メディアグランプリ

わたしの三割はおばあちゃんで出来ている



記事:青子(ライティングゼミ)

12歳まで、私は祖母と一緒に寝ていた。夕食を食べて、お楽しみのテレビを見たら、階段をとんとんと上がって祖母の部屋に行く。かすかに樟脳の香りがして、床の間には祖母が生けた季節の花がいつも凛と咲いていた。雑多な家の中にあって、ここは特別な空間だった。

祖母といろんなおしゃべりをしながら、一緒に寝る前の準備をする。
敷布団の縫い目を見ながら表裏と上下を確認して、二組の布団をまっすぐに敷く。明日着ていく洋服と靴下を選び、きちんと畳んで枕元に置く。
皺一つないぴんと張ったシーツと掛布団の間に身体を滑り込ませると、ふわっと、おひさまの匂いがした。

そして、祖母が私に聞く。
「明日は何時に起きる?」
「えっとね、明日は7時に起きる」と私が告げると、阿吽の呼吸で、お互いの枕を7回、音を揃えてポンポンと叩いていく。7時に起こしてね、と枕におまじないをかけるのだ。翌朝、自然とその時間に目が覚める。不思議なのだが、まるで枕が意志を持っているかのように、このおまじないは本当に効くのだ。

部屋の電気にくくりつけてある腰ひもが、だらんと二人の布団の間に垂れ下がっている。その紐を祖母が布団の中から引っ張るといっぺんに闇が広がる。さて、消灯だ。

暗闇の中で祖母が言う。
「目を閉じて、大きなカバンを想像してみて。そして、今日あったことを全部、目の前のカバンにしまうの。今日勉強したこと、楽しかったこと、嫌だったこと、全部だよ。 かばんの中身は必要に応じていつでも取り出せるから安心して」

私は素直にそれをやってみる。
今日一日の出来事をひとつ残らず、そのカバンの中に入れてしまうと、空っぽになった自分を感じた。体重が少し減ったみたいに軽くなる。

「そして、今日1日ありがとうございました、ってかみさまに伝えて。……じゃあ、おやすみなさい」
祖母はそう言うと、すーっと静まり返り、いつしか寝息が聞こえてきた。

これが、祖母と私の寝る前にしていた儀式だった。

私は祖母が大好きだった。もしかしたら母がやきもちを焼いていたかもしれないほど、おばあちゃん子で、何かというと祖母を頼りにしていた。

おなかが痛くなった時に真っ先に駆け込むのも、祖母のところだった。なぜか祖母の手の平でおなかを温めてもらうと、すぐに痛みが引いていったから。

また、祖母の言動には、子どもながらに「そういう考え方もあるのか」と感心することが多かった。

たとえば、私が手を滑らせ、お線香の灰を仏壇の中にぶちまけてしまった時には「そうそう、お仏壇をお掃除しようと思いつつ、なかなか出来ていなかったから、ご先祖様がそろそろやってくれと催促してきたんだわ。教えてくれてありがとう」とお礼を言われ、また、祖母が大切にしていた花瓶を私が割ってしまった時には「お気に入りのものが壊れたということは、モノが身代わりになってくれた、ということなの。私たち、命拾いしたわね」と喜んで、一切私を叱らなかった。

いっそのこと、ガツンと叱ってくれれば良かったのに、こんな風に返されたから、私はいつまでも祖母とのやりとりを忘れられないでいる。

祖母は晩年、認知症になってどんどんコミュニケーションをとることが難しくなり、私が19歳の時に亡くなった。

私がもう少し大きくなるまでしっかりしていてくれたら、私はもっと祖母から学べることがあったんじゃないか、と残念に思っていた。社会人になってからも、このことを相談したら祖母は何というだろうと回想したことも少なくない。

でも、たぶん、一緒に寝ていたあの僅かな年月だけで、十分だったのだろう。
大人になった今でも、日常生活の中に祖母と過ごした痕跡があちらこちらに息づいていると感じているからだ。

今でも目覚まし時計変わりに枕をポンポン叩くし、一日の出来事を振り返って感謝しながら眠りにつくのも習慣だ。
祖母の教えてくれた通りにお茶を入れたり、卵焼きを焼いている。
何かトラブルがあったときも、その事象に腹を立てるのではなくて、別の側面から解釈する目を持つことが自然に出来るのは、祖母譲りなのかもしれない。

