夜の隅田川で「理解も共感もできない」と彼の暗い目に告げた。
記事:安達美和(ライティング・ゼミ)
「どうもキミはダメだねぇ、この歌が」
肩で息をしていると、師匠がそう言った。
歌っている最中からわたしもそう思っていた。
何故だか、これだけはうまく歌えない。今日なんか節回しや息継ぎ以前に、二度も歌詞を間違えた。ほかの民謡は、自主稽古の量が少なくても、師匠の前へ出ればちゃんとやれる。歌詞を間違えることもほぼない。
でも、これだけは。
「じゃあ、もう一回ね」
師匠が三味線をはじき出した。
内心ガッカリした。もう次の歌でいいじゃないですか。
「『下津井節』、いきますよ」
「下津井節」は岡山県の海側の民謡だ。当時は酒宴の席で歌われたものらしい。歌詞の内容はいたってのんびりしたもので、下津井の港はどんな風でも出入りが簡単な良い港だよ、とか、春は鯛が釣れて秋は釣りが楽しめるよ、とかいう、ちょっと聞きだと観光PRみたいな歌である。節回しもゆったり穏やかで、伴奏の三味線を聴いていると、静かな夜の海の上を屋形船にでも乗っているような良い気分になる。
とても好きな歌だ。でも、うまくやれない。なんだか喉が渇く。
暗く静かな水底から、音をゆっくりすくい取るような前奏が始まった。
胸の内がひたひたと暗い水で満たされていくのを感じた。
いつものように思い出してしまう。夜の厩橋を。水面に無数の光を映した真っ黒な隅田川を。何も映っていない彼の暗い目を。
あの時彼が言ったことを。
「オレは君の言ってることが分からない」
わたしだって、君の言うことはいっこも分からなかったよ、バカヤロー。
***
わたしはモテない。とても残念だが事実である。今まで人に想いを寄せられたことはほぼない。「ほぼない」なんて言い方をすると、「じゃあちょっとはあったのか」と言われそうだが、まあ、ちょっとはあった。でも、その相手が何と言うか……かなりぶっ飛んだ人物だった為か、自分の中でそれを「恋愛」とカウントしていないらしい。わたしは、あれは「事故」だったと思っている。
このライティング・ゼミで初めて書いた記事が、彼にまつわるものだった。さて何を書こうかと頭の中を検索した時に、真っ先に浮かんだのが彼のことだった。わたしの人生において、あんなに濃く、激しく、迷惑だった人はいない。
世間一般よりもだいぶ幼かった17歳のわたしに初めて好きだと言ってくれた人物。「還暦過ぎたらセックスしよう」と一方的に告げてきた上、5年前に亡くなってしまったKくん。人との摩擦が避けられず、ケンカを仕掛けケンカを仕掛けられ、生きていること自体がしんどそうだったKくん。
人に好かれたことが初めてだったわたしは、Kくんと会うといつも困っていた。恋愛に縁遠かったものだから、「人に好かれる作法」が全く分からなかった。
普通、想いを告げられた際には、リアクションはシンプルにふたつだと思う。「告白される」→「ありがとう、お付き合いしましょう」と、「告白される」→「ごめんなさい、付きあえません」、この二択しかないと思っていた。そしてその後も当然二択で、付きあって仲を深めるか、互いのこころの傷を考えて距離を置くか。
甘かった。現実は二択問題みたいな簡単なものではなかった。
「ごめんなさい」と告げたら彼は一瞬だけ落ち込み、その後すぐに「水族館行かない?」と言ったのだ。
え、水族館?
