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馬に願いを


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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜

記事:今村真緒(ライティング・ゼミ超通信コース)
 
 
「うおおーっ! 行け! 行け!」
今日もまた、彼の戦いが始まった。
週末になると、決まって彼の雄叫びが響き渡る。
 
ああ、始まったんだな。別の部屋にいる私が時計を見ると、午後3時半を過ぎている。勝負は、そろそろ佳境に入ったようだ。
今日こそは、勝ってほしい。毎回そう思うが、瞬く間に決着はつき、再び静かな時間が訪れる。
敢えて、勝敗の行方は聞かない。勝ったならば、向こうからリアクションが来るはずだ。何も言わないということは、言わずもがなだ。
 
私の夫の楽しみは、週末の競馬だ。おそらく、もう30年近くの筋金入りの競馬ファンだ。けれど、そんなに年季が入っているにもかかわらず、夫から「勝った!」という言葉を聞くことは稀だ。
なんとも、不毛な経済活動だ。吸い取られるだけ吸い取られているのに、それでも離れ難い魔力が競馬にはあるらしい。夫がのめり込む理由が今一つ分かっていない私には、「そんなに時間とお金を費やすくらいなら、何か他の生産性のあることをしたらいいのに」とついつい思ってしまう。
 
だが、普段は穏やかな夫が、大声で叫ぶくらい熱狂させるものが、競馬にはあるのだろう。
休日の午後になると、いそいそと何やら書き始める夫。横から覗くと、それには、びっしりと競争馬の戦績や血統などの情報が書き連ねてあった。加えて、いろんな予想屋さんの意見まで、事細かに書き添えてある。
そのデータを見ながら、ああでもないこうでもないと悩みに悩んでから、戦に挑むのである。
競馬の時間になると、落ち着かない夫。その時間は集中したいらしく、どこかに車で出かけていても、私に運転を代わってと言う始末だ。
 
大変だなあ。なのに、ここまでやっても勝てないんだ。
夫の労力と健気さに見合わない戦績に、切なさすら感じる。
ギャンブルなのだから、本人の努力に見合わないのも、当然と言えば当然なのだ。
勝負は時の運。これだけやったからといって、成果が思ったようになるものでもないのだ。
だからこそ、きっとやめられない。「今度こそは」と、どこかで期待してしまう。
1+1=2のように、結果が分かり切ったものでないからこそ、夢を見てしまうのだろう。
 
たまに、私も夫と一緒に、テレビでレースを観戦することがある。私はどの馬のオッズが高いとか、どのレースで勝ち上がってきたとか、全く分からない。見た目の好みや、好きな数字の枠順で応援するくらいだ。ちなみに私は、馬体が白っぽい葦毛の馬びいきなので、強かろうが弱かろうが、葦毛がいたら応援することにしている。
 
出走の合図でピストルが鳴ると、馬の走りを追う夫のボルテージが上がっていく。手には、手書きのデータを握りしめて。
最終コーナーを曲がり切って、ゴールまで懸命に走る馬を見ながら、いつもの雄叫びが響く。
「がんばれ! がんばれ! お願い!」
悲痛な叫びだ。聞いていて、なんだか痛々しい。
 
戦いが終わった。静かになった部屋に、何とも言えない空気が漂う。
意気消沈する夫を見て、再び思う。
「毎回がっかりさせられるのに、どうして続けるの?」と。
お小遣いの中でやりくりしながら、馬券を買っているのは知っている。家計にまで手をつけるくらいにのめり込んではいないからいいけれど、せっかくなら買って残るものとか、自分の知識や教養になることにお金を使えばいいのにと思ってしまう。消えてなくなるものにつぎ込んで、こうも満たされない想いをさせられるのは、本当に不毛なことではないのだろうか?
 
けれど、馬がコースを走り切るまでのわずか数分間、夫は夢をもらっているのだ。
その数分に込められたドラマに、その刹那の中に夫を揺さぶる何かが、麻薬のように潜んでいるのだろう。
馬の走りを見ている夫は、きっと、私が推しのアイドルを見ているときと、同じ眼差しをしている。
 
ま、しょうがないよね。好きなものは、好きなんだから。
無駄じゃないか、とか、必要ないからでは済まされないものなのだ。体を作る三大栄養素ではないにしても、ここぞというときに飲む、スペシャルなビタミン剤みたいなものだ。そう代わり映えしない日々に、トキメキを与えてくれる大切なスパイスなのだ。
 
そんな夫も、ごくごく稀に勝つことがある。勝ったといっても、お小遣いで賭ける範囲の勝ちなので、ビックリするような額ではない。
そんな時、夫はニコニコしながらやってくる。
「ママ、今日はお寿司食べる?」なんて聞きながら。
「えー、勝ったの? すごい!」
そう言いながらも、カウンターのお寿司というわけではないことは織り込み済みだ。けれど、回っているお寿司も好きなので、有り難く話に乗る。
そんなとき、夫は非常に気分が良いらしく上機嫌だ。負けたときの打ちひしがれた姿を思い出すと、余りの高低差に苦笑する。
 
食事をおごってくれる時、決まって夫は、「また勝ったら、ご飯に連れていくからね」と言う。
私としては、「そっか、頑張ってね。当たったら、また連れて来てね」と、精一杯の励ましを送り続けるしかないのだ。ゆるやかに期待しながら、生暖かく見守るしかないのだ。
そのドヤ顔でおごってくれる時が、また来ますように。
馬に願いをかけるのだ。いつか報われる、その日まで。
 
 
 
 
***

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2021-06-05 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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