お洒落な朝食が食べたかっただけなのに
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:シマザキ キミコ(ライティング・ゼミ日曜コース)
それは土曜日の朝のことだった。
一人暮らしのワンルームには明るい日差しが差し込み、とてもいい気分だ。
朝食は毎日きちんと食べているわけではなかったが、たまには栄養バランスの良いご飯を手作りしよう。
都合の良いことに数日前に買ってあったアボカドがちょうど食べごろを迎えている。これを使ってサラダ作って一緒にトーストでも食べるか。
そう思い、アボカドを手に取った。
(朝からアボカドを食べるなんてなんだかお洒落な気分だな)
私は漫画で見たお洒落なやり方でアボカドの種を取ろうとした。
これがいけなかった。
アボカドは真ん中に大きくて固い種がある。
まずは実に包丁を入れて種を残した状態で縦まっぷたつに割る。そうすると割った実の片方に種が残る。
漫画ではこの種に包丁の刃の一番下にある90度直角の部分をコン、と差し込み実と種をそれぞれ逆回転にするように軽く動かすと種が取れると描写されていた。
私も漫画の登場人物のような気持ちで台所に立ち、包丁の角をコン、とアボカドの種に差し込んだ。
が、包丁の角はアボカドの種の上を滑り、ストンと私の左手親指に突き刺さった。
(やばい)
アボカドと包丁をシンクの中に落とし傷口を見ると、真っ赤な血がどんどんと流れてくる。
(消毒しないと……)
水道で傷口を洗ってみるが、いつまでも血が止まらない。
さっきまでのお洒落な土曜日の朝はどこへ行った。
台所には血の付いた包丁とアボカド。
ちょっとした凄惨な事件現場のようだ。
止血しようと指に当てたテッシュはみるみる血に染められていき、絆創膏を貼ってもおさまりそうにないことは一目瞭然だった。
(これは……縫うかもしれないな……)
小学校の時犬に噛まれて2針手を縫った経験から冷静に判断していた。
(まずは、少しでも血を抑えないと……)
ティッシュを指に当てたまま、顔の隣あたりに左手を上げっぱなしにする。
そういえばこの部屋に引っ越してから1年近く経つが、病院のお世話になったことがない。しかもこういった怪我が何科に受診すればいいのかパッと答えが出てこない。
(こんな時に助けてくれるのは……)
私は素直にネットに教えを請うことにした。
(こんな時に一人暮らしでなかったら……)
家族でも恋人でもいい。頼れる人がいたら全力で甘えたいところだ。
しかし、この部屋には私一人。あいにく恋人もここ10年近くいない。一人で頑張るより仕方がない。
(怪我をしたのが左手で良かった……)
スマホをテーブルの上に置き、私は右手だけで調べ始めた。
まず検索ワードに「切り傷」と入力する。すぐに候補のワード、「切り傷 早く治す」「切り傷 処置」「切り傷 何科」などの文字が出てくる。
(ああ、何科にかかればいいのか判らないのは私だけじゃないんだ)
少しホッとしながら「切り傷 何科」をクリックする。
調べてみると、切り傷の処置は外科系であれば大体大丈夫らしい。
中でも傷の初期治療は形成外科がオススメらしいと書いてある。
(そっか、そうだよね。切ったり縫ったりするのは外科医だね、ドラマで見たね)
とっさの時にすぐにそれを思い出せない自分の応用力の無さを残念に感じながら、幾つかのサイトをざっと流し読みしていく。
水で患部を洗浄し、患部を圧迫止血しながら来院すると良いと書いてる。
(あ、適当にやった処置があってた。良かった)
あとは実際近所に行ける病院があるか調べるだけである。
検索ワードに最寄りの駅名と形成外科、土曜日、と入れた。
幸い、歩いて15分かからない程度の距離に土曜でも診療してくれるクリニックあることを見つけた。念のため、行く前に電話で問い合わせする。
「お忙しいところすみません、今包丁で左手親指を切ってしまいまして血が止まらない状況です。今からお伺いしたらすぐに治療していただけますか?」
相変わらず左手を上げた状態で電話をしながら
(あー……なにやってんの?って誰かに突っ込んで欲しいなぁ)
怪我をした動揺の中、心のバランスを取ろうとしているのか、私はこの事態を笑い飛ばしてくれる誰かを強烈に欲していた。
電話口に出てくれた女性は親切で、行けばすぐに治療してもらえるとのお返事を下さった。
保険証と、治療にいくらかかるのか見当がつかないのでとりあえず一万円程度の現金を持ち、病院に向かう。
外は相変わらず良い天気で、その下を止血しながらてくてく歩く自分の姿がやっぱり情けなくて面白かった。
(あー、ほんっと誰かの笑い話になりたい……)
実際歩いてみると、10分少々で電話したクリニックに到着した。
先ほど電話した者だと告げると、すぐに処置室に案内してもらえて、結局親指を2針縫うことになった。
医師に縫うと言われた時も、心の中では去勢を張って
(ふ、やっぱりね。縫うと思ってましたとも。これが人生で初めてじゃないんでね!)
などと怖気付いたように見せずに冷静を装っていた。
治療はあっという間に終わり、化膿止めと何かの薬を処方され、30分後にはクリニックを後にしていた。
治療費もうろ覚えだが、五千円もしなかったように思う。
心の底から国民健康保険、ありがとうと思った。
そしてまた、私は誰もいない部屋に戻ってきていた。
左手に真新しい包帯をグルッグルに巻きつけて。
台所のシンクには少し乾きかけの血がついたアボカド。
そこだけはやっぱり事件現場のようだった。
悲しくて、もうこのアボカドは食べられない。
アボカドにも申し訳なくて、小さく頭を下げてからゴミ袋に捨てる。
それから、ふと仕事先に連絡を入れなくてはならないことを思い出す。
私はマッサージの仕事をしていた。しかも新しい職場に勤務を始めてまだ一度しか出勤していなかったのである。
こんな状況で怪我をしたと連絡してもふざけた人間だと思われるにちがいない。抜糸するのに向こう2週間はかかり、勤務もできないのである。
その間生活を保障してくれる保険にも入っていない。
あああ。
そもそもなんでこんな事に……。
私はお洒落な朝食が食べたかっただけなのに。
せめて、せめて私の愚かな失敗を誰かが笑ってくれたら……。
こいつ残念だなぁ、と思ってもらえたら……。
せめて誰かに伝えたい。切り傷をした時は形成外科がオススメみたいよ、と。
***
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