チーム天狼院

ダメ就活生だった7年前の自分が書いた文章が古いUSBから出てきて爆泣きしてしまった《川代ノート》


 

 

 

 

 

記事:川代紗生(天狼院スタッフ)

 

なんだ、この43ページもあるファイル。

リモートワークで重くなったPCを整理していたときだった。古いダウンロードファイルやいらなくなったソフトを削除しているとだんだんスイッチが入ってきて、もうついでに古いUSBのデータも整理しちゃおうと思い至った。ついさっきのことだ。

昔書いた記事や留学時代の写真まで、とくに整理せずに古いファイルがまるっとぶち込まれていた。こりゃカオスだな、とひとり呟きながら「ブログ更新用データ」と書かれたフォルダを開いてひとつひとつ中身を確認していると、ずいぶんと開くのに時間がかかるWordファイルが出てきた。

「なんだこれ、こんなの書いてたっけ?」

よくよく見てみれば、43ページにもわたってびっしりと文字が敷き詰められている。

具体的な時期までははっきりしないのだが、どうやら大学4年生か、社会人一年目ぐらいのときに書いたものらしい。それか、就活をちょうど終えたくらいのころだろうか。ダメ就活生だった私は、受けた会社にことごとく落ちまくり、むちゃくちゃに落ち込んでいた。そのときの思いをバーッと吐露した文章だった。

どんなことを考えていたんだろう、どうせしょうもないことで悩んでいたんだろうなと思いながら、軽い気持ちで読んでみることにした。

 

 

 

 真夜中二時半。

 

 人気のない真っ暗な道路に、街灯と信号の赤い光だけが反射する。きこえてくるのは、かすかにふく風の音と、遠くを走るバイクのエンジン音と、むせび泣く自分の口からもれる嗚咽くらいだ。着古したグレーのスウェットが、足を一歩一歩進めるたびにアスファルトをこすっていたが、そのときのわたしに、そんなことを気にしている余裕は、もう残っていなかった。

 

 わたしは、ただ、就活なんかこの世から消えてなくなってくれと、心から願っていた。

 

そして、寒さでしびれてちゃんと回らない頭で、就活がはじまったばかりの頃、先輩たちが言っていた言葉の意味を、自分がここまで苦しんでいる理由を、わたしは考えていた。

 

「就活で成功するやつっていうのは、だいたい、就活を楽しんでる人なんだよ」

「就活って、面白くない? 考えようによっては、自分を試せる最大のチャンスだよ」

「きちんと自分のことを考えられる最後の機会かもしれないんだから、楽しまないと損だよ。ここを乗り越えればものすごく成長できるんだし。就活を全力で最後まで頑張れるか頑張れないかで、今後どれくらい上にいけるかも、変わってくると思う」

 

グーグル、三菱商事、NTT東日本、リクルート、ゴールドマンサックス、トヨタ自動車、講談社、日テレ、電通。

名の知れた大企業の内定をいくつも獲得した、わたしよりひとつ歳上の先輩たちは、楽しそうに語っていた。同じ大学生のはずなのに、就活を乗り越えたというだけで自分よりも大人に見える。

 

就活生なら誰もが、合同説明会に参加すると思う。真っ黒で味気ないリクルートスーツを着て、各企業のブースと学生とパンフレットを配る人事部員でひしめき合う会場で、一日に何社もの説明を受け、自分に合いそうな会社を探す。モラトリアム終了後の自分の居場所を見つけようと試行錯誤する、はじめの一歩目だ。

 

一年と少し前、わたしもその大学生の大群のなかにいて、履きなれない皮のパンプスに足を痛めながら、いろいろな企業のブースを見てまわっていた。まだ、社会にどんな業界があるのかすら把握していない頃のことだった。

 

その合同説明会では、各企業のブースだけでなく、先輩のアドバイスがきけるブースも設置されていた。なかには椅子がほぼガラ空きで、閑古鳥が鳴いている企業もあるというのに、有名企業内定者の話をきけるブースは、パーテーションからはみ出すほどぎゅうぎゅうに人が集まっていた。みんな一様に、うんうんと首を上下に動かし、小さなノートに必死でメモをとりつつ、先輩の話をきいていた。

 

「内定」の文字とともに、誰もが知っている大企業の名前がずらりとスクリーンに並ぶ。その前で、マイクを持った先輩たちは、楽しそうに就活のときの思い出を語っていた。面接では何を話したか、ESには何を書いたか、志望動機で大切なことは何か、学生時代には、何をしていたのか。

「たいしたことしてないんですけどね」と謙遜するものの、内容は、シャッター商店街を復活させるプロジェクトに、千人規模の大イベントの運営に、アルバイトで学生ながら社会人にも劣らないほどの数字を出して表彰された経験など、めまいがしそうなほど「たいしたこと」ばかりだった。そういう経験を「普通のことだけど」と前置きできるような人が、きっとエリートとして一流企業を支えていくビジネスマンになるのだろう、とわたしは思った。

 

先輩たちの話し方は簡潔で、わかりやすくて、要点がつかみやすくて。たしかに、社会に出ても仕事ができるのであろうことが、直感的にわかった。何が大事なことなのかがすぐにわかって、どのタイミングで集中すればいいのかがわかる。きいている側が飽きないように、合間合間に笑いもとる。完璧だった。縦のストライプが細く入ったスーツをぱりっと着こなしている彼らに、いまだおろしたての真っ黒のスーツに着られている感じがぬけないわたしたちは、羨望の目を向けていた。

 

あんな風になりたい。

1年後、あんなふうに後輩にかっこよくアドバイスできている自分でありたい。

 

おそらく、ここにいるほとんどの人間が、同じことを考えているであろうことを、わたしは感じ取っていた。

 

そのブースでは、先輩が自分の就活体験で学んだことをひととおり話したあと、就活生からの質問に答える時間があった。

 

「それではですね、何か質問がある方は挙手をお願いいたします」

 

司会の人がマイクをとおして促すが、一瞬の間が空く。みんなちらりとお互いの顔を見合わせる。ぱっとなにも思いつかなかったわたしは、必死で質問を考える。辛いときはどうやって息抜きをしてましたか、面接で落ちて自信をなくしたらどうしたらいいと思いますか、面接で一番意識したことはなんですか、ていうかぶっちゃけ、どんなことを話せば面接官にウケるのでしょうか。ありきたりな質問が浮かんでは、結局は口から出て行かずに喉の奥で消えていった。こんなに誰でも思いつくような質問はだめだ、と、おそらく100人前後はいるであろう、周りにいる就活生の大群を見やり、思う。うしろを振り向き、ブースの外にもちらりと目をやると、真っ黒の髪とスーツがひしめきあっている。

 

だめだ、無理だ。

 

こんなに大量のライバルたちのなかで、マイクを通してありきたりな質問なんてできない。まして、すごい企業に内定をもらったすごい先輩の前だ。面白いと思ってもらえれば、ここで何かコネが作れるかもしれない。それならいい質問だと、鋭いやつだと思われる質問をしなきゃだめだ。ありきたりでも、はじめに思いついた質問こそ、純粋に知りたいことだったかもしれない、という仮定を、わたしの下心は無視して、先輩に「ウケる」質問を考えようとする。

まるで、いまここで、自ら面接されにいっている気分だった。まだ就活ははじまったばかりだというのに。

 

けれどそうやってわたしがうだうだと迷っているあいだに、一番前に座ってうんうんと熱心に話をきいていた男の子が、はい、とまっすぐに手をあげた。

 

「貴重なお話、ありがとうございました。◯◯大学の××ともうします……」と、誰もきいていないのにわざわざマイクを通して、有名な大学名と自分の名前を言い、彼は少し震えた声でどもりながら話をする。

 

「いろいろな企業を見てきて、自分が将来何をしたいかもだんだんわかってきたんですけれども、いま、ぼくは、自己分析をしていて、面接で何を話すかもだんだん、見えてきたような気がするんですけれども。それで、あの、ぼくの、聞きたいことといたしましては」

 

でた、とわたしは小さくつぶやく。緊張している彼の口から出る、就活生特有の嫌な口癖。「いたしましては」って言っておけばビジネスマンっぽいとか思ってんじゃねーぞ、と、長時間ヒールでの立ちっぱなしにイライラしていたわたしは、思いっきり心のなかで毒を吐いた。

 

「あの、自己分析というのは、いつごろまで続ければいいものなのでしょうか」

 

そう彼は質問をした。なんだ、よかった。それをきいてわたしはほっとしていた。でもそんな自分のいやらしさには、気が付かないふりをする。

はい、それでは先輩方にお答えいただきましょう、と司会者がマイクをそちらに向ける。そうですね、と外資系企業やコンサル会社、ぜんぶで約20社から内定を獲得した長身の男の先輩は、答える。

