忘れられない患者さんが私にくれたもの
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記事:ハルキハルヒラ(ライティング・ゼミ 平日コース)
あなたは誰かから、物を預かって、と頼まれたことがありますか?
私は医者として仕事をする中で、患者さんからイモを預かって、と頼まれた、忘れられない経験があります。
西村さんは月一回、定期的に薬の処方を受けにいらっしゃる70代の女性の患者さんでした。毎月お会いするようになって半年くらいたった、ある秋の日でした。
体調を伺って、いつもの薬を処方しようとした時
「ねえ、先生。先生のロッカーってこの病院の中にあるの?」と聞かれました。
「あ、はい。ここの階ではないですが、ありますよ」
「ロッカーってあったかい?」
「そう……ですね。ええ、寒くはないですよ」
「あのね、先生にお願いしたいことがあるんだけど。オイモを冬の間、先生のロッカーで預かってくれない?」
イモをくれるのではなく、私のロッカーに預かって、また返して欲しいと。
はて、一体どういうことでしょうか。
「これ、私が家庭菜園で育てているサツマイモなの」
重たそうなリュックサックからでてきたのは、ひとつひとつ新聞紙にくるまれたサツマイモでした。
「これ、お子さんと食べて! すっごく甘いから!」
数本のサツマイモを袋にいれてくださいました。これは頂けるようです。
聞けば毎年鹿児島からサツマイモの苗を取り寄せて、家庭菜園で育てているのだそうです。できたイモを種芋にして、また植えれば次の年もイモが採れるそうですが、その種芋が、家が木造でどうしても夜間は気温が下がってしまい、冬越しできないのだそう。暖房を入れたままにすることもできないので、暖かいところで預かってほしいということだったのです。
なるほど。病院なら入院患者さんもいるので、冬でも24時間暖かいのです。
いいところに目をつけましたな。
預かったイモには霧吹きで水をかけたりなど、そんな管理も必要なく、ただロッカーに入れておくだけでいいそうでしたので、お預かりしてみることにしました。
私はロッカーで会った先輩の先生に思わず
「今日患者さんにサツマイモを冬越しさせてほしいと頼まれて、預かったんですよ。
イモを預かるなんて、こんなこと初めてです」
とイモを預かることになった経緯を話しました。
新聞紙にくるまれた6本のイモ達を紙袋にいれて、ロッカーの上の段にいれました。
そのイモ達は隼人芋(ハヤトイモ)と呼ばれる品種で、昔は鹿児島で広く栽培され、よく見かけられたそうですが、最近は生産者も減り、希少性の高い芋なのだそうです。確かに安納芋、薩摩金時、なんていうのはよく聞きますが、ハヤトイモという品種は聞いたことがありません。
頂いたオイモは、輪切りにして、フライパンで焼くと美味しいよ、と教えて頂きました。
少し焦げ目がつくくらいに焼いて、「このオイモ、患者さんが育てて作ったオイモなんだって」と子供たちと美味しく食べました。
そのまま3ヶ月くらいでしょうか。西村さんのイモ達は私のロッカーの中で冬を越したのです。春になり、ちょっと気になったので、新聞紙を開けてみてみると、イモからは白い根っこが、わっさと生えてきていました。
西村さんが来院する日、ついにイモ達とお別れする日がやってきました。
お返しすると、そーっと新聞紙をあけて、根っこが生えているのをみて、
「うわぁ! 生えてる 生えてる! やったぁ!
これをまた植えたらオイモが沢山できるよー
先生ありがとう! またできたら先生にあげるね!」
と大変喜んで持って帰られました。
イモ達は畑に植えられ、無事に育ったようです。
また次の年もイモ達は私のロッカーで冬越ししました。
その次の年、西村さんにこの病院をやめることになった、とお話すると
「なんだぁ。せっかくいい先生と巡り会えたのに。残念だわぁ」と言ってくださいました。
自分は物を他人に預けるなんてこと、今まであったかな。
お金を銀行に預けていることくらいしか思いつきません。
お金なんて大事なものは銀行に信頼があるから預けられるのです。
西村さんも、あの時きっと、イモを預かってもらえないか、私に頼むのを悩んだと思うのです。
それでも思い切って私を信頼して頼んでくれました。
このことはまだ医者として経験の浅かった私に、患者さんと信頼関係を築くことができた、という喜びをくれました。
物を預かることと、仕事をすること。
物として預かることでなくとも、どんな仕事でもつまりは「信頼を預かる」ということなのかもしれません。
患者さんが医者として信頼してくれるから、受診してくれる。
このスーパーの品物はいつも新鮮で物がいいから、信頼して買いに行く。
あの美容室はいつも私の希望通りに切ってくれるから信頼して髪を切りに行く。
このブランドの服はデザインも私好みで、サイズも小さめの服をそろえてあり、以前頼んでちょうどよかったので、信頼してまた同じブランドの服を購入する。
私はもう二度と患者さんから物を預けられることはないでしょう。
しかし、毎日仕事をしていることで、実は患者さんからの信頼を預かっていたのだと気が付きました。
忘れられない患者さんが私にくれたものはあなたを信頼しているよという気持ち。
もう西村さんに直接イモを返すことはなくなっても、仕事で預かる信頼をきちんとお返ししていこうと思います。
***
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