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短編小説『赤とんぼ』


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記事:いのまたかなこ(ライティング・ゼミ平日コース)
※フィクションです
 
 
久しぶりね、元気だった? あら。いやァね、彼とは別れたわ。半月前かしら? ううん、こっちから振ってやったの、あんな奴。
ねえちょっと外を見てみて? ほらあすこ。赤とんぼがいるでしょう? 彼と別れた日はもっと赤とんぼが飛んでいてね。そう、特に二匹一緒になって飛んでいるのがやけに目についたわ……。
 
あなたこの後予定ある? ああ良かった。だったら聞いてよ、どうして私が彼と別れることになったかをサ……。ああ、ありがとう!
 
ねえ店員さん! このワインとチーズ、あとアヒージョくれる?
 
ああ……ここのワイン美味しい〜。やだ、焦らないで、今話すわよ。
 
彼と出会ったのはジムよ。大きな窓からは葉桜がそよいでた。ひと汗かいてベンチから外を眺めているとね、隣に座ったのが彼だった。いつもなら隣に誰が座ろうと知ったこっちゃないんだけど
 
「あれっ、おんなじですね」
 
って言われたの。何のこと? って彼の視線の先を見るとね、そっくり同じシューズを履いてるもんだから、私吹き出しちゃったわ。
だって彼はとても背が高かったから、足も大きくってね。それにほら、私はこんなしか背が無いでしょう? まるで親子が揃いの靴を履いているように見えたんだものおかしくなっちゃったの。
ふふふ、きっかけなんて些細なものよ。
 
私達はすぐに惹かれあったわ。彼は話がうまくてね。色んな事を教えてくれた。確か生物学者って言ってたわ。
 
例えばねフラミンゴがあんな色をしてるのは食べ物のせいで、気をつけないと白くなっちゃうだとかね。白い体だとモテないんだってさ。ふふ、いじらしいじゃない? ね? あとはラッコの話が印象的だったわ。手を繋いで寝るんだって。流されないようにって理由らしいけど。あら、嘘じゃないったら! ほらこの動画を見て。ね? ……だから真似してね、彼とはいつも手を繋いで寝たの。
 
……エ? やあだ、そんな野暮なこと聞くもんじゃ無いわ。でしょう? 大人だもの、そりゃそうよ。でもそうね、彼の鍛え抜かれた腕や胸にすっぽり収まるのが、私は堪らなく好きだったわ。
 
あなたワインのおかわりいる? あら、そ。店員さん、同じのひとつ頂戴。
 
はぁ〜、美味しい。
 
彼は朝になるといつもいなかったの。大学勤めの学者って朝早いのかしら? そんなふうにしか思わなかったから、おめでたいわよね、本当にもう……。会うのも私の部屋かホテルだったのにね……。
 
……えっ? 既婚者ってわかった日? ああ、うだるような夏の日だったわ。冷房が効く前に彼はシャワーを浴びてた。ええ、そう、お察しの通り彼のスマホが鳴ってね。ほら、LINEってロック画面でも本文が見える設定ができるでしょう? 彼のもそうなってた。甘いわよね〜。そこに奥さんらしき人からこう来てたの。
 
『いっくんの粉ミルクが足りないの。パパ、帰りに買ってきてね♡』
 
ってさ〜。でしょう? いいえ当たり前よ、初めて会った時にちゃんと薬指を見たわ! だから信じられなくてね……でもそう、子供までいたのよ。しかも粉ミルクって。ねぇ〜? まだ赤ちゃんよ?
 
気づいたらシャワー室の扉を開けてた。何も知らない彼は
 
「一緒に浴びたくなった?」
 
ってそりゃあ色っぽく言うのよ。水に滴る彼が素敵でね、私は泣きそうな声で聞いたの。
 
「……結婚してたの?」
 
そしたら彼は出しっぱなしのシャワーの下に私をぐっと抱き寄せたわ。
 
「すまない。でも君のことはちゃんと考えてる。離婚するつもりだ。君は何も心配いらない」
 
「でも指輪もして無いじゃない!」
 
って私、叫んじゃったわ。そしたら
 
「君は可愛いな。僕は金属アレルギーでね、できないんだ」
 
ですって。全くそこまで頭回らないわよね〜、普通は。そうでしょう?
 