 

「自己分析に関しては、面接したり、企業研究を進めていく中でまた、新たに見えてくるものもあると思いますし。企業によって自分の見せ方も変わってくるでしょうから、僕は、就活が終わるまで続けたほうがいいと思いますね」

 

と彼が胸をはって言うと、わたしの前にひしめく何十もの黒い頭が一斉に下を向き、ボールペンでメモをとる。そこらじゅうで、スーツがこすれる、ざっという音がした。

 

その光景を見て、ばかみたい、とわたしは声に出さずにつぶやいた。

 

自己分析は、就活が終わるまで続けるべきって、おかしいんじゃないの。

自己分析ってつまり、自分がどんな人間かじっくり考えることじゃないの。

そんなの大昔から、子供の時からやってるし。ていうか、就活のときだけで終わることでもないじゃん。

人生かけて、一生をかけてやるもんじゃないの? 自己分析って。

 

「自己分析は、おそらく、就活だけじゃ終わらないことで。一生涯かけてやっていくものだと思います」

わたしは、彼に、そう言ってほしかったのだろうか。

どうだろう。わからない。

けれどなんだか、拍子抜けしてしまったのかもしれない。そんな風に簡易的に自己分析を捉えてしまうような薄っぺらい人が、こんなにたくさんの一流企業の内定を手に入れられるのか。そういう人が必要とされるのが、この社会なのか。

ビジネスっていうのは、イヤな世界だな、とわたしは思った。そしてわたしは気がつき始めていた。この就活という戦争のなかで使われる「自己分析」という言葉は、「自分を深く見つめ直し、本当の自分を見つける」ことではなく、「面接を受ける企業に合う自分の見せ方を考える」ということなのだ、と。

 

「同じ出来事でも、話し方や切り口によって、全然違う話にきこえますから。その企業によって、違う切り口を見つけていくのが、面接のコツだと思います」と、遠くで先輩が話している声が、むなしくわたしの耳に響いていた。

 

 

就活も解禁から一ヶ月もたつと、合同説明会ラッシュも落ち着いてきて、自分の興味のある企業の個別説明会に参加することが増えてくる。

合同説明会でもらった大量のチラシやパンフレットを選別しながら、どこの企業の説明会に行くのかを悩みながら考える。圧倒的成長を体感せよ、自主性のある人しか募集しません、長い歴史を持つ企業で働きませんか……。ものすごい量の文字が目に入っては、一瞬で消えていくが、いまひとつ、ぴんとくる企業はない。軽く100は超えているであろうチラシを選別する作業は、三年前の大学一年生のときに体験した新入生勧誘合戦を思い出させるが、あの頃のわくわく感は、今のわたしにはまったくなかった。大学に入りたての18歳の頃は、これからどんなサークルに入ろうかと、いろんなチラシを見るだけで楽しかったのに、今、その対象が会社に変わったというだけで、ものすごく憂鬱な気分になるのは、どうしてだろう。

 

さすがに目に付いたすべての企業の説明会にいくわけにはいかないので、結局いくつかに絞り、インターネット上でマイページを作成し、説明会に予約する。ノートパソコンの右上のブックマーク欄には、企業の新卒採用のページばかりが増えていく。わたしは予約した日時をスケジュール帳のカレンダーに記す。

 

授業以外、ほとんどの時間が説明会で埋められていた。それから、赤い文字でならぶ、「ES〆切」の文字。カレンダーのうしろの方からはぽつりぽつりと、面接も入っている。いよいよはじまるのだ、就活が。

なんだか信じられない気分だった。いつかくるとはわかっていても、どこか他人事のように捉えていたのかもしれない。いつかやるんだろう、いつか頑張らなきゃいけないんだろう、でもまだ、今じゃない。まだ時間はある。将来のことなんて、今決めなくても、そのときがくるまでに決めればいい。焦ることはない。

そう思っていたはずなのに、その「いつか」は、案外、想像よりもずっとはやく、やってきた。

 

子供の頃は、将来やりたいことや、自分がどうなりたいかなんて、大人になったら、勝手に決められるものだと思っていた。

お花屋さんになりたい。ケーキ屋さんになりたい。アイドルになりたい。絵描きさんになりたい。作家になりたい。

夢なんて、大人になったらやってみたいことなんて、腐るほどあった。無限大に思いつくことができた。保護者の許可がないと何もできない状況下ではなく、自由と、時間と、お金があれば、どんなことができるだろう。あんなことがやりたい、こんなことがやりたい。いくらだって思いつけた。やりたいことがありすぎて、むしろ、何を諦めるかを考える方がずっと、難しかった。

 

アイドルになりたいけど、でも、そしたら、忙しくなって、お絵描きができなくなるかも。

雑貨屋さんをやりたいけど、でも、ケーキ屋さんもやりたい。そのふたつを同じ場所で売ることは、できないのかな。

文房具がすごぐ好きだから、自分がほしい文房具が作れるように、デザイナーになりたいけど、でも、その文房具を、お客さんに売るのも、自分でやりたい。

 

あれもやりたい、これもやりたい。

ああいう自分になりたい、こういう自分になりたい。

 

やりたいことはいくらでも思いついた。こんなにたくさんやりたいことがあるなかで、何かひとつに絞れるだろうかと、そればかりが心配だった。大人になったら、決められるんだろう、きっと。今あるたくさんの選択肢や、夢のなかで、これだ、というものが見つかるのだろう。そう思っていた。

 

でもいざ、その「いつか」がやってくると、わたしは結局、やりたいことが何も思いつかなかった。何をやりたいんだろう。何をやればいいんだろう。あれほどたくさんあった「なりたい」「やりたい」という願望は、知らないうちに消え失せて、気が付いたら、「やりたくない」ことばかりが、心のなかにふりつもっていた。

 

就活なんて、やりたくない。

仕事したくない。

社会に出たくない。

空からお金がふってくればいいのに。

一生、遊んで暮らせればいいのに。

 

現状に満足してはいないのに、その状況を打破する努力はしたくなくて、結局ただ、やりたくない理由ばかり数えて、気が付いたら、将来自分が何をやりたいのか、まったくわからないまま、就活をするはめになった。

 

年を重ねるにつれ、成長するにつれ、徐々に、できることが増えて行く。知識が増えて行く。いろんな情報を手にし、そして、それを自分で使用できるようになる。

でも年齢を重ねるのと反比例するように、どんどん、やりたいことが減っていった。子供のころに夢見ていたことなんて、所詮、夢にすぎなくて、ケーキ屋さんになりたいだの、絵描きになりたいだのといえば、まわりから「イタいやつ」扱いされるということが、わかりきっていたからだ。

 

現実見ろよ。

ちゃんと就職して、安定した収入を得るのが、一番幸せだろ。

いい歳して、夢ばっかり語ってるやつって、本当イタいよな。

 

見えない誰かの批判する声が、想像の中で、わたしに語りかけてくる。

 

そういうことをぐるぐると考えると、わたしは結局、自分のやりたいことなんて、なにも浮かばないのだった。ただ、幸せになりたいということだけが、わかっていた。それだけだった。

 

わたしは何のために就活をしているんだろう。

何のために働くんだろう。

何のために、会社を選ぼうとしているんだろう。

わからなかった。

 

昔はただ、「やりたい」と思うことに、具体的で、明確で、出会ったばかりの他人を納得させられるような理由なんかなかった。

ただ、好きだから、がんばりたい。

好きだから、やりたい。やりたいから、がんばりたい。それだけだった。

理由なんてきかれても、だって好きなんだもんとしか、言いようがなかった。ただ、感情が、自分の心のなかの感情が、やりたいと叫んでいるのだと、それだけなんだと。

 

いったい、いつから。

 

いつからわたしは、理由がないと、頑張れなくなってしまったのだろう。

いつから、努力をすることに毎回、理由を必要としていたのだろう。がんばらなければならない理由ばかり、一生懸命探そうとしていたのだろう。

 

何のために────何を楽しみに、就活を頑張ればいいのだろう。

 

「就活で成功するやつっていうのは、だいたい就活を楽しんでる人なんだよ」

 

超狭き門をクリアした先輩たちは、そう言っていた。それを聞いている就活生たちも、うんうんと頷いていた。それが事実であるとみんな認めていた。みんな納得しているように見えた。

 

でも────でも、本当にみんな、納得していたんだろうか。

 

だとすれば、何に納得していたんだろうか。

就活なんて、楽しもうと思って本当に楽しめるものなんだろうか。

 

わからない。わからない。わからない。

 

わからないよ。

自分のことも、みんなのことも、社会のことも。

何もわからないよ。

 

