軽やかに歩こう
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:秋田梨沙(ライティング・ゼミ日曜コース)
痛い。
横断歩道の手前で立ち止まった。信号がパカパカと点滅している。大通りにかかったこの横断歩道は信号が短くて、走らないと一気に渡れない。仕事を終えた夕方、子どものお迎えを急ぐ帰り道。いつもなら迷わず走るのだけれど……。今日はやめた。左足が悲鳴をあげている。靴ずれである。足に出来てしまった水ぶくれが、歩くたび見事に擦れて痛い。先週買った靴はなかなか足に馴染まず、絆創膏を貼ってみたり、滑り止めをひいてみたりしたけれど、やっぱり痛い。せっかく気に入って買った靴なのに……履かなきゃ、もったいないじゃないか!
意地になって睨みつけた赤信号の先に、昨日まではなかった看板が見える。
「こども英語教室」
目立つ黄色い文字を見つめながら、靴ずれが一層痛んだような気がした。
1年とちょっと前のこと。
保育園の年中さんだった息子が進級を前に「英語教室を辞めたい」と言い始めた。年少さんから通い始めた英語教室は保育園の一室を利用していて、慣れた場所で、仲良しのお友達とのびのび楽しく通っていた……はず。
「どうしたの? 何か嫌なことがあるの?」
年長さんにからかわれたかな、お友達とケンカでもしたのかな。思い当たりそうなことを1つ2つ思い浮かべながら聞いた。
「ううん、英語は楽しいよ。でもぉ、テストがやだ……」
とてつもなく素直な答えが返ってきた。大人である私はつい、そんなことかと思ってしまった。この先、テストなんていくらでもあるのだし、慣れるしかない。そもそも、そんな理由で逃げるんじゃない! と、あの手この手で息子を説得した。続けなければ意味がないじゃないか。
「小学生になるまでは頑張ろう」
約束をして、年長さんの1年間、最後まで息子は英語教室に通った。褒め褒め作戦、おやつ作戦、ご褒美作戦など息子のモチベーションを上げるべく戦った。本人にも自信がついてきたぞ、よしよし。
そしてまた進級の季節。やる気の波はあったものの、楽しそうに通っていたように見えた。お友達は続けるらしい。私はやや期待して、息子に来年も続けるかどうかと尋ねた。が、息子はキッパリと答えた。
「小学生になったら辞めるの!」
1年前よりも険しい顔をして息子は返事をし、私たち両親も観念して彼の意見を聞き入れたのだった。
痛む左足に、あの時の頑なな息子の顔がかさなる。
もっと早く靴を替えてあげればよかったのかもしれない。
息子の気持ちはとてもシンプルだったのに、「続けること」だけにこだわっていたのは私だ。せっかく始めたんだし、ここまでやったのにもったいないと、必死に合わない靴を履かせようとしていたのだと思い知る。
もちろん「続けること」で得られる学びもある。積み重ねてこそたどり着く場所もある。けれど、本当に続けなければ意味がなかったのだろうか。「やめること」は、「逃げること」だったのだろうか。「続けること」だけが素晴らしいことなのか。
痛いのなら、靴を履き替えてもいいじゃないか。
卒園式の日。
「小学生になったら、英語を話せるように頑張ります!」
と、息子は高らかに宣言していた。英語教室、辞めたばっかりじゃん! と、ツッコミたい気持ちをぐっとこらえて、息子の晴れやかな笑顔にシャッターを切った。やっぱり英語は好きなんだな。まぁ、最初から彼はそう言っているのだけど。解放された今は気ままに英語と付き合い、今度は新しくピアノ教室に通っている。母としては、「たのしかったー!」と言って帰ってくるのが、何より嬉しい。
信号が再び青になる。周りの人に悟られないように、出来るだけ自然な歩行を目指して慎重に、ゆっくりと歩き出す。擦れないように、そぉっと、そっと。やっぱりこの靴はダメだな……。
大人ももっとシンプルに考えなよ、と言われている気がする。自分の気持ちに正直に。痛いときは、やめたらいいのだ。もったいないと今の靴にしがみついていても、傷が増えて行くだけだ。靴を履き替えたからって、目指す目的地にたどり着けないわけじゃない。ちょっと方法が変わるだけ。靴だって、道だって無数にあるはずなのだから。今よりもっと、楽に進めるかもしれない。
ようやく横断歩道を渡り終えて、振り返る。
あの人に伝えよう。辞めることを悩んでいたあの人に。
続けられないことは逃げか、弱さかと悩んでいたあの人に。傷だらけの足のあの人に。
靴を履き替えよう!
お気に入りの靴で軽やかに歩こう、と。
***
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