私の名前は「コッペパン」 私のお祖母ちゃんの話。
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記事:emi(ライティング・ゼミ日曜コース)
大好きなお祖母ちゃんに「私の名前わかる?」と尋ねると
お祖母ちゃんは「コッペパン」と言った。
お祖母ちゃんが私の名前を最後に呼んだのは「コッペパン」だった。
さかのぼること6年前。
「泥棒が家に入ったかもしれない。100万円が盗まれたんだよ!」
ひらりひらりと桜の花びらが舞う頃、母と私は短大の入学準備のために出掛けていて、家に帰ってきた私たちにお祖母ちゃんが言ったのが、この一言だった。
家中が、ひっちゃかめっちゃかになっていて、茫然とした。
これは、本当に事件なのか、それとも認知症の仕業なのか。
よくいうボケのはじまりは「お金を盗まれた」と言うけれど、それは嘘のような本当の話で、私のお祖母ちゃんもそれだったのだ。
私はお祖母ちゃんと母の3人で暮らしていた。
母は父の家と折が合わず、産後すぐに実家に戻り、その後離婚をした。私は赤ちゃんの頃から、お祖母ちゃんと一緒に暮らしている。
お祖母ちゃんは、早くに夫を癌で亡くし、そこから女手一つで四人の子供を育て上げたのだ。夫の残した土地にアパートを建て不動産経営をし、その隣には、たばこ屋を営んでいた。
私だったらと思うと、到底できない。
お祖母ちゃんの手腕は、流石だと思うし、同じ女性としてカッコいいと思う。
下町商店街にあるたばこ屋は、パンやお菓子や雑誌に競馬新聞と様々な物を販売していた。
当時(1990年代)私は小学校低学年。商店街には、お花屋やお肉屋に文具店と、それぞれの専門店が軒を連ね、それはもう賑やかであった。近くにコンビニがなかったので、うちの店も大繁盛をしていた。
土曜の朝は決まって、祖母がどこかに仕入れの電話をしている声で起きていた。
お祖母ちゃん「今日も働いているな」と、お父さんのいない私にとって、それはなんだか頼もしいというか、安心感があった。
私の母は体が弱く、病気を患っていて病院の入退院を繰り返しながらも、仕事をしていたため、家事全般はお祖母ちゃんがやっていた。
だから私が思い出す味と言えば、お祖母ちゃんの味だ。
料理が得意で、天ぷらやカレーやハンバーグに、あんかけかた焼きそばと、どれも本当に美味しかった。あんかけかた焼きそばなんて、麺を揚げて作ってくれるのだ。もう、その麺のサクサクなこと。子供ながら「素揚げの麺はおやつにいけるわ~」と思っていた。
今思えば料理教室に通うことなく、和洋中なんでも作れてしまうお祖母ちゃんは、本当にセンスが良く器用な人だったのだなと思う。
裁縫も得意で、籠のバッグや浴衣も作ってくれていて、ハイスペック・スペシャルグランドマザーだったのだ。
トレードマークは、ショートでキツメのクリックリのパーマネントヘアと白い割烹着だ。そんなお祖母ちゃんが、町内会の旅行や歌舞伎の観覧時には、ピシッと着物姿で向かう姿なんかは、子供ながらにしびれていた。
友人のように話も合って、SMAPの話で盛り上がったと思えば、桜吹雪でお馴染みの「遠山の金さん」ごっこも、よくしていた。高校受験に落ちた時は、ありがた迷惑な話だが、落ちた高校に怒りの電話をしてくれたくらいだ。とにかく私の側にはいつもお祖母ちゃんがいた。
そのお祖母ちゃんが「100万円がなくなった」と、ある日突然スイッチが入ったかのように行動がおかしくなったのだ。
食事で出されるのは、キュウリの漬物in10円玉。キュウリに10円玉がまぶされている斬新なメニューが登場した。
緑と銅のコントラストは、どうしても食欲が出なかった。
トイレに行けば、便器にはトイレットペーパーの代わりに白菜が浮いていた。
よくこれでお祖母ちゃんは、拭けたなと逆に関心をし、水道業者を呼んだ。
私のカーディガンの袖口を、一生懸命ズボンだと思い履こうとしていた。
腕を通すところに足を無理やりいれるもんだから、その後このカーディガンは使い物にならなかった。
私の好きだったお祖母ちゃんはどこにいってしまったのだ。
そのうち、離婚して戻ってきた母のことを「出戻り」と悪く言うようにもなった。このくらいの症状になる頃には、私は社会人になっていて、正直家に帰っても、心が休まることがなかった。
お祖母ちゃんが、どんな些細なことでキレたり、おかしな発言をしたりするのか。私も母も精神的にギリギリで、介護は祖母の一番末っ子の息子、叔父さんに任せ、とにかく関わらないようにしようとしていた。
認知症がはじまって、6年が過ぎた春。
お祖母ちゃんは家で転んだのをキッカケに、病院に入院をするようになり、そのまま家に戻ることはなかった。お祖母ちゃんは私の名前を呼べる日が少なくなり、最後に呼ばれた名前が「コッペパン」だった。
あんなに大好きだったお祖母ちゃんが、認知症になったとたん、別人と化してしまい、遠のくようになった。
けれど、「コッペパン」と言われたとたん、それまでの色々な感情が、さーっと何処かにいき「お祖母ちゃん、なんか面白いじゃん!」て、気付くと私は笑顔になっていた。その一言で、救われた気がした。
それがわかった時には、もう時期は遅かったのだが、認知症のお祖母ちゃんとの過ごし方を、もっと楽しめれば良かったのではないかと思っている。
今期の金曜ドラマに『俺の家の話』というドラマがある。長瀬智也演じる主人公の現役プロレスラーが、父親の介護のために、実家に戻るという話だ。
自分の父親の介護に対して、父親の想いを尊重し、寄り添い、そして楽しんでいる感がある。これは長男である長瀬智也だけでなく、この一家の登場人物全てに言えることだ。
同じように私もあの時できていたら。
お祖母ちゃんのできないことに苛立つのではなく、できることに対して目を向けていれば。どんな状況も楽しんだ勝ちではないだろうか。
私の名前は「コッペパン」
お祖母ちゃんがそう思うなら、そうだと思うよ。
具は「イチゴマーガリンがいいな。」
そこだけは、私に拘らせてよ。
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