そういうことを考え続けると、背筋をぞわっとなでるような寒気と、心臓が一瞬止まるような浮遊感が襲ってきて。

そして、自分が就活を楽しめていないという事実がこわくて、不安でおしつぶされそうになって、わたしは、それに気がつかなかったふりをして、付箋とプリントでぱんぱんになった手帳を、むりやりとじた。

 

 

はじめての面接の日は、大雪だった。

パンプスに冷たい水が染み渡り、足先が冷える。末端冷え性持ちのわたしはそれだけで気分が落ちる。はじめての面接の日に大雪だなんて、幸先悪いなあ、と思った。

集合時間の10分前にその出版社の入り口につくと、わたしと同じように、前髪をぴっしりとヘアピンでとめているリクルートスーツの女の子が、ベージュのトレンチコートを折りたたみ、ハンカチで肩についた雪をはらっていた。

一瞬その子と目が合い、わたしは軽くおじぎをして、折り畳み傘をしまい、マフラーを鞄のなかに入れる。この子と一緒に面接を受けるのかもしれない。わたしは気がつかれないように横目でその子の頭からつま先まで観察する。化粧っ気がなく、地味な顔立ちだ。髪型もとてもおしゃれとは言えず、後頭部の髪のはねはひどく目立っていた。わたしは内心で、遠慮することなく、ほっとする。それから、自分を励ますように、つぶやく。

ああ、よかった、イケてない子で。これくらいなら、わたしの方がずっとましだ。

 

ホワイト企業というネットでの評判には似つかわしくなく、その会社の面接は、まるで監獄のような地下室の一室で行われた。窓もなく、寒くて湿気でじめじめとした部屋に、愛想のないスツールパイプが等間隔に5脚おかれていた。折り畳み式のミーティングテーブルがぽつんと真ん中にあり、その向こう側にしかつめらしい顔をした中年男性が3人、座っていた。

 

「どうぞ、おかけください」

 

無機質で何の感情も読み取れないような声がひびく。

口から心臓がとびでそうだ、という表現を、大袈裟だと思っていたけれど、わたしはそのときはじめて、ほんとうに、それを実感した。心臓だけじゃなくて、胃腸も、肺も、肝臓もぜんぶ、ずるずると口から出てきそうだと思った。口のなかががくがくと震えていた。目はかわき、コンタクトレンズが眼球にはりついていた。面接の前に目薬をさしてこなかったことをひどく後悔した。

 

「それではひとりずつ、1分程度で自己紹介をお願いいたします」

 

じゃ、こちらの方から順番に、と、無表情な面接官がわたしを指差した。びくり、と小さく肩がはねる。わたしは一番はじっこの席になるような番号をひいてしまった自分の運のなさを呪った。

 

「はい、早稲田大学、国際教養学部からまいりました、川代紗生ともうします。わたしは学生時代……」

 

まいりました、って、早稲田代表みたいな言い方、変かな、と不安になりながらも、それ以外の言い方が見つからない。小学生の頃から、自己紹介は嫌いだった。始業式やクラス替えのたびにやらされる自己紹介。そもそも短い時間のなかで、相手の印象に残るようなことを言えという方が無理な話だと思った。だって自分にはさして印象に残るような特徴もなにもないのだ。短く簡潔に表現なんてできない。

結局とくに面白いことも言えないうえにどもりまくったわたしのさんさんたる自己紹介が終わり、次の人に回される。

 

東京大学からまいりました、

わたしは、学生時代にラグビー部に所属しており、

子供の生活支援のボランティアをしており、その経験を社会でも生かしたく御社を志望し──。

 

わたしの左に座る三人は、明るくとおる大きな声で、自分のことをはきはきと話す。

わたしはそれを、祈るような想いできいていた。

 

お願い。

お願い。

お願い。

 

もちろん、彼らの幸せなんか、成功なんか、祈るわけが、ない。

むしろ、この状況でそれを祈れるのなら、どんなによいだろうと思った。

 

表面上は、興味深そうにとなりの人の話をききながら、心のなかでは、ただ、くだらないことを、いやらしいことを、祈っていたのだ。

 

お願いだから、失敗して。

 

どもって。はきはきと話さないで。とくに面白くないことを言って、場をしらけさせて。印象に残らないことを、言って。お願いだから。

 

ひとりひとり、次の人に順番がまわるたびに、わたしは、その人の失敗を願った。面接官からへんな目で見られることを願った。まわりが見劣りすることによって、自分がよく見える状況を願った。

 

でももちろん、誰も失敗はしなかった。

わたしの三つとなりに座る男の子が、短い時間内で、軽く冗談をいい、面接官が笑う。

うわあ、もう最悪だ、とわたしが思うのと同時に、一番左端にすわる、はじめに入り口で出会った女の子が、話し出した。

 

「わたしは、大学で文学を専攻しており、古典文学について研究してまいりました。わたしにとって非常に興味深かったのは……」

 

透きとおっていて、よくひびく、綺麗な声。

首をまげて彼女を横目に見ると、目をきらきらと輝かせて、自己紹介をしていた。短い1分間のなかでも、その文学への情熱が伝わってくる。

灰色のデスクの向こう側にいる大人たちが、少し、ほんの少しだけれど、彼女の方にぐっと体を乗り出すのがわかった。

彼女が、彼女のかがやいた二つの目が、この面接官たちの心をつかんでいる。

純粋にくもりなく、自分が学んできたことへの情熱を語る姿はかっこよく、美しく、そしてイケているように見えた。この子は受かる、と直感的にわかった。集団面接というのは、そういう働いて欲しくない直感が、働いてしまうときがあるのだ。

 

だって、全然、ダサくなんかなかったからだ。地味なんかじゃなかったからだ。

だって、それに、何より、わたしが面接官ならこの子をほしい、と、強く思ったからだ。

 

何も伝えたいことがうかばない、自分なんかよりも……一緒に面接を受けるほかの学生の、自分よりもだめなところばかりを見つけようとしている、自分なんかよりも。

 

それは、変えようのない、事実だった。

 

 

「貴殿の今後一層のご活躍を、心よりお祈り申し上げます」

 

大雪の日に受けた会社からはもちろん、「お祈りメール」が届いた。

わかっていたことだけれど、はじめてのお祈りメールは、やっぱりきつい。

「こっちの活躍なんて祈らなくていいから、そんな暇あるならなんで面接落とされたのか、フィードバックしてよって感じだよね」と、面接の前に受けた授業で、うしろの席の子たちが話しているのが、耳に入った。

たしかにそうだよね、と心のなかで、知らない彼女に相槌をうつ。

就活は、受験と違ってこういうところがきついよなあ、とぼんやり思う。

受験のときは、自分がいまどの場所にいるのか、あとどのくらいがんばれば希望の大学に入れるのか、いつまでがんばればいいのか──そういうことが、だいたいいつもわかっている状態だった。模試を受ければ、自分がほかの学生に比べてどの教科が何点くらい足りていないとか、あとどのくらい単語を覚えればいいとかもわかったし、そもそも、期限が決まっていたから、全力でがんばることができた。とにかく、二月まで頑張れば、結果はともかく、この苦しい状況からは解放される。何ふりかまわず、とにかくひたすらに誰よりも勉強する気合があれば、試験では合格できる。

でも、就活は違った。あとどのくらいがんばればいいのかも、自分がほかの学生に比べてどのくらいの位置にいるのかも、自分がどの会社に合っているのかも、わからない。勉強さえすれば合格できる受験とは違って、面接さえ受けまくっていれば内定がもらえるわけでもないし、何ヶ国語もしゃべれるからといって必ずしも外資系企業に入れるわけでもなければ、一般常識をたくさん持っていればいいわけでもない。ひたすら就活に打ち込んで、行きたい企業の内定を勝ち取る学生もいれば、ほどほどに飲みに行ったり息抜きしつつ就活をする、そのいい意味でのユルさを買われて内定をもらえる学生もいる。企業は世界にごまんとあり、自分とぴったり合う会社に必ず出会えるのかといえば、そうではない。

 

そして、就活は、自分のどこをどう改善すれば内定がもらえるのか、教えてもらえるわけではない。ただ、自分は不採用だったという事実だけが、心のなかにぽっかりと浮かんでいて、それをどう扱えばいいのかもわからないまま、次の会社に挑戦するしかない。「なお、合否に関する問い合わせは一切お答えいたしかねます」という無情な文句を盾に、就活生が企業に説明を求める機会は失われる。

 

いや、わかる。わかっている。何千人もの学生を落としている企業側が、いちいち全員に、あなたのこういうところがうちでは合わないと思ったんですとフィードバックしている余裕なんて、あるはずがないし、そこまでしてやる義務もないだろう。でも、そういう企業の事情を理解しているのと、心でちゃんと納得できているかどうかというのは、別の問題なのだ。ただ「残念ながら、あなたは不採用です」という通知がくるのでは、これからどうすればいいのかがわからない。自分がいいと思った、そしてみんながいいと思っている一流企業や大企業から不採用通知をもらって「なーんだ、相性悪かったんだな。仕方ない仕方ない」ですませられるほど、人間できちゃいないのだ。

