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夢のおっぱい


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記事:西部直樹さま(ライティング・ゼミ)

友人は薄くなった梅酒を傾け、赤い顔して言う。
「彼女の手は、それはそれは美しかったんだよ。
彼女の手を握りたい
彼女の手で握って欲しい
って、夢を見るくらいに」
「ビートルズの歌みたいね」
友人の向かいに座る妙齢で佳麗な女性が、ワイルドターキーのロックを嘗めるようにしながら、微笑んだ。

「そう、日本では「抱きしめたい」ってなっていたけど、当時の担当者は英語がよくわからず、手を握りたいを間違ってしまったって、知ってた?」
私のつまらない蘊蓄は二人に「ふーん」と鼻であしらわれてしまった。

「それで、彼女の手は握ったの?」
彼女は、長い髪を束ねるように右手で持ち、彼に問いかける。
「ああ、手は……」

私が小学生だった頃、テレビは夢の箱だった。
昭和40年代の話だ。
北海道の東の端の小さな町に住んでいた。
広大な畑が広がり、隣家とはおよそ1キロも離れていた。

テレビに映し出される東京の街や海外の姿は、
異国と同じだった。
あるドラマで、「調布のおばさんのところに行って来ます」という台詞を聞き、
見たこともない調布の街に思いを巡らせたりしたものだ。
隣家までは100メートルも離れていないのかな、とか。

そして、
深夜、といっても夜の11時過ぎ頃なのだが、
そっと起き出し、テレビを静かにつけ、ゆっくりとチャンネルを回し(当時のテレビはチャンネルを選ぶのは回転式のドアノブのようなものを回していた)、音が外に聞こえないようにイヤホンを差し、ブラウン管の光が漏れないように画面の光量を落とし、待っていた。
その番組を。

軽快なテーマ音楽と共に、その番組ははじまり、私の目は釘付けになる。
その深夜の番組は、夢だった。
司会者が登場し、話し始める。
その背景には、なんの脈絡もなく、上半身を露わにした女性たちがいた。
司会者が語る内容とは関係なく、彼女たちはいるのだ。
小学生の私は、彼女たちの姿を食い入るように見ていた。
番組の内容など、何も分からない。
露わになった上半身だけを目に焼き付けようとしていた。

背徳の喜びを知ったのは、その時だったのかもしれない。
寝静まった夜に一人でテレビを見る悪徳。
子どもが見てはいけないような番組で、異性の裸身を見る非道徳。

しかし、背徳の行為は暗い愉悦である。
暗い愉悦はあからさまにはできない。

その当時、銭湯を舞台にしたドラマもあった。銭湯が舞台だからなのか、意味もなく毎回女湯を写すシーンがあった。女湯なので、そこにいる女性はなにも身にまとっていない。
家族でドラマを見ていて、そのシーンになっても、私は動揺を隠し、態度を変えないようにしていたものだ。
しかし、網膜にその姿は焼き付けようとはしていた。

女性のなにもまとわない上半身は、小学生には夢だった。

そして
ブラウン管の向こうにみる夢を
現実に見たい、直に見てみたいものだ、と
思春期の男の子は切に願っていた。

その頃、私の通う小学校に新しい養護の先生が転任してきた。

小学校高学年の悪ガキたちは色めきだった。
綺麗なのだ。
田舎の小学校にはもったいないほど、綺麗な先生だった。
先生とお近づきになりたい、しかし、鼻を垂らした小学生には、綺麗な大人の女性は近寄りがたいものがあった。
しばらくすると養護室の前をうろうろする男子たちが増えてきた。
先生を一目見たかったのだ。
しかし、仮病を使って、養護室に入るほどの勇気もなく、先生から声をかけられれば逃げてしまうほどへたれな小学生たちだった。

憧憬という感情をどのように表現すればいいのかわからない。
感情をうまく伝えられず、自分の気持ちをもてあましていた。
好きな子を、逆に虐めてしまうように。

その日も、中途半端に悪ガキだった私は、数人の仲間と養護室の前をうろうろしていた。
先生は、カーテンで仕切られたベッドにいた。
どうしたのかと思って覗いていると、カーテンの向こうで着替えているのだ。
カーテンで仕切られたベッド、養護室の奥の壁には鏡があり、そこに、先生の着替えている姿が映っていた。
おお、悪ガキたちは声にならない声を出し、なぜかクスクス笑いながら、先生の着替えの様子を覗き見ていた。

着替えているなら、もしかすると、夢が叶うかも、
もしかすると、直に見ることができるかも、と。

鏡には、下着姿の先生の後ろ姿がわずかに映っただけだった。
それだけでも、小学生には大興奮ものだった。
密かに覗き見るはずが、声にならない声のはずが、
「おお、見える!」などと言い出すものだから、
着替え終わった先生に見つかってしまった。