おそらくは、大人になった私の3割くらいは祖母から受け継いだもので構成されているはずだ。

今の私が空気を吸うように、歯磨きをするように、当たり前の感覚でしていることの中に祖母がいる。自分の肉体と相手の肉体との物理的な距離がなくなって常に一緒にいる感覚は、祖母が亡くなってからずっと続いているのだ。もう何十年も……。亡くなった人と共に生きるってこういうことなんだ、とぼんやり思う。

祖母は朗らかで優しい人だったけれど、どこかいつも寂しそうだった。私は幼かったけれど、祖母の心の深い部分には、何か悲しいことがあるのだろうと漠然と感じていた。

10歳のある晩、ふと目が覚めると、祖母が布団から起き上がり、正座をしているのが目に入った。
真っ暗な部屋に浮かび上がる祖母の背中が震えていて、すすり泣きのような声が聞こえてくる。
寝ぼけまなこに映るその風景に、小さな私はどうすることもできなくて、声すらかけることもできなくて、布団にくるまり寝たふりをしながら、ただ、その様子を伺っていた。
いつの間にか私はそのまま寝てしまい、障子越しに差し込む柔らかな陽射しの中で朝を迎えた。

「あれは夢だったのかな。それとも本当におばあちゃんは泣いていたのかな」

私は目覚めてからも、震える祖母の背中が思い出されて仕方がなかった。でも祖母が泣いていたことを本人も含め誰にも言ってはいけないような気がして、じっと黙っていた。

それからしばらく経ったある夜、いつものように寝る前の準備をしていると、枕カバーをかけながら祖母が急に話し出した。

「この間ね、夢を見たのよ。おじいちゃんがオート三輪に乗って、赤羽の坂道を上がっているの。窓から顔を出して笑いながら手を振ってきてね。おーい! って、得意げに呼ぶのよ。おばあちゃんもね、そのトラックに乗せてもらおうと、必死に走って追いかけたの。でもね、おじいちゃんは、お前はまだダメだよ、と言って、頼んでも頼んでも、どうしても乗せてくれないの。そのうちに、どんどんと加速しておじいちゃんのトラックは坂道を降りて行ってしまった」

明るく振舞いながらも、祖母はやっぱり寂しそうな表情をしていた。

「おじいちゃんがあんまりにもニコニコ笑って消えていくものだから、悔しくてね。それでおばあちゃん、泣いちゃったの。でも、おじいちゃんが悲しそうにしていたり、苦しそうにしていたりしていたら、気になっちゃうもんね。おじいちゃん、あっちの世界で元気にしているんだわ。良かった。オート三輪なんてずいぶん古臭い乗り物に乗っていたけどね」

祖母は、あの夜、私が布団の中でひたすら寝たふりをしていたことに気付いていたのだろう。私を子ども扱いせず、祖母の心のうちを正直に話してくれたことがすごく嬉しかった。

今思えば、あの時の祖母は、夫を突然の病で亡くして8年ほど経っていたはずだが、まだまだ悲嘆の気持ちが大きかったのだと思う。長年連れ添った愛する人と別れた悲しみの気持ちはいかほどであっただろうか。もしかしたら、それを察した私の父と母が促して、祖母と私が一緒に寝るようになったのかもしれない。

そんな祖母に私が与えられたことはあっただろうか。一緒の部屋で夜を過ごすことは、せめてもの慰めになったのだろうか。

祖母は幼い私の前であけっぴろげだった。これまでの人生で起きたことも、おじいちゃんと離れ離れでいる悲しみも、今感じている幸せも、でも出来るならおじいちゃんのもとに行きたいと思っていることも、私が分かる言葉で共有してくれた。

子どもだった私のことを、あんなに一人前に扱ってくれたのは、祖母以外に思い浮かばない。

今、胸の中にいる祖母を感じていくと、「おばあちゃん」ではなく「親友」のような存在になっている。それは私がおばあちゃんのエッセンスを受け継ぎながら、年齢を重ねていっているからかもしれない。

亡くなった魂と共に生きるということは、おそらく亡くなった魂もそれを経験しているのだ。いつのまにか私たちの関係性はより親しく、より強固なものへと変容を遂げているのを感じる。
それは嬉しくて、幸せなプロセスだ。
これからも夜の儀式は続けていくからね、おばあちゃん。

 

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2016-07-02 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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