メディアグランプリ

このブラがわたしを作っている。


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記事:てらっちさま(ライティングゼミ)

仕事場でのわたしへの評価はあまりよくなかった。

会社の評価というものは大抵理不尽で、仕事のできない人の方が評価されていたりする。この間など社長がじきじきに私を呼び出し、わたしより仕事のできない上司をほめたうえ、わたしに上司をもっとフォローようにと言ってきたので、憤慨して部屋を飛び出した。
社長を怒らせた後、一応ボーナスが支給されたのだが、封筒に「今後はもっと仕事に向き合う努力をしましょう」と赤ペン先生ようなコメントが入っていた。
わたしはすぐそのコメントの書かれた紙っきれをゴミ箱に捨てた。

むしゃくしゃしながら、出たばかりのなけなしのボーナスをバッグの中に押し込んで、ショッピングモールに向かって車を走らせた。
「自分へのご褒美」という名目で、買い物してストレス発散をしようというのである。
モールへと向かう道はボーナスが出た人たちの車でごった返し、混みあっていた。なかなか前に進まない車の列にイライラしながらふと見ると、小さなランジェリーショップのウィンドウ。首のないマネキンが、大ぶりのバラのレースで彩られたブラとショーツを着込んで立っていた。
この店の前を通ると、いつも髪をアップにまとめた姿勢のいい美しい女性が店の中で接客をしているのを見かける。
とても素敵な女性で、彼女がどうやら店長らしい。
今日もいるだろうか。

「よし」

と心を決めると、車は渋滞の列から抜けた。
いつもなら値段の高さに躊躇してけっして入らない店である。でも今日は入ってしまった。

自分を変えたかった。

雑誌でも「いつもの自分よりワンランク上の下着を身に着けよう」なんて記事を読んだところ。高級下着を身につけたり、ちょっと背伸びしたレストランで食事をすることで、自分を変えることができる、そんな言葉がわたしをかきたてたのだった。

店のドアを開けると、カランカランとカウベルが鳴り響き、そして「はい」と顔を出したのは、店長ではなく、こってり化粧をした老婆であった。

「魔女」

とのど元まで出かかる言葉をなんとか呑み込んで、いつものきれいな女性を探す。
「今日は娘がいないからね、わたしが留守番。わたしでいいかね?」
イヤとも言えないので苦笑いする。
あの女性に下着を見てもらおうと思っていたので当てが外れてしまった。あのセンスのいい人に見てもらって、ばっちり決めて自分を変えたかったのに。
まあ、今日は適当にお茶を濁して出直そう。

店内を見回すと、繊細なレースを使いながら大ぶりの花柄のデザインが大胆に施されたブラやキャミソールがブランドごとに並ぶ。やはり高級なだけあってどれも美しく、うっとりと見惚れてしまう。しかしタグを見ると、とたんに現実に引き戻される、見たことのない金額。覚悟をして入ったはずなのに、やはりこの金額は手をひっこめてしまう。
魔女は下から私を見上げ、私の眼を見た。
「これが気になるかね?」
そう言いながらブラを手にとってはわたしに合わせてみる。いくつかあわせていたが、
「これなんかあんたにぴったりだよ」
と魔女が差しだしたのは、店先に並んでいたのと色違いの一枚で、ペールオレンジがまぶいいブラとショーツのセットだった。
でもちょっと派手すぎるわと答える間もなく、「サイズは?」と訊いてくる。
「B75」小さく応えると、魔女はサイズを見てブラを取りだし、「まあ着てみな」と試着室へとどんどんわたしを押していく。
試着室に入り、カーテンを閉めTシャツを脱ぐと、自分が今日ブラキャミをつけてきたことを思い出す。ゆるゆるのその下着の中で泳いでいる小さな胸。なんと貧相なんだろう。そう思いながら、ブラキャミを脱ぎ、豪華なブラをおそるおそるつける。
「つけました」と言うと、魔女がざっとカーテンを開ける。
「なんだ、意外と胸があるんだねえ。それじゃ小さいよ」
「いえ、いつもこのBサイズで……」
「これにしなさい」
なんとDカップを持ってきた。
「ちゃんとこうやってかがんでから脇の肉も寄せて入れて」
客も他にいないからもうカーテンなど用はなく、あけっぴろげのままブラのつけ方指導である。
言われるがまま肉を寄せて、そして起き上ってホックをつける。
「なんでホックを外側につけてるんだい」
「え、だって苦しいから」
ブラにはホックが外側と内側に大抵ついている。わたしは苦しいからいつも外側のゆるい方にしかホックをつけたことがなかったのだ。
「ちゃんと内側のホックにつけるんだよ」
「えー苦しいじゃないですか」
「ほら、そうするとちゃんと背筋が伸びるだろう。理想のためには我慢もしな」
たしかに、魔女の指導によりつけたブラの力で、思いのほか背筋が伸びている。鏡の中のわたしは、いつもよりピンと姿勢がいい。

そして……なんと、胸の谷間があるのである!

わたしって、こんなに胸があったんだ。

こんなに驚いたことはなかった。
今までBカップだと思っていたのが、なんとDカップだったのである。
「いつも適当につけているだろう? ブランドによってもサイズが違うから、一度つけてみないとわからないんだよ。ちゃんと手を抜かないで、きちんと確認するんだ」
鏡の中のわたしは別人だった。
谷間があり、背筋がピンと伸びている。
それに、この派手すぎると思っていたデザインは、いつもの地味なわたしを華やかにしてくれていた。ただ派手で高いだけと思っていた下着には、こんなに自分を変えるものなのだ。
「ほら、全然ちがうじゃないか。上着を着てごらん」
Tシャツを着てみても、違う。いやTシャツというシンプルな上着こそ、下着の効果が出てくると言ってもいい。
鏡の中の自分の姿は堂々と胸を張っていた。自信に満ち溢れているように見える。
いつも会社でひくつになっていた自分と同じ人間とは思えなかった。

ああ、そうなんだ。

ゆるいブラキャミは今までの自分だ。

仕事でもどこかゆるく、なんとなくごまかそうとしていたのかもしれない。ちゃんと自分の姿を見なおして、ちゃんと正しい指導を聴いて、ピンと胸を張るだけで、こんなに変われるんだ。

「これ、ください」

思わずそう言っていた。
くしゃっとなった封筒からお金を取り出していると、魔女はわたしに微笑みかけた。

「ここに来るお客は二種類しかいないんだよ。ブランドを知るお客と、自分を変えたいお客。またおいで」

魔女は、わたしに魔法をかけた。

あの美しい店長もこの魔女の娘なら、魔女からすべてを教わってきたはずである。あの整った姿勢は、この魔女の仕業であったかもしれない。
彼女のように美しく、仕事に向きあいたい、そう思った。

これからは仕事から逃げない。このブラをして、ピシッと背筋を伸ばして、理不尽な世の中に立ち向かうのだ。

 

***
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2016-07-14 | Posted in メディアグランプリ, 記事

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