旅する15分
*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。
人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:澤田敏仁(ライティング・ゼミ日曜コース)
「イッパイドウゾ」
その一言が旅の始まりだった。
東京への日帰り出張の帰り、大阪駅で電車を乗り換えた。
「会社のお金で東京に行けていいですね」と、よく言われるが、行き先はいつも東京の支店だ。
朝6時半に家を出て、電車を乗り継いで新幹線に乗り、東京へ行き、夕方まで仕事をこなし、再び新幹線に乗って帰ってくる。毎度この繰り返しで、腰は痛いし、仕事は溜まる。そんなに羨ましがられる話でもない。
この日も、そんな出張の帰りだった。
夜の10時を過ぎていたが、いつものとおり仕事帰りの乗客でいっぱいだった。
僕は入ってきた電車に乗り込み、4人掛けの席に座ることができた。
向かいの席には、若い二人の男性が座っていた。日本人離れした見た目と、英語で会話をしているところから、外国人だとすぐわかった。着ている服装から見て、観光ではなく、日本で働いているのだろう。二人はビニールの買い物袋から缶ビールを取り出し、飲み始めた。日本では見かけない銘柄だ。
向かって右側の男性が、自分の飲んでいたビールを僕に渡してきた。
「イッパイドウゾ」
「えっ!」 突然のことに驚いたが、「ありがとう」という言葉しか思いつかず、彼からビールを受け取り一口いただいた。
「コノビールハ……」と彼はカタコトの日本語で話し出した。
「このビールはベトナム製で、大阪駅の近くのディスカウントストアで売っているんだ。日本のビールは高いから、いつも仕事終わりにディスカウントストアによって、このビールを買うんだよ」他のビールもいろいろ試したが、このビールが一番うまいらしい。店の名前も教えてくれた。
せっかくのビールをもらって悪かったかな、と思っていると、今度は自分たちのことについて教えてくれた。
ビールをくれた男性は、アメリカから1年前に日本にやってきたそうだ。大学を卒業して、世界をみたいと思い、日本を選んだ。仕事は英会話教室の講師ということだ。
隣の男性はイギリス人で、日本に来てまだ3カ月。やはり大学を卒業して、しばらく日本で生活することにしたそうだ。仕事は、僕にビールをくれたアメリカ人と同じ英会話教室で講師をしている。
そう言って、スマートフォンを取り出し、英会話教室のホームページを開き、「ほらここ」と講師紹介のページを見せてくれた。少しでも安心してもらおうと思ったのだろうか。
欧米では大学を出ても、すぐに就職せず、外国で暮らしたり、世界中を旅して、自分の価値観を拡げることが一般的だと教えてくれた。
「どこに住んでいるの?」と質問してみた。
「ゴジョー」
ゴジョー? 五條? どうやら奈良県五條市のことらしい。大阪駅からは2時間くらいかかる。通勤するにはかなりの距離だ。
なんでも仕事に行くには遠いが、大阪市内では家賃が高く、安いところを探していくと、五條になったということだった。一軒家を何人かでシェアしているそうだ。
この二人、話してくるのはほとんどは右側のアメリカ人だ。アメリカ人はコミュニケーションがオープンで、イギリス人は控えめなのかな、そんなことを考えていると、「こいつはまだあまり日本語がしゃべれないんだ」とアメリカ人が教えてくれた。
アメリカ人が「こいつが最初に覚えた日本語わかる?」と訊いてきた。
なんだろう? と考えていると、イギリス人が照れながら、言った。
「スケベ……」誰に教えてもらったんだ! 三人で笑った。
たたみ掛けるようにアメリカ人が「こいつが二番目に覚えた日本語わかる?」と訊いてきた。
またもや考えていると、今度はいたずらっぽい顔でイギリス人が答えを教えてくれた。
「メッチャスケベ!」三人で大笑いした。
どうやらこの二人の持ちネタらしい。
お互いにもっと言葉を理解できると楽しいだろうな。
そう思っていると、僕が降りる駅に近づいてきた。
「ありがとう、さようなら」二人に別れを告げ電車を降りた。
思い返せば、たった15分だった。
いつもの電車、いつもの時間だったけど、今日は二人のおかげで、いつもとは違う時間を過ごすことができた。
人はなぜ旅に出るのだろう? 温泉にしても、おいしい食べ物にしても、素敵なホテルにしても非日常を体験したい、ということだろうか。
旅とは、どこかへ行くということだけではないのかもしれない。
毎日、同じ電車に乗っていると、変化のない退屈な毎日に思えてくるけど、昨日と今日は別の日だ。少しのきっかけで、いつもの代わり映えしない日常は、忘れられない特別な旅になる。
駅から家までのいつもの道を歩きながら、そんなことを考えた。
***
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