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「しょうがないことだ」という思い込みの怖さ


*この記事は、「ライティング・ゼミ」にご参加のお客様に書いていただいたものです。

人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:中川文香(ライティング・ゼミⅡ)
 
 
「強迫性障害」というのをご存じだろうか?
こころの病気の一種で、 “自分でもつまらないことだとわかっていても、そのことが頭から離れない、わかっていながら何度も同じ確認をくりかえして” ※1 しまい、例えば “不潔に思えて過剰に手を洗う、戸締りなどを何度も確認せずにはいられないといったこと” ※2が症状として挙げられるそうだ。
先日、ふとした事がきっかけで「自分も強迫性障害なのかもしれない」ということに気付いて、長年心の中にかかっていた霞がすーっと晴れるような気がした。

 

 

 

私は確認魔だ。
なんでも自分の気の済むまで確認しないとどうにもムズムズしてしまう。
例えば戸締り。
外出するときは、家中の窓という窓、ドアというドアの戸締りを確認しないと気が済まない。
たとえ、「その日にその窓は開けていない」ということを頭で分かっていたとしてもきちんと閉まっているかを確認せずにはいられない。
窓の鍵がかかっているかを確認し、窓枠を持って引っ張って本当に開かないかまでチェックする。
施錠と同じように、ガスの元栓はちゃんと閉まっているか、電気はすべて消しているか、コンセントに使っていないなにがしかのプラグを差しっぱなしにしていないか、床にものが散乱していないか、など部屋の中のありとあらゆることを確認し、それから家を出る。
そして、玄関の鍵を閉め、ドアノブをガチャガチャ引っ張って鍵がしっかりかかっていることを確認してようやく外出の準備完了だ。
例え、すぐそこにあるスーパーに買い物に行くだけであっても、実家に帰省するために2、3日家を空けるような状況であっても、どちらの場合でもだ。
自分の身支度が終わっていてもう出られる状況になっても、それらの確認をしないと気が済まないのだ。
おかげで、どんなに早く出掛ける準備が済んでいようと、いつも家を出るのはぎりぎりの時間になってしまう。
気になって仕方がない、というよりは私の中ではすべての確認を済ませて出るのが当たり前のような、もはや外出前のルーティーンのようになってしまっている。
しかも、一度戸締りを確認してから違う部屋に移動し、また元の部屋に戻るともう一度、その部屋の戸締りを確認する。
つい10分前にも見たばかりなのに、無意識に窓のところに行って、施錠を確認してしまうのだ。
窓が閉まっていることは、自分でも分かっている。
ちょっと前に自分で確認したのだから当たり前だ。
でも、確認せずにはいられない。
空き巣に入られた経験があるわけでも、窓を開けたまま出掛けて風で部屋がめちゃくちゃになっていたということがあったわけでもない。
ただ、確認せずにはいられないのだ。
 
自分がこうなった原因が何なのかは分からない。
いつからそうだったのかも定かではない。
ただ、歳を重ねるごとにこの確認癖が酷くなっていっているのを薄々感じてはいた。
出かける前の確認の時間が、確認する場所が日に日に増えていっているということもなんとなく気付いてた。
でも、自分の性格上の問題だと思っていたし、何度も何度も同じような行動を繰り返すのを人に知られるのはなんとなく恥ずかしいことだと思っていて、誰にも相談できずにいた。
私の確認癖の度合いが他の人とはちょっと違う、ということもなんとなく分かっていた。
他の人の “普通” の感覚からずれている自分が恥ずかしかった。

 

 

 

はっきりと、いつからそうだったのかは覚えていないのだけれど、印象に残っている出来事がある。
 
小学校の高学年の頃。
その当時、私は毎日翌日の時間割をノートに書き写し、必要なものをメモして帰るのが日課だった。
そのおかげで、忘れ物だけはしない子供だった。
ある日の授業前、うっかり家庭科の教科書を忘れてしまっていることに気が付いた。
いつもなら忘れたりなんかしないのに。
でもチェック漏れで忘れてしまったのは自分だ。
しょうがない。
とぼとぼと先生の机へ行き、「教科書を忘れました」と伝えた。
ところが、その日、教科書を忘れたのは私だけでは無かった。
「私も」
「ぼくも忘れました」
という生徒が後からあとから手を挙げる。
その日の家庭科の授業は前日に何かの理由で急遽時間割が変更になったもので、当初は違う授業が行われるはずだった。
前日の変更だったので忘れてしまっていた生徒が多かったのだろう。
でも、クラスの半数以上が教科書を忘れている、という状況が、先生の怒りに火をつけた。
 