いま、水族館って言った? 付きあう、付きあわない、水族館? 三択なの? これって普通のことなの? 恋愛経験のないわたしには分からなかった。
そしてふたりで水族館へ行った。ピカピカ光るイワシの大軍のお腹を並んで眺めて、「お腹がへったね」と言い合った。その足で回転寿司へ寄って帰った。
そんな感じで始まったものだから、わたしはその後彼と自分がどういう間柄なのかつかみかねて困った。恋人ではない。でも普通の友人ではない。会えば変わらず「好きだ」と言う。どうしたらいいのか分からなかった。
面白い人間だから友達としては付きあいたいが、恋人としては付きあいたくない。彼はしょっちゅう教授や友人とケンカしている激しい人だった。じゃあメンタルが強いかと言えば決してそんなことはなく、傷つくだけ傷ついていた。面倒なひとだ。背がやたら高いのも怖かった。並んで歩いていると大木と散歩しているようだった。
縁を切りたくない、切りたい……いつも迷っていた。
その後、薄情なことにわたしに恋人ができたことで彼との奇妙な関係は一度途切れたが、数年後、ふたたび友人として付き合いだすことになった。
厩橋を渡って隅田川を越え、しばらく歩くと彼がひとりで住む一軒家があった。
本と漫画で埋め尽くされた恐ろしく汚くて古い家で、よく彼の友人とわたしの友人を交えて遊んだ。二階の部屋の窓からは隅田川の花火大会が間近に見えた。
彼は楽しそうだった。少なくとも、その時は楽しそうに見えた。
当時の彼は、あまりの生きづらさに困り果てていた。こころの病気がひどい状態だった。彼とはたくさん話をしたが、ちゃんと会話が成立したことはほぼなかったように思う。彼がわたしに訴える「社会で生きていくことのしんどさ」が、さっぱり分からなかった。
ある日、蔵前の駅まで一緒に歩いて行ったことがある。静かな夜だった。厩橋を渡りながら、彼はいつものように自分の生きづらさをわたしに伝えようとしていた。
好きなこと以外はしたくない、と彼はよく言った。もっと言うと、社会で働くのはイヤだ、と。じゃあ働かなければ良いじゃないと言ったら、親族に申し訳ないからやっぱり働くと。
あんな広い一軒家にひとり暮らしは淋しいと言うので、じゃあ誰かと暮らしたら良いじゃないと言おうとしたが、ごく親しい人間にも暴言を吐く彼のことだからムリだろうなと思って、あきらめてひとりで暮らしなさい、と言った。
厩橋を半分ちょっと過ぎたあたりで、彼の足が止まった。後ろを歩いていたわたしは背中にぶつかりそうになった。彼がくるっと振り向いて言った。
「オレは君の言ってることが分からない」
下を流れる黒い隅田川の水面はあんなにキラキラしているのに、彼の目はただ真っ黒なだけだった。
その時、いつもだったら、「わたしだって君の言ってること分からないよ。君は何がしたいんだ」の一言で済ませるところを、なぜだかちゃんと彼と向き合ってみようと思った。どうしてそんなことを思ったんだろう。斜に構えず、丁寧に伝えようと努力したことを覚えている。
「わたしは、君の感じていることに共感できないし、理解できない」
彼は黙って聞いてくれた。だから、伝わってくれと願ってこう言った。
「でも、知りたいし、理解したい気持ちはあるんだよ」
遠くでパチャンと音がした。何かが川へ落ちたらしかった。川へ視線を向けると、のんびり屋形船が浮いていた。
しばらく黙ったあと、ポツリと彼が言った。
「少しだけ伝えられて、スッキリした」
あ、心が通った、と思った。振り返ってみると、彼との会話がちゃんと成立したのはこのやり取りだけだった気がする。
一度だけ、彼のことを素直に「好き」だと思ったことがある。でも、言えなかった。彼が今までくれた「好き」の量と濃さを思い返すと、そんな軽い「好き」をあげるわけにはいかなかった。わたしには、周りの人に冗談で「愛してるよ」などと言う癖があったが、彼にだけは一度も言えなかった。当たり前か。
そんな会話を交わした後、ほどなくして彼は亡くなった。
「下津井節」を歌う度に思い出す。隅田川の真っ暗な水面が揺れながら街の灯りを反射している様を。屋形船がのんびり浮いている様を。彼の真っ黒の目と、「伝えられて少しだけスッキリした」という言葉を。
彼が亡くなってから4年後、ひとりで厩橋まで行ったことがある。
冷たい風だなと橋を渡りながら感じた。隅田川は相変わらずキラキラ揺らめいて、屋形船が浮かんでいた。
それを眺めていたら、ポロっと口から「会いたいなぁ」という言葉が転がり落ちて、ビックリした。
初めてだった。Kくんが亡くなってから、会いたいと思ったことが。
もう会えなくて淋しいはあっても、会いたいとは思わなかった。
思っても仕方ないことだから。会いたいと思うとしんどいから。
会いたいと素直に言ってしまえた自分に少し驚いて、同時に、冷静にそう言えるようになったね、と思った。
彼と会えたら、何の話をしようか。本が好きで作家志望の人だったから、天狼院書店のことを教えてあげたい。それから、わたしが民謡を習っていること、「下津井節」がうまく歌えないから、頑張って練習していること。ちゃんと会話になるだろうか。なると良いな。会話にならなかったとしたら、また伝えよう。「君のことを知りたいし、理解したい気持ちはあるんだよ」と。
***
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