どうしてだめだったんだろう、何がいけなかったんだろう、もし、これから受けるところも落ちたら────。

 

そういうことを考えても仕方がないし、いくら自分で考えても答えが出ないのはわかっている。きっとそういう場面で悩まずにいられるようなポジティブな人こそ、社会では求められているのだろうということもわかっている。

 

けれど、仕方がないのだ。自分の感情をきちんとコントロールできるほど、まだわたしは、大人になりきれない。いくら自分自身に言い聞かせようとしても悩むし、まるで社会全体から必要とされていないかのような錯覚に陥る。でも、どこかで自分を必要としてくれる場所があるはずだと、必死にもがいてもがいて、自分を奮い立たせて、なんとか面接に行き続けなければならない。

一通もらっただけでこんなに大きなダメージをくらう「不採用」の現実を、これからいくつもらわなければいけないんだろう、とその会社のお祈りメールをとじ、不安になりながら、思った。

 

 

就活がはじまってから約三ヶ月が経った、二月の終わり。みんなが手当たり次第にいろいろな会社を受けているなか、わたしは反対に、受ける企業を、主に出版と広告と教育の三つの業界に、絞っていた。

大企業に行ければなんでもいいとばかりに、事業内容、ジャンル、社風問わず、受けまくる彼らのようには、どうしても自分は頑張れないと思ったからだ。

就活も佳境に入ると、授業でスーツ姿の同級生を見るのも、珍しくなくなった。パーマをかけていた明るいアッシュの髪を、不自然なほど真っ黒にして、おでこが見えるくらい短く切りそろえている友人を見ても、驚かない。どの席に座っても、四方八方から耳に入ってくるのは、学問の話なんかよりも、就活の話だった。別に他人の就活事情なんてききたくもない、と思っているはずなのに、結局は聞き耳をたててしまう。

 

どれくらい受けてる?

ESは100社くらい出した!

次が最終面接で……

あの子はもう内定もらったらしいよ!

えー、すごいね。わたしもはやく安心したいな……

 

何気ない会話だけでも、彼らがお互いに、お互いの状況を探り、どちらの方が進んでいるのかいないのか、判断しようしているのがわかる。友達同士ながらも、水面下で、張り合っている。焦ったり、安心したり。

 

ねー、ES何書いてる?

え、わたし、かなり盛って書いちゃってるよ!

そうだよねーわたしも! 本当は参加しただけのイベント、運営してたことにしちゃってるし……

それくらい普通だよ。わたしもTOEICの点数50点くらい盛ってる!

まあばれなきゃ平気でしょ。内定もらっても、入社までにその点数とればいいんだしさ……

 

ばかみたい、とわたしは、つぶやく。

ばかみたいだ、こんなの。本当の自分とは違う自分を作り上げて、かっこよくて受けがいい自分を作り上げて、面接官を騙して、それで大企業の内定をもらおうとしているずる賢い学生もばかみたいだし、そういう学生を受け入れる会社側もばかみたいだし、こういう風習をそのまま受け入れている社会全体も、ばかみたいだと思った。

 

どうして嘘がつけるんだろう。どうして本当ではない作り話を、事実のように語れるんだろう。どうして、本当の自分ではない偽りの自分を評価するような会社に入ろうと思うんだろう。

嘘をついてまで、認められたいのか。地位を手に入れたいのか。それともそうやって、何事もないかのように平気で嘘をつけるような人間が、この社会では必要とされているのだろうか。

 

あの有名企業の先輩たちが言っていた、「たいしたことのない経験」。アルバイトでも社員以上に大きな売り上げを出したとか、シャッター商店街を復興させるのに成功したとか。そういう経験もぜんぶ、うしろに座る彼女たちが話すように、「盛って」いる経験なのだろうか。「たいしたことない」ことを、「たいしたこと」のように話すのが、面接のコツで、「たいしたことない」ことがどうすれば「たいしたこと」に見えるのかを考えるのが、自己分析なのだろうか。

 

そういうずるいことをする人間が、この世界では、認められるのか。TOEICの点数を上乗せしておいて、なんの罪悪感も覚えずに、平気で、ばれなきゃいいじゃん、なんて言うような人のことを、この世界では、「要領がいい」と呼ぶのだとしたら、わたしは一生、要領なんかよくならなくていいと思った。

 

 

三月になると、怒涛の面接ラッシュがやってきた。1日に2社の面接を受けることも、ざらにあった。自分が好きなブルーのワンピースじゃなくて、毎日、毎日、黒いスーツを着なければならないことに辟易していた。ただ、体を引きずって、面接に行き、きかれたことを話すだけの日々が続く。

 

朝早く電車に乗って出かけ、面接を受け、合間にカフェでエントリーシートを書き、また別の会社にいって面接を受け、適当にコンビニで食べ物を買って夕食をすませ、寝る。また次の日、朝早くにでかけていく。休む暇もなく、常に「ああはやくES書かなくちゃ」「面接の準備しなきゃ」という焦燥感におそわれながら、ふと、一瞬立ち止まると、われに返ったように、自分が遠くに感じた。

 

なんだか、どの会社に入るかを選ぶのは自分のはずなのに、意思がなく、ただベルトコンベアにのせられている無機物になってしまったような気がした。横一列にずうっとならぶ大人たちが、いろいろときいてきたり、わたしの体や頭を点検したりして、いちばん最後に、「採用」か「不採用」かの、二つのスタンプを持った人が、待ち構えているのだ。そしてだいたいにおいて、わたしのおしりには「不採用」のスタンプが押され、ゴミ箱にぽんと捨てられ、そのベルトコンベアから降ろされる。わたしのうしろにいた、「採用」のスタンプを押してもらえた人が、うやうやしく別のベルトコンベアにのせられていくのを、ただわたしはうらめしげに見ることしかできず、また知らないどこかに放り出され、新しいベルトコンベアを探して、乗り直すしかない。

会社を絞っているわたしでさえこんなにもしんどい思いをしているのに、どうしてみんなは50も100も受けられるんだろうと、不思議だった。

 

面接は慣れだ、とはよく言うけれども、やっぱりその通りで、面接を受ければ受けるほど、緊張も収まり、落ち着いて自分の話ができるようになる。話すのにも、緊張はしなくなる。

 

「あなたは、うちの会社で何をしたいんですか」

 

そういう質問に答えるのにも、次第に、頭で考えなくても口から勝手に言葉が飛び出すようになった。口が、舌が、からだ全体が、言葉を覚えているのだとわたしは思った。

自分は何をしているのだろう。何がしたいんだろう。このままで、いいのだろうか。

回数を重ねるごとに、話すのはうまくなっていくのに、面接を受ければ受けるほど、ますます、わからなくなる。自分の口から出る言葉が本心なのか、うそなのか、わからなくなる。無意識に、面接官に受けそうな言い方になっているのも、あとあと考えて思い出すのに、いざ本番になると、自分らしく話せない。

 

学生時代にやってきたこと。

ほこれること。がんばったこと。

あなたの長所はなんですか。

自己アピールしてください。

自分を動物に例えるとなんだと思いますか。

志望理由を教えてください。

うちの会社のどんなところがいいと思いましたか。

これまで、失敗したな、という経験は、なんですか。

 

面接でよくきかれる質問が書かれた本を読み、そして、解答例を見る。

 

失敗したことをきかれたときは、そのエピソードを話すだけでなく、その失敗をどう生かしたかを言いましょう。

何事も結論を先に話し、理由を後から言うのが基本です。わかりやすく、簡潔に話しましょう。

相手が何を知りたいのか、くみとって、相手が知りたい情報を提供できるような答え方をするのがコツです。

 

もう、自分がどうすればいいのか、どうして就活をしているのか、どうやってモチベーションを保たなければならないのか、わけがわからなくて、なんでもいいから手がかりがほしくて、何冊もの就活対策本を手にした。

面接にも、グループディスカッションにも、いくつもの解答例があって、一般受けする答えがあって。

 

よく人事部の採用担当の人は、「最終的にはフィーリングですね。結局、この人と働きたい! と思うかどうかです。どんなにスペックが高くても、一緒に働きたいと思わなければ採用しません」と言う。

でも、面接への答え方には、いくつものテンプレートがずらりと並んでいて、決まりがあって、「こうするべき」があって。最終的に必要とされる、感覚的なものへの解答は、どうすれば相手の「フィーリング」を操れるのかは、まだこの世界の誰も、見つけられていないようだった。

