おんなの幸せ
記事:Ayami Matsushimaさま(ライティング・ゼミ)
「幸せ」って、なんだろう。
人生で一番「幸せ」な年齢って、いつなのだろう。
おんなの人生は、多彩だ。印象派のモネの絵のように、とても間近で見ると、いろんな色が散りばめられていて、とりとめもない。娘としての親を思う気持ちもあれば、キャリアウーマンとして仕事に励む日々もあろう。恋人として逢瀬を楽しみ、また不安に思うこともあれば、妻として夫を支える内助の功を発揮することもあるかもしれない。あるいは、母として子を育み、祖母として孫を世話することもあり得るだろう。
でも、遠くからはなれてみれば、例えば、それはひとつの睡蓮の絵だ。いろんな役割を持つあなたも、ひとりのおんなだ。
これを読むあなたは、おそらく既に、綿あめのようにふわふわと膨らんだ妄想のなかで生きる年頃ではないに違いない。現実世界に追われ、明日のことを考えられずに、毎日いつの間にか寝てしまう毎日かもしれない。それとも、愛する人の肌に触れながら幸せな眠りについているのかもしれない。あるいは、子供に絵本を読み聞かせながら、自分も一緒に寝てしまったのかも知れない。
おんなの人生は、多彩だ。そして、今あるその多彩な色は、油絵のように削り取ったり、上塗りすることはできるのだけれども、過去のあのときに戻って塗り直すことはできない。
思えば、子供が成人するまでは必死だった。結婚して田舎から都会に出てきて、必死で働いた。子供ふたりに恵まれて、小さいけれど、家族が住むには十分な家を夫が建ててくれた。得意の裁縫をかわれて、近所に住むおねえさんたちに夜の着物を縫ってお小遣いを稼いだ。便利なところだったけれども、こうして家のまわりには飲み屋が多くて、男と女の会話が聞こえてくるので、子供のことを考えて郊外に引っ越した。そこでは近所のお菓子工場で、飴をつくるアルバイトをして家計を助けた。
「子供から手が離れるまでは必死だった。おんなの幸せは50歳からよ。あんたのお母さんは、おんなが一番幸せなときを知らずに死んでしまった」
私のおばあちゃんは80歳を既に超えている。1年前の10月に祖父を亡くした後、年が明けた2月に娘である私の母を亡くした。おばあちゃんは、住み慣れた場所から引っ越すのは嫌だ、と言って、今も一人で住んでいる。腰も曲がらずにまっすぐだ。娘のように年のはなれた女友達と商店街に釜飯を食べにいったり、地域のバス旅行に参加して楽しんでいる。母が亡くなった後、私は休みの度に、母に会えるような気がして、おばあちゃんに会いに行く。そして、たわいもない話をする。
「そうなの、50歳って、かなり先だよね。私、まだまだ将来が楽しみだわ。じゃあ、また、遊びにくるね」
そして私は、おばあちゃんの家を出る。
5年前までは、これが毎週のイベントだった。
今、おばあちゃんは92歳だ。私の叔父と叔母と一緒に、3人で暮らしている。足腰も弱くなって、大好きな買い物にもなかなか出かけられなくなった。私は今でも、時々、亡くなった母への親孝行をするつもりで、おばあちゃんに会いに行く。
「あんたのお母さんは、おんなが一番幸せなときを知らずに死んでしまった。おんなの幸せは60歳からなのに」
10歳も増えている。
どうやら、おんなの幸せが、人生の後半にあることだけは確からしい。
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