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映画「馬三家からの手紙」を観るべき理由


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記事:ごうだ さとし(ライティング・ゼミ日曜コース)
 
 
東京でも緊急事態宣言が解除され、2週間ほど経ったある日の午後。
まだ人もまばらな新宿のミニシアターで、一本のドキュメンタリー映画が人知れず上映再開された。
私はソーシャルディスタンスを意識して、あまり観客のいない前から2列目の中央あたりの席に深く腰かけ、
さほど大きくないスクリーンを見上げた。
静けさとシートの弾力が心地好かった。
 
実はこの作品を観るのは初めてではない。
編集された短めのTV版がNHK-BSで放映されていたのを、つい数週間前に観たばかりだった。
ただどうしても劇場版の長尺バージョンが観たくなり……、いや、観なければならないと感じ、再開を待って足を運んだ。
映画「馬三家からの手紙」は、2018年のカナダ製作だが、その舞台は中国だ。
 
想像してみてほしい。
あなたは、もし自分が買ってきた子供用玩具や、あるいは雑貨や日用品の中に、英語で書かれた長文の、しかも手書きでクシャクシャになった手紙が入っていたらどうしますか?
しかもそれが中国政府による人権迫害の告発文で、「助けて」というSOSだとしたら……。
 
何かのイタズラか、間違って入ったのだと思って、気味悪くなって捨てますか?
英語が読めない場合は、何かの説明書きかと思ってあまり気に留めず箱に戻しますか?
一応家族や友人に相談しますか?
それとも買ったお店に持っていき苦情を言いますか?
それともその内容を信じて、警察やマスコミに訴えますか?
 
果たして自分ならどうするだろう……。
 
2011年、アメリカのオレゴン州に住む女性ジュリー・キースは、子供のためにスーパーで購入した中国製のハロウィン飾りの箱から、床に落ちた一通の手紙を発見する。
それは中国の政治犯などを収容する施設として悪名高い、馬三家(マサンジャ)労働教養所の中から送られてきた命がけのメッセージだった。
そこには、収容所内で行われている拷問や虐待についての、信じがたい内容が記されていた。
 
彼女はその手紙の内容に困惑と衝撃を受け、まずは真偽を図るためネットで検索するが、中国ではこのような機密情報は統制されていて、それほど克明には報道されていない。
しかし手紙から伝わってくる切実な想いを無視することができず、SNSとメディアを通じて情報を発信する。
やがて瞬く間にその情報は世界中のメディアに拡散され、トップニュースとして取り上げられた。
これまで闇に葬られてきた人権迫害の現実が問題視され、中国当局はやむなくこの収容施設を解放することとなる。
 
しかしその手紙を獄中で書いた張本人である孫毅(スンイ)は、すでに2年前釈放されていた。
元々北京の石油会社に勤め、妻を愛する理知的で物静かな男は、法輪功という気功修練法に接して宗教活動に加わるのだが、その勢力拡大を恐れた当局から弾圧され、過激な反体制運動をした訳でもないのに、地獄のような馬三家に2年間収容されたのだった。
釈放された後も、彼は中国当局からの監視と圧力に苦しんでいた。
まだ闘いは終わっていなかったのだ。
 
孫毅は、仲間たちと法輪功の地下活動を密かに進めながら、一方で中国政府による人権迫害と思想弾圧の現実を世界に知らしめるため、中国系カナダ人映画監督のレオン・リーと、極秘のネットワークを通じてコンタクトを取っていた。
そして自分がかつて収容所内で命がけで書いた手紙が、遠いアメリカにいる一人の女性の手によって世界中に報道されるまでになっていたことを知る。
 
「どんな強大な権力であろうとも、いつか必ず正義は悪に勝つ」
 
しかし、その揺るぎない信念のもと、監視の目をかいくぐって活動する彼とその家族に、当局が世界中に張り巡らせた追跡の手が再び忍びよる。
 
76分であっという間に終わった作品のエンドロールを眺めながら、私はしばらく席から立ち上がれずにいた。
そして顔は涙でぐちゃぐちゃになっていた。
この感覚は何だろうか?
感動と共感でもあり、絶望と恐怖でもある。
いろんな感情が押し寄せてきて、涙が止まらなかった。
 
中国はまったく知らない国ではない。
私はまさにこの作品が作られていた頃、3年間上海に赴任していたからだ。
現地では心の通じ合う仲間にも多く恵まれたし、元々抱いていた中国へのネガティブな印象もすっかり消えて、まだまだ未知なる可能性を秘めた魅力的な国、そして実はそこに生きる人々は温かくて親しみが持てるといったポジティブな印象に変わっていた。
ただ一方で政治や警察、法、権力者の圧力においては、言論や表現という点で日本やアメリカのような国とは大きく異なり、統制され、監視され、自由ではないのも事実だった。
SNSで何か反体制的なことをつぶやけば、それは直ちに削除され、マークされる。
中国人の多くは平和に日常を過ごすために、それをすべての前提として受け入れているようにも感じた。
だからこそ、この作品で描かれている信じがたい話も、なおのこと腹に落ちたのだろう。
 
そんな今、香港でも本国からの規制が強まり、反対デモで多くの市民が逮捕されている。
香港に住む若い友人は、「元々のルーツは大陸(中国本国)だから、そこに帰属するのは当然のことだ」という意見を持っていて、実際は香港の中も、必ずしも中国によって縛られることを嫌う人々ばかりではないのだろうとは思う。
しかし一般市民が政府に対して何も言えず、自分の信念や思想を自由に語ることもできず、監視されたり投獄され、命をも奪われるような体制が許されるはずはない。
この体制が続く限り、どんなに経済的に発展しようが、技術的に進歩しようが、それらが世界中に波及しようが、中国が他国からの信頼を得て、世界のリーダーたる位置に君臨することはないだろう。
 
孫毅の手紙を偶然受け取り、世界に伝えることとなったジュリー・キースは、この出来事によって自分自身の人生も変わったと語っている。
それまで何も知らずやり過ごしていた他国の悲惨な現実に向き合い、自分に何ができるのかを真剣に考え、行動したことによって、目が開かれたと言う。
世界で起きている人権問題に目を向け、伝えることを義務に感じ、そして自分が置かれている環境をそれまで以上に強く意識するようになったと。
それは苦しんでいる人々に思いを寄せて、助けになろうとすることでもあり、自分の身近にある幸せを改めて噛みしめることでもあるのだろう。
 
一通の手紙が一人の人間を動かし、世界を変えた。
しかし未だ変わらない、許しがたい不当な現実も存在し続けている。
私もこの作品を観て、孫毅とジュリーから何かを受け取ったような気がした。
 
 
 
 
***
 
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2020-07-09 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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