 

どの就活対策本にも、わたしの求めていたヒントは、書かれてはいなかった。それは、たんなるテクニックの羅列にすぎなかった。わたしは、今さら、ひどく後悔した。ああ、やっぱりあのとき、どんなにありふれた質問だったとしても、先輩にきいておくべきだったのかもしれない、と。

 

どうやって頑張ったらいいの。

どうすればいいの。

どうしたら、正解なの。

 

そうやってもやもやと疑問ばかり増えていき、それでも、終わりが来るまで、面接を受けに行くしかない。

その終わりが、いつ来るのかも、わからないのに。

 

 

運よく役員面接まですすんだ会社があった。出版社だった。

そこそこ、受けた感触もよく、このままいけば、内定がもらえるんじゃないかという予感があった。

緊張しながら、失礼します、とドアを開けると、わたしひとりにたいして、面接官が、ずらりと5人。

真ん中の人事部長らしき人が主にしゃべり、まわりの4人は、じっとわたしを、無表情に見つめている。手元を見ると、わたしの履歴書がコピーされ、何かを書き込まれているようだった。

品定めされている、とわたしは思った。

さまざま、質問をされる。

 

これまで自分がやってきたこと。

長所と短所。

これから、何をしていきたいか。

何をやりたいか。

どんな仕事をしたいのか。

 

就活によくある質問ばかりで、わたしは内心ホッとしながら、落ち着いて、準備してきた答えをいう。

このままいけば、もう、大丈夫かもしれない。

 

「では、最後に」と、真ん中の、初老の面接官が、真剣な目をして、わたしに問いかける。

 

「もし、弊社が、あなたに内定を出したとしたら、あなたは、何パーセントの確率で、弊社に就職なさいますか」

 

突然、落ち着いていたはずのあたまのなかが、まっしろになった。

息が止まる。まばたきができない。心臓をめぐる血液がどくどくと音をたてる。

 

「あの……それは」

 

百パーセントだと言え、と、わたしの理性が、しきりに叫んでいる。

 

もちろん、百パーセントです。

 

そうたしかに言おうとするのに、口からはでてこない。どうして言えない。どうして言えないの。ねえ。

とても行きたい会社だと、思った。憧れの出版社だ。他に受けていた出版社はほぼ全滅だ。ここで落ちれば、出版社への道は途絶える。自分のやりたいことをやらせてもらえる会社だと思った。きっと自分も、成長できるのだろうと。

 

ここで百パーセントだと言えば、次の最終面接にすすめるかもしれない。

 

ここにいる5人の面接官、全員が、わたしが百パーセントだと言うのを待っているのだということがわかった。

むしろ、それ以外の答えなんて、求められていないのだ。かりに100パーセント以外の答えをするならば、真っ当な理由が必要なはずだった。他に受けている会社があるとしても、面接に来ている限り、「御社に入りたいです」という意思を示している限り、今、この場だけでも、「あなたが一番です」と答えるのが、社会人としての、マナーなのだ。

 

いえ。

いえ。

いえ。

はやく。

 

はやくはやくはやく。

 

わかっているのに。

 

わかっているのに、どうして、答えられない。

 

 

 

 

その出版社の面接に落ちたあと、残るは、広告系の会社だけだった。

わたしはコピーライター職を受けていた。書くことが好きだからという、単純な理由だった。そしてちょうどそのころ、就活と同時並行で、コピーライター養成講座に通っていて、それがとても楽しかったからだ。

コピーライター養成講座というのは、一回二時間の授業が約半年間、ほぼ毎回、名のある現役のコピーライターが授業をしてくれ、提出した課題にフィードバックをくれる。そのなかで優秀な作品を提出した人は金のえんぴつという、上位10人に入った証明をもらうことができる。今、有名なコピーライターたちの多くがこの養成講座出身で、出世するコピーライターは受講生時代には少なくとも5本はえんぴつを獲得していたという噂もあり、みんなその金のえんぴつをもらうことを目指して毎回課題を提出していた。そして最終的に、一番最後の卒業制作で一位の金のえんぴつをもらうのが、この養成講座を受ける人の最終的な目標になっていた。

 

就活と並行して毎回課題をやり、授業に通い続けるのはなかなか辛い作業でもあったが、書くのが好きだったから、わたしは毎回あしげく授業に通い、誰よりも多く、コピーを提出した。

そんな努力が実ってか、わたしは、最後の卒業制作で、受講者二百人中、一位をとることができた。つまり、大賞だ。

なかにはプロのコピーライターも通っているのに、そのなかで就活生のわたしが大賞をとれるなんて、ものすごいことだった。驚いた。まぐれだったのかもしれないが、それでも本当に嬉しかった。

 

けれど、わたしは目標を達成したという喜びよりも、それ以上にずっと、ほっとしていた。ひどく、安心していたのだ。

なぜなら、その経験は、就活で使えると思ったからだ。

 

ほっと、胸をなでおろした。

ああ、よかった。これでようやく、面接でちゃんと話せるネタができた。

 

わたしは、秀でた経験も、能力もなく、自慢できるような実績もないまま、不安なまま、面接を続けていた。まぎれもない、堂々たる一位をもらったことなんか、人生で一回もなかった。ずっと、どべで、だめで、取り柄のない自分が、嫌で嫌で、仕方なかったのだ。

 

もうこれで、本当に、正直に話せるんだ、と思った。

 

いつまでたっても、自己アピールで、無意識に「盛って」話そうとしてしまう自分自身に、気が付かないふりをしなくてもすむ。エントリーシートに書く経験を盛ってしまえと言っていた同級生をばかにしていた自分と、面接で本物以上によく見せようとする自分の矛盾に、苦しまなくてもすむ。

ただ、この事実をそのまま、話せばいい。だって、コピーライター養成講座で、一位だ。努力して得た、一番なのだ。数あるなかから、選ばれたのだ。ようやくアピールできる話が、できた。

 

よかった。

よかった。

これできっと、うまくいく。

大丈夫。

 

 

「わたしは、一見難しそうな課題にたいしてでも、落ち着いてどうすれば目標を達成できるのか、地道に考えられる性格です。先月までコピーライター養成講座を受講していました。コピーを書くのも広告業界のことも知らないただの大学生のわたしがそのなかで上位にくいこむのは難しいことでしたが、毎回、その課題によって、何が求められているのか、どのようなアプローチをすればいいのかじっくり考えました。平均してひとつの課題にたいして二百以上の案を考えるようにし、その結果、卒業制作で一位をとることができました」

 

「そうですか、それはすごいですね」と、面接官は笑顔で言った。

「ありがとうございます」

「大変だったでしょうねえ」

「はい、そうですね、なかなか大変でしたが、どうしても一位をとりたかったので」

「そうですか、そんながんばりは誰でもできることではないと思います。すばらしい。ぜひこれからも、その経験を生かして頑張って欲しいですね」

 

ああ、よかった。

これでようやく、自信をもって、面接を受けられる。

 

わたしはすっきりした気持ちで、おしゃれなオフィス街にあるその広告会社の大きなビルから、外に出た。

これほど、きちんと自分のことを説明できた面接は、そのときがはじめてだった。

 

わたしが受けた、広告会社は、ぜんぶで7社。

わたしは、一度も、ミスをしなかった。

「どうだった?」ときいてきた親に対して、「わたしが落ちたら誰が受かるの? ってくらいうまく話せた!」と自信満々に、伝えていた。

面接官も、うんうんと一生懸命話をきいてくれ、褒めてくれた。わたしの話を心から楽しそうに、面白そうにきいていた。

 

けれど、わたしは、すべての会社に、落ちた。

それどころか、一次面接が通った会社すら、ひとつもなかったのだ。

 

最後の望みの一社が不採用になったのを知ったのは、楽天が運営している「みんなの就活」という就活サイトだった。

訳してみん就とよばれるそのサイトは、わたしの周りのほとんどの就活生から利用されていた。

その理由は、その企業ごとの掲示板があり、そこで就活生同士が情報交換ができるからだった。つまり、いつ合格連絡がきたとか、お祈りメールが来たとか、そういうことを共有できるのだ。

合否連絡は企業によっていろいろやり方があって、合格者と同じタイミングで連絡をくれる会社もあれば、合格者に連絡してしばらくたってから連絡をするところもある。第一波と第二波で二回にわかれて合格者に連絡をするため、受験者をはらはらさせるところもあった。けれど一番こたえるのは、「サイレントお祈り」とよばれる、合格者にのみ連絡をする会社だった。

 

「合格者にのみ、だいたい一週間前後で連絡をいたします」

そう面接の最後に言われたら、はらはらどきどきする毎日を、覚悟するしかない。合格かもしれない。合格じゃないかもしれない。わずかな希望を抱きながら、その一週間を、ただひたすらに待たなければならない────というのはおそらく、インターネットがない時代の話で、いまは、いつでもどこでもネットに、全世界の人とつながれる時代だ。サイレントお祈りが気になって仕方なければ、みん就を見ればいいのだ。いつまでも待ち続けるよりも、みん就で待機していた方が、早いし、確実だ。無駄な期待を持つ時間も減る。

 

とはいえ、その最後の一社の合格連絡を待つのは、まるで地獄のようだった。一時間に一回くらい、みん就を見ていた。

 

もう連絡きたひといますか!?

