母という恐ろしい存在
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記事:大沼 芙実子(ライティング・ゼミ通信限定コース)
母は、よく台所で歌っていた。
包丁を握り、夕飯の支度をする台所で。
それは、CMのうた、学校で歌った合唱のうた、自作のうた、色々な歌があった。
そこには、わたしの歌もいくつかあった。
わたしがお風呂に入るときのうた、わたしを起こすときのうた、お腹が空いたとき歌ううた……。はっきりとではないけれど、まだその旋律を覚えている。
社会人になって、一人暮らしをしている地方都市から実家に帰省したとき、母が台所で突然わたしの名前を呼んだ。
「ふみこたんふみこたん」
そう聞こえた。
「え、なに? 呼んだ?」そう聞くと、
「あ、ごめん。これ癖なのよ」、と彼女は言った。
「今でも、シャワーを浴びてると、昔、あなたが泣いて呼んでいた声が聞こえる気がしちゃって、シャワーを止めちゃうのよねえ」
そんなわけあるかい! と思った。わたしもいい大人。泣いてあなたを呼ばないよ、と。
でもその言葉たちだけで、母の考えていることはよくわかって、むず痒い気持ちになった。
彼女はわたしが小さい頃から、一人娘のわたしを気にして毎日台所に立ってきたのではないかな、と。
彼女がまな板と包丁に向き合う時、その空間に大抵娘はいない。
小さい時は危なくて。
少し大きくなった頃はテレビに夢中で。
大人に近づくと家への帰りが遅くなって。そもそも家に寄り付かなくなって。
そんな風に、彼女はいつも「今ここにいない」わたしを想ってくれていたのではないかな、と思う。
彼女の中には、「今ここにいる」わたしだけではなく、記憶に刻まれた様々な段階の「わたし」がいるんだなとふと、感じた。
生まれたとき。歩けたとき。初めて話したとき。
幼稚園、小学校、中学校、高校・大学も。全部ひっくるめて、残像としてのわたしも含めて、今を見ているのでないか、と。
そこには漠然と、わたしには計り知れない、母性というものの偉大さがあった。
母はまだ、わたしを育てている母であり続けてるのだと、ハッとした。
実は、それは母だけの話ではない。
わたしもそうだ。
「今ここにいる」母。それ以外の母も、わたしの中には息づいている。
小学校の帰り、庭から名前を呼ぶと、いつも手を振って出てきてくれた母。
階段を走りのぼるわたしを追って、嬉しそうにお尻を叩こうとする母。
折に触れて、母は「どんな人と結婚しても良いんだよ」と言った。変な男の子と付き合ってもなにも言わなかった。「心配じゃないのだろうか?」とわたしの方が心配に思ったけれど、彼をうちに招いても仲良く話をしてくれた。
ただ、そんなきれいな、良い思い出ばかりではない。
母は小さい頃体調が悪く、疲れると山の天気のように機嫌が悪くなった。
まだイタズラをして走り回る幼いわたしは、彼女をひどく疲れさせたのだろう。
母は怒ると口を効かなくなった。
話しかけても無視。こちらから「ごめんなさい」をいうのも癪だけれど、口を利いてくれないのでは取りつく島もない。
そんな時、わたしは母の入るトイレの下に手紙を入れた。
「ごめんなさい」
とだけ書いて。
よく覚えていないけれど、この「トイレの隙間からメモ」作戦は割と功を奏したのだと思う。仲直りの契機になった印象がある。
どんな風に、母が口を開いたのかは覚えていないけれど。
こんなこともあった。
大学の時、母は私に「自分は虐待したことがある」と言った。
「あなたのこと、わたし、突き飛ばしたのよぅ」と。
「その時の悲しそうな顔ったら、忘れられないのよねぇ。かわいそうにぃ」と、ただでさえ歳をとってくしゃくしゃの顔を、もっとくしゃくしゃにして話した。
そんなはずあるかい、と思った。
こんなに仲良しなのに。こんなに信頼しているのに。
だけど私にはすぐその情景が浮かんだ。
突き飛ばされて、わたしは泣いていた。母がこちらを見ていたように思う。どんな顔だったかはわからない。どの部屋だったかも覚えている。まだ古かった仏壇がその部屋にあったことも。
驚いた。
わたしの中に、その事実が生きているという、その事実に驚いた。
母の存在は、まだわたしを育てる立場でそこに居続けているのだと、初めて知った。
母は、わたしの人生の大半以上を知っている。
そしてわたしも、母として生きている母を、ほとんど知っている。
わたしたちは、「育てる/育てられる」という結びつきで強く結びついていて、もうそれは染み付いていて、消えることはおそらくない。恐ろしい関係性なのだ。
母と子の関係性。
わたしの人生に、もし子育てをする機会がもしあるのなら、自分の思っている以上の影響をきっと子供にもたらすのだろう。
これまで経験した何からも想像ができない、強固で恐ろしい、そして素晴らしい結びつきを得ることになるのだろう。
仕事を始めて、一人で住むようになって、結婚をして。
わたしなりに人生が進んで自立したように思うけれど、ふとそうした母との結びつきを感じる出来事に出会うたび、新しい事実を知ったような気持ちになる。
そういえばわたしも最近、猫を飼いはじめた。
猫が可愛すぎて、わたしも台所で、風呂で、気がつくと猫のことを歌っている。
台所やベットで、足下に彼の毛が触れた気がして、何度も近くを探してしまう。
母に似たのかな、と思った。
母の真似をしているのかな、と。
そう思っていたら、同じように夫も歌を歌っていた。
たくさん猫の歌を作って、言葉が通じるはずのない彼に向けて毎日歌っている。
もう数曲レパートリーも出来上がっている。
親は、子を思って歌を歌いたい生物なのだな、きっと。
愛が溢れたら、言葉や行動で表しきれない愛は、きっと歌になるのだな。
たくさんの歌を歌っていけたらいいな。これから先も。
***
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