嘘つきという職業
記事:西山明宏さま(ライティング・ゼミ)
「開演したよー」
楽屋にきた共演者が僕にそう告げると共演者の男性は、
役者が使う専用の階段で、舞台のある4階の劇場に向かっていった。
僕は3階の楽屋で一人、自分の出番が来るまで、
与えられた役のことだけを考えていた。
共演している先輩のセリフが、楽屋の天井に設置されたスピーカーから、
か細く聞こえてきた。
僕の出番まで、あと20分くらいだ……。
「役者はニセモノだ、嘘つきだ」
プロの役者である森田成一さんはそう言っていた。
僕も同じことを思うことがあった。
役を演じるということは、自分とは異なる人物になろうとすること。
その人物は、もちろん自分じゃないから、
その役が喋る言葉も動きも癖も、どれも本当の自分のものじゃない。
自分の本心ではないことを舞台上で、平気に、
さもそれが本心であるかのように喋る。
それってつまり、嘘じゃん。
「お客さんは舞台上で起こるいろんな嘘を観に来ているのか……」
て、ことはだよ……? 舞台の上って、嘘付き放題じゃないか!?
「わしが織田信長だ!」とか、「私は、ハムレット」とか、
いやいや、僕は信長でも、ハムレットでもないから(笑)
僕はただの西山明宏ですから!(笑)
ほんと、大嘘つきもいいとこである。
“嘘つきは泥棒の始まり”とはよく母に言われたものだが、
これじゃ大泥棒じゃないか!
ルパンも顔面蒼白するほどの泥棒になれちゃうのだ!
舞台上では嘘をついても、何の問題もない。
むしろ、喜ぶお客さんがいれば、感動して泣くお客さんもいる。
お客さんのいろんな感情をも巻き込み、かき回し、
渦を巻きながら物語は進んでいく。
しかし、演劇を始めて間もない僕は、
「どーせ嘘なのに、そんなこと分かってるくせに、なんで感動とかするんだろ。嘘なんだから実際は死なないし、切られても痛くないし、重そうにしてるけどそれ、プラスチック製のブロックだろ? それ、全部嘘じゃん。」
なんてことを思っていた。
「役者は、医者でもないのに医者になり、刑事でもないのに刑事になる。真似しかできないんだよ。1つもプロになれてないんだ。そのプロの方々を差し置いて、自分は医者ですと、自分は刑事ですと平気で喋る。そんな嘘を吐く底辺の仕事なんだ」
ほら、プロの役者の森田成一さんですら、こう言ってるじゃないか。
役者は底辺で、真似しかできなくて、何一つプロでもない、
いや、言うなれば”嘘つきのプロ”なんだ!!
なんてことだ……。僕は演劇部という、嘘つき集団に入ってしまったのか……!
目立ちたいという気持ちだけで入ったけど、なんてところだ!
こんなとこ辞めちまえ!!底辺になりたくないし!!
と、そんなことを思っていた。
思っていたのだが……。
本当にそうなのか……?
役者は真似しかできなくて、嘘つきのプロで、底辺。
じゃあなぜ、舞台が終わったあと、あんなに満足気にお客さんは帰っていくのか。
なぜ、お客さんはその嘘の言葉に、喜び、怒り、哀しみ、楽しんでくれるのか。
もしかしたら、嘘の台詞には、人の心を動かす”何か“があるんじゃないのか……。
台詞とは、役が話す言葉のことだ。
それは役を演じている人物が喋る言葉ではなく、
舞台の上に立っている”登場人物”が喋る言葉なのだ。
その台詞には嘘は全くない。
舞台の上にいる“登場人物”は本気で愛の言葉を語り、ときには人を騙そうという気持ちの上で“ウソ”をつき、本心のままに相手と会話をする。
そう、舞台の上には確かに嘘が存在しているが、
そこには真実も存在している。
自分の身体は1つだから、他の人にはなり得ない。
役者というのは虚構で、幻で、
織田信長をどんなに巧く演じても、それを演じる役者が本物の織田信長になることは決してない。
でも舞台の上なら、現実が切り離された、非現実が許される舞台の上でなら、
初めて役者は織田信長になれるのだ。
なぜなら、役者やお客さん、延いてはその舞台空間全てが、その役者を本物の織田信長であることを許してくれているからだ。
まずは役者自身が自分が言う嘘を信じなくてはならないが、
1人の役者だけが嘘を信じてもそれは嘘にしかならない。
しかし、共演者やお客さんが、それが真実だと信じれば、
もうそれは真実になってしまう。
誰も疑わない、疑う余地がない、本物の織田信長になれるのだ。
お客さんは確かに嘘だと解っている。
でも決して嘘を観に来ているわけではなく、
その舞台空間で起こる、嘘が真実になる瞬間を楽しみに観に来ている。
演劇というのは、舞台空間にいる全員が、
“そこに在ることを信じる”ことで成立する唯一のものであり、
それを率先して行う人が役者なのだ。
だから役者がこうもカッコよく、そして美しく映り、
観客席でまんまと信じ込まされたお客さんは、心を奪われるのだろう。
かく言う僕も、心を奪われた一人である。
やはり、役者というのはルパンだったのだ!
ルパン三世の劇場映画第二作目 宮崎駿監督の「ルパン三世 カリオストロの城」のラストシーンで、ルパンが逃げ去った後、銭形警部がヒロインである、クラリス姫に言った名ゼリフがある。
「いや、奴はとんでもないものを盗んでいきました。あなたの心です」
なんとルパン三世は一国の姫の心さえも奪ってしまったのだ!
しかし、まさにその通り、
大嘘を平気でつき、よもや、姫であろうと人の心まで奪ってしまう職業たるや、
僕はルパン三世という大泥棒か、役者の二つしか思い浮かばないのだ!!
ルパン三世のように、
心だけでなく、本当に金品宝石も盗む大泥棒にはなりたくないし、
なってはいけないのだが、役者という、もう一人の泥棒になら、
僕はなりたいとさえ思う。
森田成一さんは最後にこう言っていた。
「底辺な職業だけれど、それを必要としてくれるお客さんがいる。楽しみにしているお客さんがいる。少なくともその人たちだけは絶対に裏切れないんだよ。お客さんには、そこでしか体感できないものを直接肌身で感じてもらいたい。それが十分に伝わったとき、お客さんはとても喜んでくれる。その喜んでくれた瞬間がとても最高の気持ちにさせてくれるんだ。役者って、底辺だけど、最高の職業なんだ」
あなたも一度、役者に心を奪われてみてはどうだろうか。
………………。
共演者の、「この豪雨で周りがよく見えぬ!!」という台詞が聞こえた。
僕は楽屋を出て、役者が通る専用の階段で4階の劇場にわ向かった。
階段を上がり、劇場に繋がる扉を開けると、そこは舞台裏。
激しい雨風の音が鳴り響き、
舞台の表側では兵士たちが叫びながら動き回っている。
僕は、自分が登場する“出ハケ口”の前に立ち、
登場するキッカケとなるその台詞を待つ……。
今川の兵士「奇襲じゃー!! 織田が攻めてきたぞー!!」
今川義元「な、な、何!? 奇襲じゃと!!? やりおったな……、織田信長!!」
出ハケ口から舞台の上に足を踏み入れた“わし”は、
奇襲に怯える今川義元に向けて、こう言うてやったのじゃ……。
織田信長「今川義元、その首、頂戴つか奉った!!!!」
≪終わり≫
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