でも私はすでに彼を愛していたの。結婚しているからって引き返せるような気持ちじゃなかった。二人でシャワーに打たれながら抱き合っていると、もうどうしても彼が欲しくてたまらなくなっちゃってさ。
今までで一番優しいキスをしたわ……。
 
その日から彼が帰るたびに胸が苦しかった。会えない日は嫉妬で狂いそうになるのよ。
だからそんな時はね、エステや美容院に行くの。彼の為に綺麗になるのがさ、ちょっとでも彼と繋がってるようでね……。
いやだ、アンタって優しいのね、涙ぐんだりして。ほら鼻かみなさいよ、いいわよ、このハンカチあげるから。
 
苦しい夏が過ぎた頃、急に旅行に誘ってくれたの。私嬉しかったわ。一晩中一緒だなんて初めてだったんですもの。
秋の京都は最高だった。何より外で腕を組めるのが本当に幸せだったわ。
 
でもね、その旅行中に別れを決めたの。いいえ、喧嘩はしてないわ。何かあった訳じゃないのよ。
 
二日目の昼食の時よ。
鴨川を眼下に見渡せる所でね、鱧が絶品だったわ。いいえ、ホテルみたいな所じゃなくて……そうそう、川床って言ってね。川や風を感じて食事ができるの。夏の風物詩らしいけど、そのお店は9月末まで解放していてね。私達はギリギリで間に合ったの。
ああ……あすこは今思い出しても素敵だったわぁ。
 
食事が済んでまったりお酒を飲んでいたらね。私達の川床の席までひらひらと赤とんぼがやってきたわ。風情があるじゃないの。ねえ? しかも仲良く二匹くっついてさ。
赤とんぼは総称で正式にはアキアカネって言うらしいわ。あら、よく知ってるわね。そうよ、交尾して産卵場所を探してるの。連結飛翔って言うらしいわ。必ず前のトンボが雄なんですって。産卵する雌を守る為にくっついてるそうよ。
 
その話を聞いて私うっとりしちゃったわ。きっと私達が仲良しだから近くまで飛んできたんだわってね。
 
私達の席のすぐそばに水盤があってね。まだ色付いていない紅葉が浮かんでてさ。
二匹の赤とんぼはそこに産卵したの。ああ、何てこと! 私達にもいずれ赤ちゃんができる、そんなコウノトリのように思えてならなかったわ!
 
私は赤とんぼを見ながら微笑んでたそうよ。そしたら彼も笑ってた。でも彼は私とは違う理由で笑っていたの。
 
「全く愚かだね。すぐそこに大きな川があるのに。なあ、君だってそう思うだろ? こんな所にわざわざ産卵するなんてな。はは。目先のことしか考えてないんだよ。頭の悪い雄の卵を産む雌は実に可哀想だ。不毛だよ」
 
って言ったの。それを聞いた途端、スンって心が冷めちゃった。
あんなに恋焦がれていたのによ? たった一言で。
彼の言う愚かなとんぼの雄が、まるで彼そのものに見えたわ。そうなのよ、言ってる本人はちっとも気付いていない。私を不毛な恋に縛りつけてる張本人だってことにね。
 
ねえ! わかるわよね! ああ……あなたが理解してくれる人で良かった! 話せて良かった。ごめんなさい泣いちゃったわ……。
 
そう、だから私は赤とんぼを見るとね、自分が恋に溺れた卑しい人間だって思い知らされるの……。私だってさ、赤とんぼみたいに堂々と2人でくっついて自由に空を飛びたかった。
でもね、あの時赤とんぼが来なかったらって思うと、私ゾッとしちゃう。
 
え? まあ、そうね! ふふふ。あなたの言う通り、脱不倫記念だわ! ええ、おめでたいわよね! だからあなたって好きよ。あら、もうすっかり良い夜だわね。もう今日はとことん飲むわよ。え? 何言ってるの、これからじゃない。もちろん付き合ってくれるわよね? ふふふ。ありがと。いい友達を持ったわ。
ねえ、店員さん! こっちにワインふたっつ頂戴な!
 
 
 
 
***
 
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2021-04-10 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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