メディアグランプリ

これからは「諦観力」の時代なのだ!


西部さん 諦観力

記事:西部直樹(ライティング・ゼミ)

 

ここで、はっきりと言わなくてはいけない。
わたしは、ウサイン・ボルトに挑戦することをきっぱりと諦めると!

小学校の頃は足が速かった。
運動会のリレーの選手に選ばれるほどだ。
俊足を活かして、町内運動大会走り幅跳びの選手になれるほどだった。
中学でもまあまあだった。
体育の100m走のタイムは、今でも記憶している。
え~と、何秒だったかな。
10秒は切れなかったけれど、15秒はかからなかった。
高校は、剣道部だったので、陸上競技は陸上部に譲ることにした。
大学時代は、軟派なクラブに入ってしまったので、走ることはなかった。
今では、家人から「健康のためにジョギングでもしたら」といわれるが、ムリに走ると足を痛めたり、関節に無用な負荷がかかったり、心臓に負担がかかったりするしと、こんこんと説いて遠慮するようにしている。

足が速い、少なくとも遅くはないと自覚した時、微かに頭をよぎったのは「オリンピック」という単語だった。鮮やかなスタートダッシュで世界に名を轟かせた吉岡選手のあだ名「暁の超特急」という言葉がまだ鮮明な頃だ。

遅くない程度、クラスで5本の指に入る速さでも、全校では10本の指に入ることもなく、その地方の大会に出ることもできないくらいなのだ。
町内大会止まりでは、オリンピックなど夢のその向こうである。
走ることで世界に伍してゆこうなんて、諦めるしかない。

 

そして、ここで、また、はっきりと言わなくてはいけない。
わたしは、無人島で秘密基地を作ることをきっぱりと諦めると!

 

小学生の頃、ヴェルヌの「15少年漂流記」にはまっていた。
何度も、それこそぼろぼろになるほど繰り返し読んだ。
何がそこまで惹きつられたのかわからない。
けれど、何かの拍子に無人島に着いたら、どう生き延びるのか。
日々そんなことを考えて過ごしていた。
秘密基地は、どうするのか。
何人で漂流するのか、食料は。
そして、秘密基地はどうするのか?
無人島にいるのだから、秘密ではなかろうと思うのだが、住まいはどうするのか、そんなことを友達と話し続けていた。
秘密ではない秘密基地計画に夢中になっていたら、南の島で元日本兵が何十年ぶりに発見された、というニュースが流れてきた。
その元日本兵の孤独で過酷な生活を知るに及んで、無人島生活はいささか色あせてきた。
お腹が空いたら、何かが冷蔵庫にあり、退屈したらテレビを付ければ何かがあり、好きな本も新しいものが次々と現れる、その生活を諦められるのか。
諦められない。
だから、無人島で秘密基地を作るのは、諦めることにした。

 

夢想は楽しい。
しかし、現実の自分を知れば、それは夢ですらなく、妄想でしかないことに気づく。
そこで、きっぱりと諦めるのだ。
諦める、諦観である。
諦める力、すなわち諦観力である。
諦観力がつくと、なかなか心地よいのだ。

 

例えば、妻にある物が欲しいので買うぞ、と正々堂々と宣言したときのことである。
「あのさあ、まあ、なんだけどさ、某書店の部活に写真部というのがあって、プロのカメラマンが写真のとり方を教えてくれたりするんだよね。
まあ、スマホでもいいというのだけれど、みんな一眼レフを持っているのだよ。
写真は好きだし、君を撮りたいけど、20年前のデジカメじゃあねえ。
まあ、その、新品とはいわない、中古でいい、まずはお試しだからさ、お試しだから、もう型落ちのごく安いのでもいいんだ。それでホントいいんだ。一眼レフが欲しいああ」
と。
するとお茶をすすりながら、妻はひと言こういうのだ。
「ダメ!」
言下に却下された。
見事な却下である。
こんな時、わたしはすかさず諦観力を発揮するのである。
「あ、そうだね、そうだ。カメラ買うなんてね、まあね。じゃあ」
無駄なことは素早く諦める。そう正攻法はダメだと、諦観するのである。

正攻法でいくことを諦観した私は、次なる方法で攻めることにした。

最近「太っている」と娘に言われ、妻に「メタボになって体壊しても知りませんよ」と脅されている事を逆手にとろうと思ったのだ。
妻に男らしくこう提案したのである。
「あのさあ、こう太っていてはまずいよね。ダイエットしようかなあ、なんて思っているんだけど、ただダイエットするだけじゃあ、やる気が出ないんだよね。やる気は結果に対しての褒美があるといいじゃないかなあ、と思うんだ。例えば、○○キロを切ったら、カメラを買っていいとか、どうかな」と。
妻は、「フン」と鼻で嘲うのである。
そして、「やってご覧なさいな」と笑いながら、私の大好きなチーズケーキをホールで差し出すのであった。

 

また、妙齢で華麗な女性の方とお茶する機会があった時のことだ。
少しアルコールを聞こし召した女性に、何気なく聞いてみた。
「ねえ、もし、もしだよ、わたしが未婚だったら、結婚したいと思う?」
男は愚かだから、少なくともわたしは愚かだから、いつでもモテモテでいたいと思っているのだ。
彼女は、クリームチーズの天ぷらなる、珍味の最後の1枚(3枚出てきて、わたしは1枚を食した)をするりと口にして
「フン!」と鼻で嘲うのであった。

ここで、わたしは素早く諦観力を発揮するのである。
「うむ、このクリームチーズの天ぷらは美味しかったね」と。
年上の男だから、潔く最後の1枚を彼女に譲ったのである。さりげなく。

この諦観力によって、珍味なるクリームチーズの天ぷらを放擲した。このことを教訓に次に活かすようにしたのである。
「だし巻き卵も食べたいねえ」と持ちかけ、お店の人に、「偶数単位で切り分けてきて下さいね、二つでも四つでも六つでも八つでもいいですから、偶数単位で」とお願いしたのである。
だし巻き卵は見事に8分割されて供された。
妙齢で佳麗で健啖家の女性は、卵焼きを4切れ食し、私も4切れを食べることができたのである。

 

正攻法に拘泥していては、カメラを手にする機会は永遠に訪れなかったろう。
彼女の胃袋に消えたクリームチーズの天ぷらに未練を持ち続けていたら、健啖家に負け続けていただろう。
諦観力が次の展望を生み出すのだ。

 

無人島に秘密基地を持つことをきっぱりと諦めたことで、秘密ではないが東京に家庭を持つことができた。
無人島では、結婚生活はできないから。

走ることでオリンピック出場の夢を諦めたことで、走ることではないが歩くことで、健康を保つことができることを知った。

諦めることが重要なのだ。
諦めたら、次のことができる。
無駄なことに見切りがつけば、他のことに注力することができるのだ。

メディアグランプリ第6シーズンの前半戦は、残念だった。
それはもう諦めよう。過ぎたことはどうしようもない。
諦観するのだ。
後半戦は、この「諦観力」で巻き返すのだ。

 

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2016-02-03 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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