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理想の恋人はお嬢さま

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*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:倉持加奈(ライティング・ゼミ平日コース)
 
 
ほんの少し手元が狂い、私は彼女を突き飛ばしてしまっていた。
そのまま硬い壁に頭を打ち付けるまでの間、時間がゆっくりと流れる。
決して広くはない部屋に鈍い音が響き渡った。
私の体は一瞬で熱くなり、背筋に冷たい汗が流れ落ちる。
「また」殺してしまった……。
体の力が抜けて動かなくなった彼女を眺めながら、私はこの死体をどう処理したらいいのかを、冷静に考えていた。
 
私は動物を飼うのが苦手だ。
小学生のころに飼ったリスが一週間くらいで亡くなってから、自分は動物を飼うのは無理なんだと考えるようになっていた。
後になって分かったことだが、どうやら私は病気で弱っているリスを選んでしまっていたらしい。
 
それ以前から、庭で捕まえたりする虫は傷付いていたり弱っていたりして、元気だった生き物を飼ったことがない。
そんな幼少期を過ごし、私はペットを長生きさせられないと思っている。
 
……現在、迎えてから2年ほど一緒に暮らしている彼女を除いて。
 
2つ前の職場、ある夏の日に先輩が私に声を掛けてきた。
「メダカの卵が孵ったから育ててみない?」
他のスタッフにも配っているらしく、職場の入り口にも水槽が置かれメダカが自由に泳いでいる。
自信の持てないまま、私は頷いていた。
 
だが私の生き物を育てるセンスの無さは、ここでも発揮される。
何が悪いのかも分からないまま、減っていくメダカになにもできない日々が続いたある日。
最後まで残っていた一番大きいメダカが、腹を上にして浮かんでいた。
 
その話を職場でしたら、先輩たちのところでもだいぶ前に全部死んだと返ってくる。
長生きさせられた方だと言われた。
 
空になった水槽、余ったエサ。
置いてあるだけで寂しさを感じるのに、私は後悔から捨てられずにいた。
 
「倉持さん。今度はアレを飼ってみない?」
「アレって……え!? アレですか!?」
「そう。うちの息子がお祭りでたくさん捕ったの。一匹どうかな?」
 
メダカをくれたのとは別の先輩だった。
今こうして思い返してみれば、私が気落ちしているのに気付いて、こう持ちかけてくれたんだろう。
それは、よく似た名前の生き物と間違われるけれど、誰もが知っている。
私はその時、その生き物が苦手な人と同じ感情を確かに持った。
 
……気持ち悪くて、触れない……。
 
それでも私が断らなかったのは、頼まれたら断れない私の性格と、部屋に置いたままになっている、からっぽの水槽の寂しさからだった。
 
彼女を迎え入れてから1ヶ月。
私は受け取ったその日に名前を付けたが、敬意を払って「お嬢さま」と呼ぶようになり、今では「お嬢」だ。
 
こんなに愛着を持てたのは初めてたっだ。
最初は触るのにも抵抗があったが、今はもっと触っていたいくらいに。
人間の体温で火傷する事がなければ、ずっと手の平の上に乗せておきたい。
 
水槽の中は間違って食べないように粒が大きくて落ち着いた色味の小石が敷き詰められ、隠れられる小物や飾りが徐々に増えてきた。
私の部屋よりもいろいろな家具が置いてあってオシャレかもしれない。
 
今までにいなかったんだ。
近くにいるだけで興味を持って寄ってきて、ガラスに手を付いてジッと私を見詰めてくれる。
ガラス越しに揺らす指先に、ワルツを踊るようにぴったりとついてくる。
食事だっていつも美味しそうに食べきってくれる。
水槽の横で作業をしている今も「そこで何してるの?」と私の様子を覗き込まれている。
死にそうになんて全然見えない、生きる力が強い動物を飼ったことがなかった。
 
彼女の生態について調べたが、どうやら10年以上は生きるようだ。
目で動くものを見付け、匂いを元にエサを探すらしく、視力と聴力はそんなに良くない。
さらに調べを進めれば、眼球をくり抜くという実験が行われたときに13回も正常に再生されたらしい。
しばらくご飯を与えなくても、そう簡単に飢えて死ぬこともない。
必要なのは綺麗な環境。つまりお嬢の部屋をちゃんと掃除してあげることだ。
……私より強い生命力の持ち主だ。
 
一回だけ、プラスチックの水草の上でグッタリしているのを見掛けた時、死んでしまったかと思っことがある。
眠っていただけで、寝ぼけた人間のようにビクッとして目を開け、水槽を覗き込んでいる私を不思議そうに見つめ返された。
 
彼女に対して「ヤバい!」と思ったのは、本当にこのくらいだった。
あの事件を起こしてしまうまでは。
 
その日、私は普段通りお嬢の水槽を掃除していた。
気温が上がってきているからか、この日のお嬢は普段よりも元気に動き回っていた。
 
水槽から水槽に移す、その時だった。
私はお嬢を落としてしまったのだ。
しかも、水の張られていない高さの水槽の壁に向かって、頭から真っ逆さまに。
その鈍い音は、時計の針の音くらいしか聞こえない静かな部屋の中に……あるいは、私の頭の中に、大きな音として響き渡った。
 
「嘘、殺し……お嬢、お嬢!!」
頭を強く打ち付けた仰向けの状態で、ピクリとも動かなくなったお嬢。
焦りから全身に痺れが走り、冷たい汗が背中にビッシリと滲んだ。
 
……今までと同じだ。
長生きなんて、私はさせてあげられないんだ。
お嬢の亡骸はどうやって処分しよう。
火葬だ……木の箱を買ってこないと。
繰り返さない為に、今度こそ、水槽を処分しないと。
 
やけに長く感じられた静寂のあと、お嬢は眠りから覚めた時のように何回か瞬きをして、何事もなかったかのように動き出した。
水槽の中を覗き込んでいる私を見上げながら「え? 今、何かあった?」という顔をする。
 
死んでない。いや……殺してない。
私は何も考えられなくなり、床に崩れ落ちた。
急に笑いが湧き上がり、静かな部屋に私の力ない笑い声が虚しく響く。
なんなんだ、この生き物……どうしてこんなに頑丈なんだ。
 
この「イモリ」という生き物は。
 
あれから数日、イモリのお嬢は以前と同じ様に水槽の中を歩き回っている。
食事の勢いもあるし、動き回っている様子に変なところもない。
あの事件は夢だったんじゃないか……そう思うくらい、いつも通りだ。
 
平然としている姿を眺めていると、イモリは一緒に暮らすのにとても理想的な生き物だと感じられる。
私が同居人…いや、恋人に求めていることでもある。
 
よく体調を崩してしまうから、私が動けなくなっても生活ができること。
近くにいる時は気にかけてくれて、話をしたり、遊んでくれたり、一緒に笑ってくれること。
健康であり、できれば私より先に死なないこと。
 
私の理想の恋人像は、イモリです。
 
 
 
 
***
 
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2020-07-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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