ねなく話しかけてもらえる人物になりたい、という願望でもあった。
あだ名コンプレックスを抱えたまま、私は社会人になった。
20代前半、入社した会社には同期が三人いた。そこで、私はキングオブあだ名の持ち主に出会うこととなった。初出勤の日、私達は、ランチをしながらお互いの呼び名の話しをしていた。
一人は姉御肌でねーさんと、よく呼ばれると言い、私は下の名前で呼ばれたりする、と適当な嘘をついた。もう一人は、それまで会話を盛り上げる中心人物であったのに、呼び名を尋ねると、途端にモジモジしはじめた。
私達が問い詰めると、ついに観念して、「サブちゃん」と呟いた。一瞬、ハテナが頭をよぎったが、程なくして真意がわかり私達は爆笑した。彼女の苗字は、北島だったのだ。
どうやら学生の頃から、北島三郎、通称サブちゃんのあだ名を背負ってきたらしい。彼女にしてみれば、妙なあだ名がコンプレックスだったのだろう。
社会人になるにあたり、「サブちゃん」から卒業しようと、少しだけ抵抗した彼女の思いはあっさりと絶たれることになった。
上司が開いてくれた歓迎会で、「サブちゃん」の名は広まり、先輩達にもあっという間に知れ渡ってしまった。
仕事が始まると、相変わらず人との距離感が掴めない私は、先輩達からいつも理不尽な小言を浴びせられていた。
同期のねーさんは、テキパキとした動きで仕事を認められていた。サブちゃんは、自虐ネタを混ぜながら、面白しろおかしい話しをして、瞬く間に、先輩達に可愛がられるようになっていた。そんな二人に劣等感を感じながらも、三人で馬鹿な話しをして笑ったりすることで、その場になんとかしがみつくような日々だった。
いつしか私達は、職場で三人トリオの女芸人のような存在になっていた。一人では、学生時代のように埋もれていたはずの私が、彼女達といると、少しだけ自身が持てる気がした。そしてその中心には、いつもサブちゃんがいた。
ある日、同期三人で撮った写真に、満面の笑みを浮かべたサブちゃんが、グレーのTシャツに、がっつりと脇汗を滲ませて写っていた。20代の女子ならば、絶対に避けたい状況である。それでも、サブちゃんは、それすら自分のネタにした。
サブちゃんの凄い所には、イジメのようなイジりにも、怒りながら笑いに変えてしまうところがある。それをみんな分かっているから、彼女を身近に感じ、話しやすいと感じる。
ある意味、「負」の部分をも受け止めて、自分のパワーに変えているように感じた。私は、自分の暗い性格を「悪」のようにしか感じておらず、恥ずかしいことだと思い、新しい環境に行くたび、人に隠したいことだと思っていた。「負」の自分を認める寛容さが、欠如していたのだ。
20代の女子ならば、絶対に避けたいであろうあだ名なんて、彼女にはどこ吹く風のように見えた。サブちゃんは、そのあだ名を完全にものにしていた。
サブちゃんは、突然、私達を残して転職の為、退職した。送別会には、ほとんどの同僚や先輩が参加し、酔っ払った私達は、夜の銀座を笑いながら泣いて、歩いた。
なんとなく、空虚な日々が続いた。
それでも、日常は続いていく。
入社して何年か経ち、私は、居心地の悪かった職場に、溶け込むようになっていた。
「ヤマ子、これお願いね」
先輩から、ヤマ子と呼ばれるようになった。
人気物にはなれないけれど、ちょうどよい、ほどほどのあだ名が妙にしっくりきた。
「上手くやっていこうじゃないか、ヤマ子」、そっと自分に声をかけた。
***
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