僕が、家出少女と過ごした日
「ねえ、キレイだよ~」
娘の嬌声が水族館に響く。
水槽の中に浮かぶクラゲたちを、目を見開いて見つめている。
水間に漂うクラゲは、儚く、もの悲しい。
水の流れに身をまかせ、寄せてくるものを食べる。
水まかせの生き方は、気楽なようで、切ないな。とわたしは思うのだ。
その流れに身をまかせる姿をみていたら、30年ほど前に、一度だけ出会った少女のことを思い出した。
その日、渋谷の街角で待ち合わせをしていた。
アルバイトをしているビルの近くだったと思う。
僕は、少しだけ早めに約束の場所に来ていた。
はじめて会うのだ。少しばかり心が急いてもしかたない。
男に連れられ、彼女はやってきた。
「はじめまして」とあいさつを交わす。
彼女は少しはにかんだように微笑んだ、と思う。
俯いていてよくは見えなかった。
彼女を連れてきた男は、素っ気なく。
「頼みましたよ。夜の9時頃までには帰りますから、それまで」と言い終わると、その場を素早く立ち去っていった。
二人きりになって、僕はいささか、途方にくれた。
これからどうしたものか……と。
彼女を連れてきた男は、僕の知り合いだった。アルバイト先の同僚で知り合いと友人の間くらいの関係だった。
その彼から、数日前に、
「困っているんですよ。ちょっとでいいから、助けて下さいよ。2日でいいから、いや、1日、なんなら半日でいいから、ちょっと彼女と付き合ってくださいよ。お願いします」と、電話がきたのだ。
「困っているって、羨ましい状況に困ることないだろう」
僕は少し意地悪く返した。
「そう、いわないで下さいよ。ずっと部屋にいられると……、明日は俺も休みだし。ちょっと、お願いできませんか? 見方によっては野性的な感じですよ、彼女は」
「なんだ、その野性的な感じって。でも、まあ、半日くらいなら、悪くないかな」
僕は野性的な感じ、という言葉に想像力が刺激され、妄想がふくらんできていた。
まあ、半日くらいならいいか、それでいいなら、なんなら……。
実際に会った彼女、知り合いの使う「野性的」と僕の考える「野性的」は180度ほど方向が違ったようだ。
妄想はかなりしぼんでしまった。
しかし、だからといって、ここで放り出すわけにはいかない。
彼女はこの街のことは、何も知らないのだから。
彼女と時間をつぶすことが出来るところはないか、周りを見渡す。
ボーリング場の看板が目にとまった。
「ねえ、ちょっとボーリングでもしてみない」
「え、ええ、いいですよ」
戸惑いながらも、彼女は僕についてくる。
平日の午後、2レーンを贅沢に使って、二人で数ゲーム投げ合った。
彼女はあまりボーリングをしたことがないようで、
ボールが1,2本のピンを倒しただけで、はしゃいでいた。
僕がストライクを出すと、それは大げさに感心したりした。
その姿が、少し疎ましかった。
拙い媚びが、煩わしかった。
ボーリングを終え、約束の時間までまだ時間があった。
しかたない、彼女を自分のアパートに連れて行こう。
渋谷から電車を乗り継いで、アパートに向かう道すがら、彼女はこれまでのことを、ぽつりぽつりと話しはじめた。
「おばあちゃんと住んでいたんだけど、やることがなくてさ、学校にもいってないんだ」
彼女は、些細なことのように身の上を話す。
彼女は日本海側の小さな町に住んでいたという。
「電話でやるのあるでしょ、それで○○さんと知り合って、まあ、退屈だから出てきちゃった」
30年ほど前、携帯もネットもない時代、普通の電話の伝言ダイヤルシステムが出会いの場だった。ある番号に伝言を吹き込むと、それを聞いた人から連絡がくる。今から思えば、かなりスリリングなシステムだった。
それを使って、東京の人と知り合い、彼女はその人を頼りに出てきたというのだ。
その人は、彼女を連れてきた僕の知り合いというか友人のまた知り合いで、僕もちょっと知っている○○だった。
その男の元に数日いたらしい。
「彼がおいでよ、っていうからいって、ちょっとの間いたんだ」
「それで、どうして、ヤツのところに行ったの」
○○のところにいたのに、なぜ、彼女は知り合いの男のところで過ごしていたのだろう。
「○○さんが、ちょっと彼もいい奴だって紹介してくれたから」
そうなのか。
体のいい厄介払いをされたのか。
家出少女をいつまでもおいておけない。
○○もアルバイト生活だ。
二人で食べていくのは、苦しくなったのだろう。
だから、僕の知り合いに押しつけ、知り合いは、さらに僕にと。
電車の扉を体を預けていた。彼女は少し体を僕の方に寄せてきていた。
Tシャツの襟元から覗く胸もとが、痛々しかった。
アパートについて、
インスタントの珈琲を飲みながら、バラエティ番組を観て、時間を過ごした。
これ、おかしいよねえ、とか
どうでもいいような会話をしていた。
彼女は、ただテレビを見ているだけなのが、少し訝しげだった。
少女と若い男が一つの部屋にいれば、それは何かあるだろう。
それまでの男たちはそうだったのかも知れない。
野性的という言葉を聞き間違えたのが尾を引いていたのか、それとも、何を思っていたのか。
今は、もう思い出せない。
ただ、僕は、彼女が帰る時間がくるのをじっと待っていた。
バラエティが終わったところで、
「帰るか」と声をかけた。
彼女は、瞬きの間小首を傾げた。(どこへ?)と、問い返すように。そして
「ああ、そうですね」と小さく応えたのだ。
彼女を駅まで送り、帰りの電車に乗るところまでを見届けた。
男の家の最寄り駅に迎えに来ることになっている。
彼女は、何度か深く頭を下げた。
唇が、「またね」と動いたようだが、声は聞こえなかった。
以来、彼女と会うことはなかった。
数日後、男と会ったとき、彼女が故郷に帰ったと聞かされた。
彼女は、小さな町に帰っていった。
また、おばあさんとの生活をはじめるのだろうか。
学校に行くこともなく、その後はどうして過ごしていくのだろう。
僕には、その後を知る術もなかった。
彼女の名前すら知らなかったのだから。
彼女は、クラゲのように
人の間を漂い、食み、眠り、生きていた。
寄る辺のなく、漂って。
「次、ペンギンだよ」
娘の声に、回想から引き戻された。
クラゲに飽きた娘は、ペンギンの行進を見たいという。
娘に引きずられるように外に向かう。
ペンギンは、可愛いねえと、娘に話しかければ
「なにいっているの、ペンギンは海に入るまで一生懸命なの、海に入れば、飛ぶように泳ぐんだから」と、娘に諭されてしまった。やれやれ。
ペンギンの歩きが可愛いと思うのは、人から見ればのことだ。
ペンギンは必死に歩き、獲物のある海に向かっているのだ。
クラゲも漂う姿が儚い、悲しいと思うのは、人の勝手なのだろう。
クラゲは強かに他力を使い、自らの非力を補い、生き延びているのだ。
人の間を漂うように生きていた彼女も、案外に強かに生きているのかもしない。
そう、そうであって欲しい……
クラゲのように。
***
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