養護室の扉を開け、先生は、
「ちょっと、そこの、こちらへいらっしゃい」と私たちを手招きする。
悪ガキたちは、すごすごと養護室に入り、先生の前に整列する。
先生は綺麗な顔を少しゆがめて、私たち一人一人を見る。
そして、少し下を向いて
「裸を見たいなら、見せてあげる」
その言葉に、愚かにも「本当か!」と一瞬、喜んでしまった。
先生は顔をあげ、
「でもね、盗み見るような子は許さないよ
先生は、哀しいよ」
喜びは瞬時に霧散し、うなだれるしかなかった。
私たちは小さな声で
「先生、ごめんなさい」と謝るのだった。

その後のことは覚えてはいない。
ただ、残りの小学校生活で先生と近しくなることはなかった。
そのことはとても残念だった。

「それで、どうしたの」
妙齢で佳麗な女性は、重ねて友人に問いかける。
「まあ、それでね。
夢を現実にしようとすると、それはそれで、何らかの代償を払わないといけないんだよ。
好きな職業についても、好きなことだけをやっていてすむわけではないだろう。
デスクを片付けたり、つまらない報告書を書いたり、まあ、現実はつまらないんだよ」
「なにそれ、手を握ったら、たいしたことなかったってこと」
「そうじゃなくて、現実は厳しいということさ。
握ったら、終わったんだよ……」
「なにが」
「全てが、いや、はじまらなかったのかな」

友人は、黒糖梅酒ソーダ割り、ソーダ多めを頼み、
妙齢で佳麗な彼女は、ハイボール、ソーダ少なめをオーダーした。
友人は、ほとんどソーダの梅酒を飲みながら、しみじみと語るのだった。

「映画を見にいったときのことだ。古い映画が上映されるので、誘ったんだ。
彼女は映画が好きだったから、もちろん一緒にいったさ」
わずかの梅酒で酔いはじめた友人の話は、少しくどい。
「それで、隣の肘掛けに置かれた彼女の手が、それはそれは艶めかしくてね。
俺を誘っていたんだ。いや、誘っているように思えたんだ。握って欲しいと。
本当は誘っていなかったけど。
それで、つい、握っちゃったんだな」
「ふふ、握っちゃったんだあ、いいぞ、それで」
濃いハイボールで酔いが回りはじめた妙齢で佳麗な彼女は、すこしテンションが高くなっていた。
「彼女は、びっくりして、そして、押し返してきたよ。私の手を。
そしてさ、映画が終わったあと、近くの飲み屋で87分間説教された」
「87分間?」
私は、手の綺麗な彼女の行動より、説教された時間を細かく覚えている友人の言葉に反応してしまった。
「ああ、九時半に入って、出たのが10時57分だったからな。つい時計を見たんだ。
で、仲の良い友達だと思っていたのに、あんなことをされたら、もう友達ではいられないって」
「それで、それで」
「飲み屋を出て、そこで別れて、それきりだ。連絡しても返事も来ない」
「残念だったね」それは残念ではなさそうに、彼女は言うのだった。
「夢のような手を、もう眺めることはできないんだ
夢は夢のままにしておけば、よかったんだ……」
とても残念そうに、友人はつぶやく。

「夢から覚めたら、苦い現実が待っていたということか」
私は、コーラを飲みながら、嘆息した。

友人は、うなずき、長い長い溜息をついた。
私は傍らの妙齢で華麗な女性の手を見ていた。
ピアノのオクターブが届かない、といっていた華奢な手
この手を握れば……。
夢から覚めてしまうのか。

彼女は私の視線を感じたのか、私に顔を向け、少し睨むようにして言う。
「あなたも、握ったら終わりだからね」
「あ、はい……」
夢は、夢のままがいいのか。

私が少し感慨にふけっている間に、友人は、妙齢で佳麗な彼女に向かって楽しそうに話をしていた。
「それでね、最近アキレス腱がとても綺麗な娘と知り合いになったんだよ。
彼女の後ろ姿を見たら、その子のアキレス腱がノミで削ったようにくっきりと出ていたんだ。
それはもう素敵だね。夢のアキレス腱だよ」
「アキレス腱かあ、あれをくっきりさせるのは、大変なのよね」
うんうん、と妙齢で佳麗な彼女はうなずく。

おいおい、夢から覚めたばかりなのに……
そうか、夢が破れたら、次の夢を追いかければいいのか。

懲りない友人の姿に、私も思わず身を乗り出してしまった。
「で、どこで知り合ったんだ、言え、この野郎!」
「ふふ、それは……」

 

***
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2016-04-19 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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