私と馬とパルナスと。
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人生を変えるライティング教室「天狼院ライティング・ゼミ」〜なぜ受講生が書いた記事が次々にバズを起こせるのか?賞を取れるのか?プロも通うのか?〜
記事:こしわき まよか(ライティング・ライブ東京会場)
「パルナス モスクワの味」 昭和生まれの関西人なら間違いなくこの哀愁を帯びた歌をなつかしく口ずさむであろう。 なつかしいと同時にどうにも切ない、というか、むしろ私には苦い思い出がつきまとう。 当時はリボンの騎士やムーミンが放映されていた日曜朝のテレビアニメの時間枠で流れていた菓子メーカーのCM。 私はずっと後になってあの「探偵ナイトスクープ」という番組でパルナス製菓が近畿限定という事実を知り大いに驚愕したが、同時に当時の子供はみんなこの曲を「暗い」と思っていたことに安心感を覚えた。 曲の残像のせいか、ムーミンの間延びした声のせいなのかはわからないが、とにかく日曜の朝は暗い気持ちで一日が始まったことには間違いない。
それでなくても私は週末が大嫌いであった。 日曜日となると近所や学校の友達はみな家族でお出かけにいってしまうが、私は常に年の離れた兄二人と留守番だった。 兄たちは優しかったが男の子同士の遊びには入れてもらえず結局はひとりで人形遊びをしていることのほうが多かった。
父はJRAの職員だった。 ご存じの通り中央競馬は週末に開催される。 父の公休日は月曜日と火曜日で、母もいわゆる「馬券売りの窓口のおばちゃん」として競馬の開催日はアルバイトをしていたから両親そろって週末になると早朝より仕事に出かけてしまうのだった。 一般の会社勤めとはちょっと「風変わりな」父は、私たち兄妹の父親参観も運動会もピアノの発表会も来てくれたことは一度も、ない。
JRAといえば今でこそ御上のイメチェン戦略も軌道にのり(JRAは農水省の管轄だと知っている人は意外に少ない。)人気俳優をCMに起用したり施設リニューアルしクリーンでさわやかなイメージも定着しつつある。
しかし私が子供のころは「赤鉛筆を耳にちょいとはさんだすさんだ中年男性が騒いでいるギャンブル場」でしかなかった。 子供というのは時に非常に残酷な牙をむく。 どこでどう知ったのか、「お前んとこの父ちゃん、競馬場行ってるんやろ」 とゆがんだ解釈で指さされいじめの標的であった。 泣いて帰ったところで汗水流して働いている両親に、訳など言えるはずがなかった。 私とていじめっこたちに言い返すだけの父の仕事への理解力があったわけではなく、ただ耐えるほかなかった。 パルナスのCM曲は曲調もさながら私の少女時代の思い出に暗い影を落とす。
そうこうしているうちに兄二人が大学生になると次々と競馬場でアルバイトをするようになった。 まだ多感な中学生だった私は週末になると家族がみんな競馬場に行ってしまうことを、 「ふん。 競馬一家」 と毛嫌いさえするようになっていた。 週末はだいたいひとりで静かな家で長い一日をぼんやりと過ごしていた。 パルナスのCMが流れる子供番組にはもう、興味がなくなっていた。
私が大学生になったころ世の中はバブル景気に浮かれていた。 みんな平野ノラだった。 お嬢様ブームもそのころで、たまたま、「芦屋のお嬢様」が乗馬をたしなんでいる様子をテレビで見ていた父が、「乗馬やったらいつでもウチでやったらええ」 と私に言ってきた。
競馬場には本番のコースとは別に、PR用などの馬を飼っている厩舎がある。 そこで乗馬レッスンをやっているというのだ。
父の職場のことは相変わらず 「恥ずかしい」 と思っていたが、馬に罪はない。 父の口利きで早速乗馬を習うことにした。
初めて乗った馬は、忘れもしない「静高」という名の額に流星のある青鹿毛サラブレッドだった。 年は取っていたが、気性がやさしく初心者に乗りやすいということでレッスンではへなちょこジョッキーの鐙にもちゃんとこたえてくれた。 初めて見る馬上からの景色。 馬と呼吸を合わせて歩みから並足駆け足でラチ内をまわるときの爽快感。 下馬後にねぎらってやるとほほをすりすりしてくるひとなつっこさ。 毛並みを整えてやるときの濡れた瞳。 父は仕事の合間に砂場へ来てレッスンを伺い見していたようだ。 高い会費を出して乗馬クラブに通う芦屋のお嬢様とは違うが私は大学の授業をサボって競馬場に通うほど乗馬を楽しみにしていた。
レッスンは当然競馬の開催日にはやらないが、私は馬の世話をするために土日もクラブにいた。 楽しみだったのは週末には美しい白馬が厩舎にいることだった。 G1レースの誘導馬だ。 クラブの「先生」が赤い服を着てその白馬にまたがりターフへ出ていく場面は何度見てもドキドキした。 ファンファーレの音を特等席で聞かせてもらう恩恵にもあずかった。 ようやく私は少しずつ父の職場を肯定的に見れるようになっていた。 なんのことはない、私も立派にDNAレベルで「競馬一家」の一員であったのだ。 たぶん、父は気づいていたのだと思う。 職場が競馬場であることを恥じていた、娘の愚かさに。 言葉で諭すことなどできぬ無口な父であった。 それでも乗馬を始める私に、ジョッキーパンツや乗馬帽を用意してくれた。 退職記念に兄妹で両親を九州旅行に招待したとき、父は初めて我が家ではご法度だった「馬刺し」を口にした。 飲めないビールにほほを赤らめながら。
美しい緑のターフを背景に、まだよちよち歩きの私を抱っこする父の写真がある。 歩けるようになるとこわごわとポニーにまたがっている写真。 私の「公園」は月曜日と火曜日の競馬場だったのだ。 そして今の私の夢は、大きなつばの帽子をかぶり、ウィナーズサークルで優勝レイをかけた馬の手綱を持つことだ。 馬名は亡父の名とパルナスにちなんだ9文字にする予定だ。
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