まだですー、もうどきどきして死にそうです笑

ここってサイレントでしたっけ?

サイレントですよ!

うわー、じゃあここで待つしかないですね笑 こわっ!

 

 

 

自分のメールアドレスと、みん就をだいたい30分おきくらいに見る。まだだれにも連絡がきていないことに、ほっとする。

 

けれど、現実は残酷だった。

 

 

 

きたーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!

やった! もー絶対だめだと思ってたからびっくり

連絡きましたー。嬉しいです。今回って何人くらいなんですかね?

 

 

 

掲示板に続々と書かれる、合格通知を受け取った人々の歓喜の声。もう次の面接はいつかという話をはじめている。

 

二次面接の予約をしなきゃとか、次は個人面接ですねとか、そういう前向きなコメントが、目の前を通過していく。

 

見た瞬間、頭が真っ白になる。

わたしはどきどきして、自分のメールボックスを見る。でも新しくきているのは、リクナビの宣伝のメールと、アマゾンのキャンペーンのお知らせのメールだけだ。

 

なんの意味もないとわかってはいるのに、新着受信メールを更新する。

 

きてない。

何もきていない。わたしには。

 

もうきている人がいるのに。

 

 

 

ここは、第二波はなさそうですねー。くやしいです。

うわあ、絶対大丈夫だと思ったのにな。でも仕方ない、受かった人、頑張ってください!!

もうこないんですかねー? はあ、サイレント、悲しい。相性が悪かったんだと割り切りますT_T

 

 

 

わたしと同じように、不合格の人たちも、もう次を向いている。あきらめて、違う方向を向いている。

 

わたしは、ようやく、受け入れなければならなかった。

 

わたしは落ちたんだ。

あんなに自信があったのに、コピーライター養成講座も一位だったのに、落ちたんだ。

どうして?

どうしてだめだったんだろう。

何がだめだったんだろう。

自分の何が、あの会社に、合っていなかったのだろう。

 

いろいろ、考えた。考えて考えて考えた。

きっと、自信満々に、コピーライター養成講座で得た一位の話を、それをただ大切にあたためてあたためて、そればかりを話していたのが、滑稽で、そして、傲慢だったんだろう。

きっと、わたしが理路整然と、相手を魅了する話し方ができたなかったからだろう。

きっと、わたしの頭そのものが、広告会社に行けるほど、キレる頭じゃなかったんだ。

 

いろいろな仮説が頭にうかんでは、消えていった。

でもいくら考えても、わからない。自分の何がいけなかったのか、なんて。

だって、会社はフィードバックもくれないし、そもそも、不合格の連絡すら、ないのだ。サイレント──沈黙のまま、ただ、わたしは、自分が受け入れられなかったという事実を自分で、受け入れるしかない。そして、自分でただひたすら、自問自答するしかない。

 

ついに振り出しに戻ったわたしは、ただじっと考えていた。

 

何がいけなかったんだろう。何が悪かったんだろう。どうして自分は、受け入れてもらえなかったんだろう。

あんなにコピーライターになりたかったのに、受けたすべての広告会社に落ちた。だめだった。

広告会社だけじゃない。三月も終わりに近づいているというのに、わたしはいまだ、一社の内定ももらっていなかった。

友人のほとんどは、すでに一社は内定をとって、それでももっと行きたい会社があるからと、落ち着いて就活を続けていた。

 

わたしだけ、まだ、何もない。

どこにも受け入れてもらえてない。

この社会の誰も、わたしを、必要としてくれない。わたしが21年間生きて、信じてきたものを、誰も、認めてくれない。一緒だよ、って言ってくれない。

その事実が、寂しくて、寂しくて、たまらなかった。

 

ただ、どこか、どこでもいいから、自分を受け入れてくれる場所がこの世にあるのだと。自分がここにいてもいいのだと、ただ、その証明が、なんでもいいから、ほしかった。

 

10

 

真夜中、二時半。

人気のない真っ暗な道路に、街灯と信号の赤い光だけが反射する。きこえてくるのは、風がかすかにふくひゅうという音と、遠くを走るバイクのエンジン音と、むせび泣く自分の口からもれる、息を小刻みに吸う音くらいだ。

 

わたしは、気がつけば、家を飛び出していた。

寝巻きにしている着古したサークルのスウェットの裾が道路のアスファルトにこすれて、ずっ、ずっ、と音をたてていたけれど、そのときのわたしには、そんなことを気にしている余裕はなかった。わき目もふらずただ、深夜の道路を走っていた。

東京の片田舎の、深夜の道路には、ほとんど車なんて通っていない。人もいない。みんなおとなしく寝ているのだ。家族だって、わたしが家から飛び出しても、誰も気がつかなかった。

世界には、わたししかいないような気がした。

 

どうして家を飛び出したのか、どうして自分がTシャツとスウェットの寝巻きで、ブラジャーもつけずに外を走っているのか、わからなかった。それも真冬の深夜に。

自分の頭がおかしくなったのかと思った。いや、むしろいっそおかしくなればいいのにと思った。頭がおかしくなって、病気と判断されれば、もう就活なんて、しなくてもすむ。

 

わたしは、ただ、就活なんかこの世から消えてなくなってくれと、そのとき、心から願っていた。

 

どうして、就活なんかしなきゃいけないんだろう。

まだ自分のやりたいこともわからないのに。

唯一やりたいと思った、好きだと思った、自分に向いていると思った、広告の仕事にすら、拒否されたのに。

もう希望もなにも見えない中で、わたしは、何をがんばれというんだろう。どうしてここまで苦しい思いをして、自分を否定し続けてまで、面接を受けなければいけないんだろう。

 

おまえなんか、この世にいらないんだよ、と、知らない誰かから、大人たちから、社会から、世界じゅうから、言われているような気がした。

どうして。

わたしはいらないの。

わたしはどこにもいっちゃいけないの。

わたしは必要とされてないの。

必要とされていない世界で、どうやって生きていけばいいの。

 

わたしは、真面目に就活をしているつもりだった。

きちんと自分と向き合ってきた。自分のやりたいことはなんだろうと、自分は将来何をやるべきなのかと、この会社と自分は、どこがどう合っているのかと。

見極めて、エントリーした。

大手ならどこでもいいからといって、100もの会社に応募をしたりなんかせず、本当に受けたい企業だけに絞って、就活をした。

ただみんなにすごいと言われたいから、みんなに人気の企業を受けるんじゃなくて、ネームバリューのある企業を受けるんじゃなくて、自分と向き合って、選んだつもりだった。

自分の経歴を盛って、自分をすごく見せようとなんて、しなかった。正直に自分の気持ちを打ち明けた。どの会社にもいい顔をしたり、会社によって言うことをコロコロ変えたりもしなかった。TOEICの点数を大目に言ったりもしなかった。本当の自分でぶつかった。

 

「あの……95%です」

 

あの、出版社の役員面接で100%と言わなかったのも、嘘をつきたくなかったからだった。100%絶対に実現する未来なんて存在しない。もしかしたら、変わるかもしれない。100%と言えるほど自分がこの企業をなんのくもりもなく、まっすぐに好きだという自信もなかった。今はまだいいかもしれない。でもどこかのタイミングで、自分の気持ちが変わるかもしれない。そういう自分を、偽りたくなんて、なかった。正直でいたかった。うそをついて、受け入れられたくなんかなかった。もしここでうそをついたら、わたしはきっと一生うそをつき続けるだろうという気がした。

うそをつかなければいい会社に入れないというなら、わたしは、それでもいい。正直にぶつかったわたしを受け入れてくれる会社があればいいし、なければ、正直に生きられる方法を考えればいい。

そのくらいの覚悟で、就活をやっていた、はずだった。

 

はずだった、のに。

 

わたしは、こんなに一生懸命、自分の未来と向き合っているのに。

誰よりも自分を、見つめているのに。

なのにどうして、あんな、平気でうそをついて、自分を大きく、すごく見せようとするような人間たちが受け入れてもらえるのに、どうして、自分は受け入れてもらえないの。

ずるい手をつかうような人たちの方が、わたしよりもこの社会では、必要だっていうの。価値があるっていうの? わたしよりも。こんなに真面目に向き合っている、わたしよりも?

