メディアグランプリ

今日もむきだしの旅を夢見て


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

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記事:藤野 碧(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
手が荒れて、しみて痛い。
ただでさえ乾燥した肌に、ウイルス感染予防のための、頻繁な手洗い、アルコール。
おかげで最近、手指の表面に無数の傷ができ、全体的に荒れている。
化粧水がしみる。チリチリ。ひりひり。
 
子どもの頃に読んでもらった、「いなばのしろうさぎ」の絵本を思い出した。
話の筋は忘れてしまったが、うさぎの悲惨な姿をよく覚えている。何らかの悪さをしたうさぎは、毛皮をはがされ、さらに「海水をかけると治るよ」とだまされて、その通りにしてしまう……。
塩がしみて、ひりひりと痛む、むきだしの背中。
 
私たちはいつも、皮膚に守られている。
皮膚がなければ、刺激が直に伝わって痛い。
皮膚がないと困る。それはもちろんそうだけど。
ときどき、ひりひりするほどの、むきだしの感覚が恋しい。
 
私にとってそれは、一人で知らない外国を旅することだった。
もちろん、友人や家族と一緒に見て回るのも楽しい。
だけど私は、何度か挑戦した、一人旅の刺激を忘れることができない。
今や結婚して、子どももいて、世界では感染症が流行しているのだし、総じていろいろと無理だけれど、いつかまたきっと、海外一人旅がしたい。
 
その醍醐味は、何より人との出会いだ。
学生時代に一人でトルコを旅行した時、行きの飛行機、ユースホステル、街中のレストラン、観光案内所、市場の土産物屋など、行く先々で他の旅行者や現地の人と出会い、話した。
旅慣れていなかった私は、「このバスで本当に合ってるのかな」などといつも不安で、周りの人に聞いて確認することで安心した。見た目や言葉、育ってきた背景の違う人たちを興味津々に見つめ、雑談の機会をうかがった。向こうから興味を持たれて、「どこから来たの」と声を掛けられることも多かった。
私は緊張していたが、よく話し、よく聞き、よく笑った。日常生活ではおとなしいタイプのように思われた自分は、やっぱり開放的で社交的だった。
 
その後の人生に続く出会いもあった。夜行バスで隣の席に座った、ドイツからの旅行者。見た目が派手で怖そうなお兄さんだったが、政治と社会の話をしてくれた。自分の意見と生き方を持っているところに憧れ、私もそうありたいと思った。たった数時間の出会いだったのに、10年ほど後に再会したし、今もメールで思いの丈を送り合う、大切な友人となった。
 
友達や家族と一緒に行く旅行では、それ以外の人とコミュニケーションをとる機会が圧倒的に少ない。心配事が発生しても、相棒が解決してくれたり、「心配だよねー」「そうだよねー」のやりとりで、根拠がなくとも安心感を得られてしまう。そして内々で楽しそうに会話する私たちに、他の人はほとんど話しかけてこない。親しい者同士で旅行していると、良くも悪くも、その周囲には見えないバリアーができている。
 
もちろん、「一緒に」旅行することには特別な楽しさがある。だけど私の感度は鈍り、刺激的な何かが周りで起きていても、それをキャッチすることができない。それが少し惜しい。
 
一人でいる時、私の周りにはさえぎるものが何もない。
私は、毛皮をはがれたうさぎだ。
慣れ親しんだ安心をくれる同行者がおらず、心細い。
だがその分、私の感覚は研ぎ澄まされ、周囲の人々に意識が向かう。
話してみたい。どんな人か知りたい。気が合うならば、仲良くなりたい。意見を交わしてみたい。
いつもは隠れていた好奇心が発露して、刺激的な出会いを呼び込んだ。
 
そして、一人旅の途中では、否応なく自分自身と向き合わされる。
想定外のハプニングには、私が対応するしかない。私がどう行動し、何を感じるのか。それを見つめるのも私自身だ。
 
例えば、ある町で、私は現地の男性に「案内してあげるよ」と声を掛けられた。暇だったのと、押しの強さに負けて、ぶらぶらと行動を共にした。途中で「私はお城を見学するから、じゃあね」と別れても、なんと出口で待っていて、しぶとく付いて来る。さすがに夕方になり怖くなってきて、帰りたいと伝えると、彼は「夕食に行こう。僕のことを信用できないのか?」と怒り始めた。「僕はこんなに君が好きなのに!」
 
結局、口論になって、私は逃げるように彼を振り切ってホテルに帰った。その晩はずっと、いらいらして、もやもやと考えていた。親切な人だと思ったから一緒にいたのに、裏切られたような思い。身勝手な怒りをぶつけられたことに対するいらだち。彼がナンパ目的で付いて来ていると薄々気づいていたのに、早く逃げなかった自分への失望。普段モテないから、珍しくちやほやされて喜んでいたのではないか、という自らへの疑念。私が彼に不要に気を持たせ、傷つけ怒らせたのではないか、という可能性について。
 
一人の夜は長く、意識を自分の内側へと向かわせた。自分の行動や感情、自分の嫌な部分にも思いを巡らせる。私の隣に「変な男に会って最悪だったね!」と一蹴してくれる友人はいない。「まあまあ、そんなことより買ってきたおみやげを見てよ」と言って、私のもやもやを葬り去ってくれるお母さんもいない。一人で経験したことを、一人で消化し、血肉として、また歩き出すしかないのだ。
 
知らない土地に、一人。
私を守るものは私以外になく、私をさえぎるものは何もない。
行動するのは私。評価するのも、されるのも私。
私の目は見開かれ、感覚は鋭敏になる。
守ってくれる皮膚がないから、刺激が容赦なく私を襲う。
出会った人や言葉、自分自身の行動、発言、失敗、コンプレックス、その他諸々がしみてくる。
良いことも悪いことも全て、100%の濃度と鮮やかさで私に迫る。
それが私の一人旅だった。
 
こうして私は「ステイホーム」の自宅の部屋で、静かに思いを馳せている。
私はもう一度、背中をひりひりさせながら、笑顔で異国の地を行くうさぎになりたい。
 
 
 
 
***
 
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2020-05-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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