『アゴカンニング事件から得たもの』
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記事:いのまたかなこ(ライティングゼミ平日コース)
学生時代の定期試験への取り組みは、計画的タイプと一夜漬け根性タイプに分かれる。
私の場合、後者だった。
特に日本史や倫理、古文などは単に嫌いだったこともあるが、暗記が多い教科は基本一夜漬けで対応してきた。
そう、あの時までは。
高2の秋、定期試験期間中に事件は起きた。
その日はすでに英語、生物、数学Ⅱ・Bとの戦いを終えたばかりだった。
テスト期間中の普段より早い帰宅と、1日目の試験終了の達成感が、私を変に開放させた。
翌日のテストは日本史、倫理、古文と全て苦手かつ嫌いな教科だったが、数学などとは違って暗記したもの勝ちなが所がある。だけど全く勉強していなかった。だから帰宅してすぐ素直に暗記に取り掛かれば良かった。
私は普段見られない時間帯のテレビ番組に没頭してしまった。芸能人の不倫、100円ショップで何を買うべきかなど、試験前の私に全く必要ない情報だった。
わかってる。しかし、やらなきゃいけない事がある時に限って、くだらないゴシップはやけに面白く、どうしても見なければいけないような気になった。
こうしてワイドショー、さらにはすでに見た事のあるドラマの再放送まで鑑賞してしまう。
夕食を摂り、ゆっくり風呂に浸かるともう20時を回っていた。
やばい。いつも以上にのんびりしている。
だが、この時はまだいくらか余裕があった。
自身の集中力を最大限まで引き出せば、イケる。
21時から0時まで日本史、0時〜3時までは古文、3時〜6時まで倫理。
そう、この殺人的だか完璧な時間割をこなしていけば、ギリ……いやイケるッ!
とりあえず日本史だ。
うおおおお!
本気を出した私は強い。
しかし試験範囲が予想以上に広い。まず試験前日に試験範囲を知るところでもうおかしな事になっているが、やるしかない。
1時間ほど経って、私はちょっと嗜好を変えたくなった。
ベッドにうつ伏せになって上半身を少し起こし、頬杖をつく。体勢を変える作戦だ。ちがう、決して眠たくなった訳ではない。身体だけでも休ませておけばエネルギーは脳に集中的に使われると見込んでのことだ。
いや本音を言えば、もうすでに飽きていた。嫌になっていた。でもまだ1教科しか手につけてない。今寝たら、朝まで確実に寝る。明日の私が死ぬ。
頬杖をつきながらあくびをした。
「ギシッ!」
えっ? ギシッ?? 何?!
急激に痛みが走り、目が覚めた。
顎だ。顎が外れたらしい。
カバっと起き上がり鏡を見る。口が開いたまま、顎が少し右に曲がっている。時計を見る2時をまわっていた。
えっ。
二重に驚いた。
という事は、身体を休ませて脳だけ活性化する作戦が失敗していたことになる。
まあいい。とにかく顎をなんとかしなきゃ。
カクッと戻せばいいのだ。でも戻そうと力を加えてみるのも怖くてできない。やろうとすると骨のミシッと鳴る音が内耳に響く。
どうしよう。
この時間に両親を起こすのも躊躇う。それでも緊急事態だから「おかあさん」と呼ぼうとするが「ああーあ」と日本語にすらならない声。口が閉じないだけで話ができなくなるのか、と少し感心をする。いやそんな場合ではない。
ここで新たな問題が発生した。口が塞がらないからよだれが垂れる。唾を飲むのもできないのだ。
タオルをあてがってよだれが出るのを防御する。
これはやばい。女子高生としてやばい。
もしかすると、眠っているうちに筋肉や筋がリラックスして元に戻るんじゃないか?
一縷の望みを託して、私は顎が外れたまま寝た。
この際テストはもうどうでもよかった。
しかし朝になっても私の顎は外れたままだった。
ノートに『アゴが外れた、戻して、助けて』と書いて親に見せる。母は力技で直そうとするような表情を見せたので、私は逃げた。
「これ、先生に見せなさいよ」
と生徒手帳に何か書かれポケットに入れられたが、すぐに忘れてしまった。行くまでにやることがあるからだ。
同じクラスには好きな男子もいる。こんな顔を晒せない。なるべく誤魔化さなければ。
私は唾液を吸収させるために口内に脱脂綿を詰めた。さらにマスクをし、閉まらないままの口元をカバーする。そして、よだれ対策としてフェイスタオルをあてがう。
もう、このまま学校に行くしかない。
どのみち今日のテストは逝った。
ホームルームには遅刻したが、試験開始時刻直前には学校に着いた。
ここで職員室か保健室に説明しに行くべきだった。
しかしすぐに試験が始まってしまった。
落ち着く間もなく右手にシャープペン、左手にはタオルを持ち、口元にあてがいながら試験を受ける。
顎が痛いし、よだれも気になる。
この顎のせいで全く暗記できなかったし、こんな怪しい身なりで受けてるしで、テスト用紙も頭の中も真っ白だった。
解答欄を埋めたいけど、それよりも早く時間が過ぎてほしかった。学校が終わったらすぐに病院いこう。
その時、肩を叩かれた。2人いる監視の先生のうちの1人だった。
「何を隠しているんですか」
と小さく囁いた。
周囲のクラスメイトの視線が一瞬集まる。
えっ? やばいやばい。もしかしてカンニングを疑われてる?
『先生誤解です、説明させてください。ええ、確かに隠しています。でも顎が外れているのを隠しているだけで、決してカンニングとか卑怯な真似はしてません』
と伝えたかったのに、
「あああ」
しか喋れない。
まずい。余計怪しまれている。先生には、私の挙動不審な言動と動揺がカンニングを認める姿に見えているらしかった。
そうだ、答案用紙に書いて説明すればいい!
名案をすぐに実行しようとするも、
「動かないで。そのまま何も触らずゆっくり立ち上がって。職員室にいきましょう」
うわあああ。終わったー!
「え」「まじで」と密かにクラスメイトの声が聞こえたが、
「静かに! テストに集中しなさい!」
と一蹴されると皆すぐに静かになった。
私は職員室に連れて行かれた。
職員室では
「タオルを置きなさい」
と言われたが、タオルを離すとよだれ問題が勃発する。できないと首を横に振ると
「タオルに何か書いてあるんじゃないですか? 親がPTA会長だからなんとかなると思ってるの?」
ショックだった。確かに苦手な教科の試験だけど、全く勉強してなかったけど、カンニングなんて思いつきもしなかったのに。
「なんとか言いなさいっ」
とマスクを取られた。
顎が外れ、大きく開いたままの間抜けな口からは脱脂綿が見えていただろう。
気まずい空気が私たちに流れた。
恥ずかしくて、よだれが垂れるのが怖くて、私はしゃがんでしまった。
不意に、今朝の母を思い出した。生徒手帳を見せなさいと言ったはずだった。
しゃがんだまま、俯いたまま、ポケットから生徒手帳を出して先生に見せる。
『娘の顎が外れたまま閉じません。喋ることもできないようです。放課後、病院に行くように言ってありますが、よだれが垂れるので試験中のタオルの使用をご了承いただきますよう、よろしくお願いいたします』
と母の字で書かれ、私と母の名、そして印鑑が押されていた。
先生は謝罪してくださったが、とにかく恥ずかしくて消えたかった。
早退して病院に行くと、顎は一瞬で治った。
後日受けた試験の結果は聞かないで欲しい。
このアゴカンニング事件以来、私は一夜漬けをしなくなった。
一度は顎を呪ったが、今は顎に感謝して計画的な行動を心掛けている。
***
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