 

泣きながら、深夜の道路をただひたすら、走った。

走って走って走って、考え続けた。

どこか遠くで、自分の理性か、アタマか、とにかく冷静な何かが、わたしに向かって、ばかみたい、と言っていた。

 

何熱くなってんの。

落ち着きなよ。

走って何が解決するの。

青春でもしてるつもり?

厨二病かよ。

自分に酔ってて、ばかみたい。

 

冷静な自分と、感情にぐらぐらとゆり動かされている自分と、プライドの高い自分と、ただ寂しいだけの自分──いろいろな自分が、一緒くたになって、わけがわからなくなっていた。

 

ただそれでも、最後に勝ったのは、ただ、悲しいのだと、苦しいのだと叫んでいる、自分だった。

 

走って走って、走り続けた。

白い息が、自分の口からひっきりなしにで続けていたけれど、寒さは一切感じなかった。

気がつけばわたしは、誰もいない、駅までたどりついていた。

 

わたしはまだ、泣いていた。悲しんでいた。自分がひどく疲れていることにようやく気がついて、駅の近くを、ぼんやりと、ゆっくり歩く。

遠くで、わんわんと犬の吠える声が聞こえた。

 

そして、ひとしきり走って、悲しんだわたしがようやく手に入れたのは、わたしは、自分だけのものさしでものごとをはかっていたのだという、紛れもない事実だった。

 

わたしは、思い込んでいたのだ。この就活のなかでは、仕事ができる人間こそ正義であり、優秀で頭がよく、きちんと自分のやりたいことを説明でき、相手を納得させられる力もある、そんな人間が、価値があるとみなされるのだと。そういう風潮は、大人たちはバカだと、信じ込んでいた。

まるで、仕事ができるか否かがこの世ではすべてで、仕事のできないであろう自分自身は、この世のどこからも必要とされていないような、そんな気がしていたからだった。社会では使えない人間として扱われる自分自身の境遇をうらめしく思った。

たしかに、仕事イコール人間そのものの価値だと思う人は、多い。仕事は人生のうちでも大半の時間を占める。無意識にでも、そういう文化が根付いている会社もあるし、もともと、そういう考え方の家庭で生まれ育った人もいるだろう。

仕事ができる、できないでものごとを判断する人もいるし、とくに男の人は、男としての価値を仕事に見出しがちだ。仕事ができる男こそ価値のあるかっこいい男であり、人として価値があると、無意識のうちにそう思っている人も多いだろうと思う。

 

そしてわたしのまわりにいる就活生の大半も、そういう価値観にとらわれていた。

 

「リクルートに内定? めっちゃすごいじゃん!」

「え、あいつ電通受かったの? ぼんやりしてたのに、案外すげーやつだったんだな」

「今度、三菱商事の人と合コンやるけど、くる?」

 

会社名はステータスであり、その人の価値だった。

それまでバカにされ、さげすまれ、いじられていたはずの子が、リクルートに内定をもらったとたん、みんな目の色を変えて、すごいすごいともてはやした。

あこがれの商社マンとの合コンは、まるでイス取りゲームのように、一瞬で席がうまった。

 

みんな、ほしがった。その人の価値を、会社名というステータスで判断した。

あの会社に内定をもらったから、尊敬した方がいいだろうとか、すごいやつなんだろうとか。

どの会社のステータスをもらえるかで、人の価値は変わっているように見えた。人生が変わっているように見えた。そう、まさにあの合同説明会で先輩がいっていたみたいに、就活でいかに有名な企業に内定をもらえるかで、まわりの評価は一瞬でくつがえった。簡単だった。

就活とは自分にぴったりくる会社を選ぶことではなく、まるで、いかに多く、ステータスを集められるかどうかの勝負みたいに見えた。カードゲームじゃねえんだよ、と思った。そうやって簡単に大企業に自分の未来を見つけるまわりの就活生たちをわたしはバカみたいだと思った。バカの一つ覚えみたいに、有名な企業が自分の行き先だと思い込んでいるように見えた。

 

だから、わたしは、そんなものに振り回されたくなんかなかった。 

自分できちんと考えて、きちんと見極めて、自分にぴったりの会社を見つけたかった。だから他のみんなが何十社もの面接を受けているあいだにも、コピーライター養成講座に通った。勉強会にいって人脈を増やした。自分のやり方で就活を乗り切ろうとした。

 

それが自分にとっての正しい道だと思っていた。きっとこうやって就活をしている自分を認めてくれる会社があるんだろうと思った。

ずるいことを平気でできる人間が認められる社会なんてくそくらえと思った。ひどいと思った、嫌いだと思った。自分みたいな正直な人間よりもうそをつく人間のほうが評価される世界を、わたしは嫌いだと思った。間違っていると思った。

 

なのに、振り返ってみれば。

 

でも、それなのに、そうやって、大企業のネームリューにばかりとらわれている人たちを軽蔑していたのに、わたしだって結局、電通を受けた。博報堂を受けた。講談社を受けた。角川を受けた。

 

そしてその人気企業に落ちて、ショックで、今こうして鼻をたれて、みっともなく走って、大泣きしている。

 

何も変わらなかったんだ。結局は。

 

わたしも憧れていた。誰よりも憧れていた。そのステータスに。簡単に手に入る、「人間としての価値」に。

 

わたしは自分に自信がなかった。ずっとずっとなかった。大学には自分よりも優秀な人間ばかりがいた。みんな、すごいものを持っていた。サークルで代表をやっていた。生き生きとアルバイトに精を出していた。毎回死に物狂いで課題をこなしていた。きらりと輝くものを、何ものにも代えがたいような、原石を、「人としての価値」を、持っているように見えた。

 

それに比べて、わたしには、人に自慢できるようなものは何もなかった。サークルは、趣味程度にだらだらやっていた。アルバイトも、飽きっぽくてころころかえていた。授業も、単位がとりやすいのを適当に選んでいただけだ。

アピールするも何も、アピールしたい自己なんて、どこにもいなかった。

 

だから、就活はある意味、チャンスだった。今までパッとしなかった自分が、一発で社会から認めてもらえる「資格」を、カードを手にいれる、チャンスだったのだ。

 

わたしは、自分にぴったり合う会社なんて、はじめから探してなんかいなかった。

結局自分の視界にうつっていたのは、ネームバリューだった。

 

 

 

 

そして卑怯なわたしが思いついたのは、自分にうそをつくことだった。

 

「正直な自分」という、最大のうそを、わたしは、自分自身についていたのだ。

わたしは、「ネームバリューのある会社に入りたい」という気持ちに蓋をして、「ありのままの自分でいる」と、自分自身に、暗示をかけていたのだ。だって、ネームバリューにばかりとらわれる人たちのことを、わたしはずっと、見下し、批判していたからだ。まさか、そんな、そういう人たちと自分が同じだなんて気がついたら、わたしはますます、自分のことが信じられなくなるに違いなかった。

だから蓋をした。「自分は正直だ」と言い聞かせた。正直なところだけは誰にも負けないと言い聞かせた。まさにそれこそが最大のうそだったというのに、わたしはこうして、ことごとく、すべての企業に落ちるまでずっと、そうやって自分にうそをつき続け、騙し続けてきたのだ。

わたしは誰よりも嘘つきだった。企業に自分を大きく見せようとする人たちなんか比にならないくらいの、大嘘つきだった。その事実を、わたしはいよいよ、認めなければならなかった。

 

就活の世界では、みんな、「仕事」というものさしで、他人の価値をはかるのだと思っていた。

仕事ができるかどうか。できるやつは価値がある。できないやつは価値がない。そういう風にはかっているのだと。

きっと人は、自分の一番得意なものさしで、人の価値を測るのだと思った。

 

あいつの価値はどれくらい?

こいつの価値は?

じゃあ、自分の価値は? どれくらい?

 

人を評価するのはよくないとわかっていても、人と比較するのはよくないとわかっていても、それぞれの人に上も下も、レベルも何もないのだとわかっていても。

それでも、どうしても、人の価値を、自分の価値を、知りたくなってしまう。

 

星新一の小説か何かで出てきた、人の価値が一瞬でわかる聴診器があれば簡単なのだろうけど、世の中、そううまくはいかない。人の価値はわからない。目に見えない。確実なことは何もない。

 

だから自分の価値を見つけようとする。自分がここにいてもいい理由を探そうとする。

自分は隣にいるこいつよりも、この社会にいる理由があるのだろうか?