「教科書を忘れた者、前に出てきなさい!」
 
突然、先生が鋭く言い放ち、私は面食らった。
でも先生がそう言うのだからしょうがない。
私はまたとぼとぼと教室の前に歩いていき、他に教科書を忘れた生徒も同じように前に出た。
黒板の前に一列になって、教科書忘れの犯人がずらりと並ばされた。
「前日に、ちゃんと授業が変更になると言いましたよね、なのにどうして忘れたの?」
という先生の説教が始まり、私は恥ずかしさと悔しさで顔がほてってくるのを感じてうつむいた。
いつもは忘れものなんかしないのに。
たまたま忘れただけなのに。
今日に限ってなんでこんなに怒られなきゃいけないんだろう。
お説教は授業の冒頭だけで、おそらくほんの数分くらいの出来事だったのだろうけれど、永遠に感じられた。
背中には先生が怒る声を聞き、前からはちゃんと教科書を持ってきて席に着いている子たちの視線を受け、大げさだけれど公開処刑そのものだった。
普段、先生の言うことも、親の言うことも聞くいい子だった私は、怒られることにあまり慣れていなかったというのもあるだろう。
その事件はショッキングな出来事として、私の記憶の1ページに刻み込まれた。
確認癖との直接的なつながりは分からないけれど、今改めて考えると些細だと思えるようなこんな出来事を20数年経った今でもしっかり覚えているということは、私に何かしらの影響を与えたのであるに違いない。
少なくともそれ以降、私の確認癖は続いている。
 
こういった子供時代に記憶に刻み込まれた体験と、元来几帳面な性格だったのとが相まって、この確認癖がついているのだと思っていた。
 
あるとき、いつものように施錠の確認をしていると、旦那さんから言われた。
「出かける時にドアが閉まっているか、ガチャガチャして確認するの、やめた方がいいよ」
そうだよね。
ドアノブが壊れちゃうよね。
私も分かってるんだよ、やめた方がいいって。
でも、やらずにはいられないんだよね。
ほぼ無意識にやっているから。
心の中でそう言って「そうだね、気を付ける」と答えた。
旦那さんは何かを思い出すようにしばらく考え、こう言った。
「そうやって過剰に確認すると、脳の老化が早まるらしいよ。何かで読んだ」
「そうなの? なんでそんなこと知ってるの?」
一緒に住むようになると、嫌でも私が過剰に戸締りの確認をしているところは目に入る。
それでわざわざ調べてくれたのかな? と思い聞いてみると、意外な言葉が返ってきた。
「前の職場でも、同じような人がいたから。先輩だったんだけど、ある時一緒に出張に出かけることになって、その先輩の家まで迎えに行ったんだよね。約束の時間の前に着いて車で待ってたら、その先輩、玄関のドアをガチャガチャやって、また家に入って、またガチャガチャやって、っていうのを5回くらい繰り返してたんだよ」
ほう。
「それで、『何やってたんですか?』って聞いたら、『戸締りを何度も何度も確認しないと気が済まないの、分かってはいるんだけど』って言ってて。『それやめた方がいいですよ、なんかデメリットがあるんじゃないですか?』って後から一緒になって調べたら、ネットにそう書いてあった。本当かどうかは分からないけど」
「そうなんだ!」
と私が驚いたのは、脳の老化が早まる、ということに対してでは無くて “私と同じような人がいるんだ” ということに対してだった。
これまで生きてきた中で、自分のように過剰に確認する癖を持つ人とは出会ってこなかった。
だから、私だけだと思っていた。
私だけの異常なクセだと思っていた。
性格の問題だと思っていた。
けれど、他にもいる。
私のような人がいて、同じように困っているけれどやめられない、と思っている人がいる。
もしかして、単なる性格の問題では無いんじゃないのか?
 
思いたち、ネットで『確認癖 過剰』などの検索ワードで調べた結果、冒頭の「強迫性障害」という単語にたどり着いた。
 
「強迫性障害のサイン・症状」という欄を読んで、当てはまるものを数えた。
・不潔恐怖と洗浄
これはいわゆる潔癖症のようなものだろうか?
つり革も手すりも気にせず触るけれど、頻繁に手を洗うというところはあるかもしれない。
・加害恐怖
「誰かに危害を加えたかもしれないという不安がこころを離れず、新聞やテレビに事件・事故として出ていないか確認したり、警察や周囲の人に確認する」※3とある。
これと似た感情は少しあるかもしれない。
事件・事故とまではいかなくとも、仕事をしているときに何かミスが発覚すると、たとえ自分が関わっていないことであったとしても「自分が何かしたのではないか?」と思って上司に確認することは多々あった。
・確認行為
「戸締まり、ガス栓、電気器具のスイッチを過剰に確認する(何度も確認する、じっと見張る、指差し確認する、手でさわって確認するなど)」※4。
これはもう、そのまま全て自分に当てはまる。
何度も確認する、じっと見張る、手で触って確認する、なんて私が日常的に行っていることだ。
ほかにも、「儀式行為」という自分の決めた手順で物事を行わないと気が済まない、という症状や、「数字へのこだわり」が強く縁起を担ぐというレベルを超えてこだわる、「物の配置、対称性などへのこだわり」があって必ずそうなっていないと不安になる、など、様々な症状があるそうだ。
症状については当てはまるものも、そうでないものもあった。
けれど、日常生活への支障として「手洗いや戸締まり確認に時間をとられる、火の元を確認しに何度も家に戻る結果常に約束に遅れるといった弊害や、日々の強い不安や強迫行為にかけるエネルギーで心身が疲労して健全な日常生活が送りにくくなってきます」※5という一文を目にして、疑惑が確信に変わった。
旦那さんに注意されている時点で間違いない。
私は強迫性障害を持っていたのだ、と。
 
