大都会・東京のど真ん中で小さな落とし穴にはまった話
記事:蒔田 智之(ライティング・ラボ)
先日、ちょっとした『闇』に遭遇した。
その時の話をしようと思う。
内容は取るに足らない、些細なドジ話だ。
多くの人は「なんだ、そんなことか」と鼻で笑うだろう。
しかし、実際に経験した僕にとってはとても深刻な問題だった。
そのことに気が付いたとき、絶望のあまり体が硬直したくらいだ。
物事は、特に人間の生活は、きわめて絶妙なバランスの上に成り立っている。
このことをもっと多くの人が知るべきだと思う。
なにか1つが崩れれば、今まで秩序を保っていた日常生活は音を立てて崩れ、混沌の闇へと引きずり込まれるのだ。
そのトリガーが、本当にどうしようもない、蟻んこよりもちっぽけな事柄でもひかれることを、このつたない文章で誰かに伝えることができれば幸いだ。
その日は冬の、とても寒い夜だった。
僕は夜遅くまで残業していた。気が付けば22時を過ぎていた。
さすがに家に帰りたくなり、ペースを上げてなんとかその日の業務を終わらせ、そそくさと退社した。
この時間になると、あとは家に帰って風呂に入って寝るだけとなる。
夜遅い時間での食事は体に悪いとわかってはいるが、こうなると食べることだけが楽しみだ。
最初、駅の立ち食いそばでささっと食べて帰ろうと思っていた。
しかし遅い時間だけあって、どの店もシャッターを下ろしている。
さて、どうしたものか、と思案した。
このまま自宅のある駅に行けば深夜営業の飲食店もあるが、お腹も減っているし寝る直前に食べ物は摂りたくない。
それに、自宅最寄り駅の食べ物屋も飽きた。家と職場を往復するだけという、なんの変化もない生活が続いており、そろそろ、変化がほしい。
幸い、ここは大都会・東京。夜遅くに営業している飲食店なんてごまんとある。
結局僕は、乗換駅で途中下車をすることにした。
駅前も飲食店とそこに出入りする人でごった返しており、食べるところには全く困らない。
最短で、それなりにおいしいものが食べられればいいや。
そんなことを考えながら、僕は夜の街へと降りた。
駅の外へ出ると、夜空にたくさんのネオンサインが瞬いていてまぶしい。
駅ナカの店はやはり営業時間外で閉まっていたが、改札を降りるとすぐに、こんな時間でも灯りがついている定食屋があった。
あまり食べる場所で悩んでいるような時間でもない。
外においてある立て看板で何を食べるか十分に吟味した後、店の中へ入った。
やれやれ、やっと一息つける。ようやくお腹を満たせられる……。
そう安堵してカバンの中に手を入れた時。
僕はようやく、「異変」に気付いた。
体が硬直する。
背中がじっとりと湿りはじめる。
顔がみるみる青くなる。
ない。
いつもあるはずの「あれ」がない!
頭の中が一瞬で空白になる。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
少しずつ考えを巡らせていったとき、あることに思い当たった。
今日残業が長引いたのは、昼にちょっとしたトラブル対応をしたからだ。
相手先へ出かける際、カバンの中の荷物を入れ替えた。
そうだ。
財布を職場におき忘れたままだ!
すべてを悟ったとき、僕ははっと我に返った。
店員の痛い視線を感じた。
そりゃ、券売機の前でカバンの中に手を突っ込んだまま棒立ちになっている男の姿は、どうみても怪しい。
いたたまれなくなって、店を出た。
ビルのコンクリートと道路のアスファルトで必要以上に冷え切った空気が、僕の心を容赦なく冷やしてきた。
ようやく事態が読み込めてきた僕が次に考えたのは、「この後どうするか?」だ。
定期券で通勤しており、財布と定期入れは分けていたので家には帰れる。
だが、このままではご飯が買えない。食べられない。
しかも夜だけではない。自宅にもお金を置いてないので、翌朝もご飯が食べられない。
これはゆゆしき問題だった。
1日程度ご飯を抜いたくらいで死ぬわけはないのだが、僕はまるで世界の終わりに居合わせたような心境になっていた。
周りのネオンが別世界に見えた。
あれだけ光り輝いているのに、僕の周りだけ漆黒の闇になっている。
あのネオンの下には、おいしい食べ物も、飲み物も溢れるくらいあるのに。
たかが布製の入れ物とその中身がなくなるだけで、何も得られず、強烈な疎外感を感じることになるとは。
ないものなどない大都会・東京のど真ん中で、僕は目に見えない落とし穴にはまった。
その姿は、ひどく間抜けなものだったのだろう。
しかし結果的には、僕はこの落とし穴から何とか這い上がることができた。
まったくの偶然だが、この前日に、交通系ICカードにお金をチャージしていたのだった。
自宅の最寄り駅についた僕は、電子マネー対応のお店で無事ご飯にありつき、翌日は駅ナカの立ち食いそばをすすって、無事出勤し財布を再びカバンの中に収めた。
人生、どんなところでトラブルに遭うかわかったもんじゃない。
ちょっと歯車が狂っただけで、とんでもない苦難を味わうことがあるのだ。
転ばぬ先の杖、とはよく言ったものだと思う。
日常生活においてもリスク管理はとても大切だ。
皆さん、どうかこんな、変な落とし穴にはまらないでいただきたい。
人生という道には、意外とこんな穴がたくさん開いているものだ。くわばらくわばら。
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