そうやって、必死で。

 

就活という奇妙なカルチャーの中で、「仕事」や「企業名」がものさしになるという現実を、わたしは馬鹿にしていた。

たくさんの有名企業から、いくつ内定をもらえるのか、そればかりが人の価値をはかる判断基準になっていることが、許せなかった。

きっとこの就活文化をあやつっているのは、仕事というものさしで人をはかる人ばかりなのだろうと思った。

 

 

だからわたしは、自分の得意なものさしを、自分に用意した。

 

つまり、「正直さ」というものさしを。

わたしにとって、正直さは、

 

 

 


 

 

 

 

7年前に書いた記事は、ここで止まっていた。

続きを掘り起こそうといろいろ探してみたが、やっぱりどこからも出てこない。

記憶が定かではないが、おそらく就活に対する考えがぐちゃぐちゃになってまとまらなくて、結論も出なくて、そのままブログとしてアップすることもなく、PCの奥底に放り投げていたんだろうと思う。

誰に何を伝えたいのか、自分自身でもよくわかっていなかったのだろう。

たぶん納得する答えを見つけたくて25,000文字近くもかけて書いたにもかかわらず、結局はっきりとした答えが見つからなかったんだと思う。

 

あらためて読んでみても、やっぱり当時の私が何を考えて書いていたのか、思い出せない。

むしろ、こんなことで悩んでたのかよとか、「就職する可能性は95%」って言っちゃうってあんた何してんのと、28歳の私は、笑いながら、過去の自分をバカにしながら読んでいた。

はずだったのに、なぜか読んでいたら、爆泣きしてしまった。

 

就活を終えた私は結局、内定をもらえた大手の書店に就職した。そのあと天狼院に転職して、いまは天狼院でも働きつつ、フリーのライターとして仕事をしている。

 

自分の力で稼ぐ。それは大学生のころから抱いていた夢だった。

自分のやりたいことをやる。それも大学生のころから抱いていた夢だった。

 

あのころのダメダメ大学生の私からすれば、いまの私はずいぶんと成長しているように見えるはずだ。もちろんいまだってダメなところも人に迷惑をかけてしまうこともたくさんあるけれど、私にしてはまあまあいい線いっているほうだろうと思う。

 

けれど、彼女が本当に心の底から望んでいたものは、わたしはいま、手に入れられていないような気がした。

「正直であること」に対して、異常なほど執着していた彼女。

それはたしかに「辛い現実から逃げるための言い訳」だったのかもしれない。けれどその一方で、彼女にとって「絶対に譲れないもの」でもあったような気がするのだ。

 

自分自身に嘘をつかないこと。

 

そんなのもう、忘れちゃったよ。

いつからだろう。正直でいることへのこだわりすら、忘れていた。

社会に順応するために、必死で人に合わせることを覚えた。なんとか迷惑をかけないように、周りに受け入れてもらえるように、自分を偽る手段を探した。「自分のキャラクター」をつくりあげて、それにあわせて行動も変えるように努力した。最初はもちろんいやだった。でも言い訳してたってしょうがないじゃないか。この難しい社会で生き延びるためには、みんなに必要とされる人間になるしかない。

 

でも、それだって必要なことだ。共存していくために、自分自身のかたちを少しずつ変えていく。それは必要なことなんだよ。しょうがないことじゃないか。

しょうがない。
しょうがない。
しょうがないんだよ。

わかってるよ。

わかってるはずなのに、でも、そうやって「自分の外側を変える」努力をし続けているうちに、私はなんだか、「自分の内側」まで変わってきてしまっているような気がした。

「こういう本音を持っている私」のほうが都合がいいから、それに合わせて外側を変えていく。変化させていく。社会で適合できるように、きっと周りの人はこういう私でいてほしいんだろうな、という「本音」を捏造した。

でもそれは仕方のないことなんだよ。社会で生きていくためには。

みんなやってるじゃん。みんなそうやってすり合わせて生きてるじゃん。

 

わかってるよ。わかってるよ。わかってるよ。

わかってるけど、でも、それならなんで、こんなにも、7年前の彼女に対して、申し訳ないと思うんだ?

ごめん、こんな大人で、と謝りたい気持ちになってるんだ?

あなたがなりたかった未来の私に、私はなれてるのかな?

 

 

 

本音で生きてないからだよ。

どこからともなく、そんな声が聞こえた気がした。

 

私は、私たち大人は、「しょうがない」の積み重ねで少しずつ、自分を社会と適合させていく。

最初は耐えられなかったことでも、「これくらいならいいか」と妥協の積み重ねをしていくことによって、少しずつ少しずつ、耐えられ得る範囲が広がっていく。

はじめはほんの少しのズレだったはずが、気がつけば大きなズレになって、いつのまにか、本当の自分がどこにいってしまったのか、わからなくなる。

 

そうしてぐちゃぐちゃした言語化できない思いを抱えながら、それでも「みんなそうだから」と言い訳をして。周りに嫌われるのが怖いから、「しょうがない」の妥協をやめることはできなくて。

 

いつからそうなっちゃったんだろうね。

いつから私は、自分のことがこんなにも信じられなくなっていたんだろう。

「ちゃんと生きてるの?」

あるいはもしかしたらこれは、いまの、28歳の私という読者のためだけに書かれた記事だったのかもしれないな。

 

私はもう少し、内側を見てみてもいいのかもしれない。

もちろん社会人としてすり合わせる努力は必要だ。自分本意で動き回って、自分に合わせることを強要するような働き方ができるはずがない。

 

でも忘れていた私自身を取り戻す時間も、もしかしたら必要なのかもしれないな。

 

もっと情けなくてまっすぐで正直な私を。奥底にずっと眠って、しばらく出てこない私を。

そろそろ迎えにいってあげても、いいのかもしれない。

 

 

 

 

 


❏プロフィール
川代紗生(Kawashiro Saki)

ライター。 天狼院書店スタッフ。ライティング・ゼミ講師。東京都生まれ・早稲田大学卒。WEB記事「親にまったく反抗したことのない私が、22歳で反抗期になって学んだこと」(累計35万PV)等、2014年からWEB天狼院書店で連載中のブログ「川代ノート」が人気を得る。レシピを考案したカフェメニュー「元彼が好きだったバターチキンカレー」がヒットし、天狼院書店の看板メニューに。メニュー告知用に書いた記事がバズを起こし、2021年2月、テレビ朝日『激レアさんを連れてきた。』に取り上げられた。天狼院書店で働く傍ら、ライターとしても活動中。

ライティング・ゼミにご参加いただくと記事を投稿いただき、編集部のフィードバックが得られます。チェックをし、Web天狼院書店に掲載レベルを満たしている場合は、Web天狼院書店にアップされます。

 

 

 

 

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■天狼院書店「東京天狼院」

〒171-0022 東京都豊島区南池袋3-24-16 2F
TEL:03-6914-3618/FAX:03-6914-0168
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
*定休日:木曜日(イベント時臨時営業)


■天狼院書店「福岡天狼院」

〒810-0021 福岡県福岡市中央区今泉1-9-12 ハイツ三笠2階
TEL:092-518-7435/FAX:092-518-4149
営業時間:
平日 12:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00


■天狼院書店「京都天狼院」

〒605-0805 京都府京都市東山区博多町112-5
TEL:075-708-3930/FAX:075-708-3931
営業時間:10:00〜22:00


■天狼院書店「Esola池袋店 STYLE for Biz」

〒171-0021 東京都豊島区西池袋1-12-1 Esola池袋2F
営業時間:10:30〜21:30
TEL:03-6914-0167/FAX:03-6914-0168


■天狼院書店「プレイアトレ土浦店」

〒300-0035 茨城県土浦市有明町1-30 プレイアトレ土浦2F
営業時間:9:00~22:00
TEL:029-897-3325


■天狼院書店「シアターカフェ天狼院」

〒170-0013 東京都豊島区東池袋1丁目8-1 WACCA池袋 4F
営業時間:
平日 11:00〜22:00/土日祝 10:00〜22:00
電話:03−6812−1984


■天狼院書店「湘南天狼院」

〒251-0035 神奈川県藤沢市片瀬海岸2丁目18−17 2F
営業時間 10:00~22:00
TEL:04-6652-7387

■天狼院書店「天狼院カフェSHIBUYA」2020.8.4 OPEN

〒150-0001 東京都渋谷区神宮前6丁目20番10号 MIYASHITA PARK South 3階 天狼院カフェSHIBUYA
営業時間 11:00〜21:00
TEL:03-6450-6261

■天狼院書店「名古屋天狼院」2020.9.18 OPEN

〒460-0002 愛知県名古屋市中区丸の内3-5-14先
営業時間 10:00〜22:00
TEL:052-211-9791

■天狼院書店「パルコ心斎橋店」2020.11.20 OPEN

〒542-0085 大阪市中央区心斎橋筋1丁目8-3 心斎橋PARCO 9F
営業時間 10:00〜20:00
TEL:06-6563-7560

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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