長年、「ちょっと人より神経質なだけだ」「性格の問題だ」と思っていたのに、病名としてしっかり名前もついている症状だったとは。
元々、時間の無駄だと頭では分かっているのに自分ではどうしてもやめることが出来なかった。
ある種自分の脳内で作り出した麻薬に依存しているような状態だったのに、なぜ “変えられない” と諦めていたのだろうか。
なぜ、調べてみることをしなかったのだろうか。
なぜ、人に聞いてみたりしなかったのだろうか。
 
答えは簡単だ。
それが “自分だけの恥ずかしいこと” と思い込んでいたからで、 “変えられないこと” と思い込んでいたからで、 “そこまで酷いわけじゃないし” と思い込んでいたからだ。
すべて、私の思い込みの中に閉じ込めていたから20年以上も抱えてきたこの思いを解き放ってあげることが出来なかったのだ。
 
なぜ強迫性障害になるのか、原因ははっきりとは分かっていないそうだ。
性格や育ってきた環境、ストレスや感染症など様々な要因が関係していると考えられている。
もしかしたら小学校時代のあの記憶が原因の一つになったかもしれないし、几帳面な性格や、「お姉ちゃんでしょ、しっかりして」と言われて育ってきた環境も関係があるかもしれない。
原因は分からないが、薬物治療や行動療法といった治療法もいくつか存在するようだ。
病院を受診したわけではないから、はっきりとそう診断が出たわけではない。
けれど、自分なりに調べてみて、この症状に困っているのは私だけでは無くて、他にも悩んでいる人がいる、そして対処法も研究されて治る人もいるのだ、という事実が暗闇の中を手探りで歩いている中に差した一筋の希望の光のように思えた。
この症状と向き合って治したい、治そうと努力している人が他にもいるのだ、ということを知って、自分の症状が良くなったわけではないけれど、どこか救われたような思いがした。
 
今、少しずつ確認癖を抑えようと自分なりに取り組んでみている。
ネットに書かれていた治療法の一つ、「認知行動療法」は強迫観念による不安に立ち向かい、やらずにいられなかった行為をしないで我慢してみる、という方法だ。
私の場合で言うと、戸締りが心配でも一度確認したら二度目以降は確認しない、というところだ。
こうした行動を続けていくと少しずつ不安が弱くなっていき、やがてその行動をとらなくても大丈夫になっていくようだ。
一朝一夕には治らない。
それで治るかどうかも分からない。
もし、治らなかったら病院に行ってみるのもいい。
自分でどうにも出来なければ、信頼できる人やお医者さんを見つけて、手伝ってもらえばいい。
 
自分で性格だと決めつけて殻に閉じ込めていた時は「どうにも出来ないんだ、しょうがないんだ」と諦めていたけれど、ふとしたきっかけで病気かもしれない、と知ることができ、心が軽くなった。
病気が発覚することはマイナスイメージとして捉えられることが多いだろうけれど、自分の得体のしれない行動に名前をつけられることで長くかかっていた霞がすーっと晴れたような不思議な感覚があった。
 
思い込みは怖い。
一つの考えに捉われすぎると、いつの間にか足元を掬われることがある。
「クセだから仕方が無いこと」と思い込んで治す方法を調べなかったことで、20年以上も小さな時間を無駄にし続けてきた。
そして、この強迫性障害自体も、「何度も確認することで不安を拭える」という思い込みから何度も同じ行動をする、という症状につながっている。
いつか、この思い込みを払拭したい。
そして、もしかすると身近にいるかもしれない、同じ症状で悩む人に伝えたい。
「私だけかもしれない」「恥ずかしい」というのは、単なるあなたの思い込みかもしれない、と。
 
 
 
 
出典:https://www.mhlw.go.jp/kokoro/know/disease_compel.html
厚生労働省 「知ることからはじめよう みんなのメンタルヘルス総合サイト」
※1~※5 「強迫性障害」頁より引用。
***
 
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2021-01-11 | Posted in 記事

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